相続の現場で起こった想像もつかなかった事件。「遺言書」の必要性とは?プロが実例をもとに解説!

遺産相続のプロ、税理士の尾上千晶さんが、実際に担当した相続の実例をもとに、資産のある家庭の遺産相続をどうすべきか?について、解き明かしていく連載企画です。

第2回目は、相続の現場で起こる想像もつかなかった事件。子供がいない共働きの医師と、義理の弟とのトラブルの例から、兄弟姉妹間の遺産相続の解決策を見出します。

尾上千晶さん
税理士
(おのうえ ちあき)1966年生まれ東京下町の南千住出身。税理士、行政書士、関連会社2社を所有。医師を顧客とした医療専門会計事務所を経営。税務以外の細かな経営に関するアドバイスだけでなく、実際に雇用される側の話を聞き、女性ならではの思考で忍耐強く問題解決に当たり、担当病院、医院では働きやすい環境が整うと評判に。医師を対象にした資産活用や相続についてだけでなく、小さな組織で起こりがちな人間関係でのトラブルに関する講演多数、自身の会計事務所を女性だけで組織し、完全残業なし9時5時の勤務体制を実現。1人息子はゲームクリエイター。特許関係の仕事の夫1名。女性を守ることが、一族を守り、一族をより栄えさせると、自身を春日の局に例え、言わなければいけない嫌なことまで引き受けることも、クライアントから絶大な信頼を得ている。http://clinic-ac.com/

尾上千晶税理士事務所の尾上千晶です。病院や医師の方を中心に、税の相談を長年続けてまいりました。

たくさんの富裕層の方の税務を務めさせていただいていると、ご相談内容はお金の相談を超えて、一族の発展のため参謀としての役割も要請されることもあります。ひとりの事業家として人間としても、深みも問われる仕事です。

最近意識しているのは、女性の能力を花開かせること。医療の世界は、女性たちが一番力をだせる現場ですが仕事を任され。そして、自信をもって生きていく。ということを女医に教えてくれる人が本当に少ない、と実感します。

ビジネスの現場で生きていくなら、知っていなければならないことをわかりやすく伝えていくことが、私の仕事だと感じています。

発端は、夫が亡くなったその日に、夫の弟から言われた「突然のひとこと」

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病院を経営する夫婦のケース

【ケーススタディ】亡くなった医師のA夫の弟C助は、B子さんにこう言いました。

「親から譲り受けた病院を兄亡きあと、切り盛りしてくれてありがたいと思っている。相続のことだけど、妻のB子さんには、子供がいない以上、弟である自分も権利がある。調べてみたんだけれど、1/4は、僕の権利があるそうだ。亡くなったばかりで悪いけれど、法律的に権利があるなら、僕はその権利を使いたいと思っている。すぐ、全財産の1/4を僕に欲しい」

親の代で建設した病院ですが、A夫さんが医師となって30歳の時にご両親は、事故で早世。医師になりたての時期でしたが、病院を引継ぎ、夫婦で必死に立て直しをしました。やっと安心できるかな。と思った矢先に、A夫さんは亡くなってしまったのです。

子供がいないこともあり、相続人は、妻のB子さんと、A夫さんの弟の二人です。

相続分は、B子さんが3/4、A夫さんの弟が1/4となります。B子さんにとって、義理の弟は「特に親しくはなかったけれど、悪くもない」。そんな関係でした。

弟C助さんの主張に対して、B子さんは言いました。

「私と主人でつくり上げてきたこの病院を、いくら権利があるとはいえ、いきなり1/4を支払えと言われても、困ります! せめて、1000万円ほどの金額で許していただけないでしょうか? この先、この病院をやっていくためには、医師である自分も働かなくてはいけないし。病院の敷地をいきなり売るわけにもいかないし」

すると、激高した弟C助は「俺にだって、権利があるのだから、権利を使う! 1/4を寄越さないなら、いつまでも、実印は押してやらないぞ! 印鑑を押さなくて通帳の預金からなにから、すべてを止められて、困るのはそっちだろう! 今すぐ、1/4を支払え! 倒産したくないなら、さっさと支払うんだな。自分は当然もらえる権利があるんだからな! 俺は正当な権利を言っているだけだ」と、言い張るばかり。

100万円、1000万円でも大きなお金ですが、病院が財産となると、桁が違います。1/4と言っても、当然、億単位のお金。主張したくなるのもわかる金額ですが、弟さんの言い分はあまりに唐突・性急・非礼ですよね。

銀行口座は、亡くなると出入金ができなくなる

事業をしている人にとっては、預金は、血液と一緒です。預金が止まると大変なことになります。当然、給与も支払えないし、病院の管理者の変更も、一筋縄ではいきません。当然、診療が止まりますから、病院の倒産も覚悟する必要があります。

ご存じない方も多いのですが、金融機関は、死亡が確認されたとたん、通帳の出入金をすべてストップします。不動産も、名義書き換えは簡単にはできません。当然、預金が止まったら、手元現金がない場合には、非常に困ります。

この状態を回避し、すべて使えるようにするためには、相続人全員で遺産分割協議書を作成し、そこに全員の印鑑証明書を添付して、全員の実印で調印しないと、相続の分割に全員が合意したことにはならないのです。

全員の合意があったうえで、預金も不動産も動くこととなります。

つまりです。相続人全員の実印と印鑑証明書をそろえて、遺産分割協議書という書類を作成するまで、故人の財産は、その死亡の瞬間、宙に浮いたも同然なのです。

今回のケースだと、B子さんとC助さんが実印と印鑑証明書を持ち寄り、遺産分割協議書という書類を作成しなければ、銀行口座の預金は引き出しができないことになります。

結局、話し合った結果、医師免許を持たない弟は病院の院長にもなれないため、1/4までの金額から割引をしてもらい、支払うことで話をつけたのです。

50歳を超えたら、家族のためにきちんと遺言書を書くことが必要

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遺言の必要性

財産は、持っている人が、誰に渡すかを、決める権利があります。遺言書があれば、財産を、誰に渡すと、被相続人が決める権利があります。

当然、持っている人が遺言書にキチンと「誰にあげる」と記載されていれば、わざわざほかの相続人に頭を下げて、他人の実印と印鑑証明書をもらったりする必要性が、そもそもなくなります(誰がもらうと、遺言書なしで不明だったから、全員の了解が必要になるのです。そして全員の了解をもらった証明として、実印と印鑑証明の添付が必要となります)。

考えてもみてください。実印と印鑑証明書が欲しいと言われて、ハイハイとタダで渡す人がいるでしょうか? 誰でもが言い出すはずです、いくらもらえる権利があるんだ? と。もらえるものなら、いただきたいと、言われるはずです。

誰に頭をさげることもなく、遺言書がしっかりとあれば、指定した預金や不動産は、遺言書で指名された人のものになります(遺留分については、別途説明します)。

老後は、何が起きるかわかりません。認知症もあれば、いきなりの脳梗塞で半身不随になり、失語症で言語がでない。生きていたとしても、介護の状況によっては、法律的な行為自体を遂行する能力がないと判定されることもあります。

特に財産をつくる力がある方は、どうしても体調を無理して生活してきた場合が多く、突発的な疾患になる場合も多いようです。

元気なうちに、特に50歳を超えたら、家族のためにきちんと遺言書を書くことは、これからの時代必須になるかもしれません。もし、似たようなシチュエーションでいらっしゃるなら、パートナーと相談して、遺言書を書いてもらいましょう。

理想的なのは、ご夫婦それぞれが、お互いに対して、遺言書をキチンとつくることだと思います。

高齢の親の主張は?

今回の例とはシチュエーションが違っていても、意思を表示しておくことで、残された家族がトラブルに巻き込まれるのを防ぐことができます。

よくある話なのですが、相続の現場では年齢が高い人も多く、話し合いということ自体を拒否する人も多いようです。遺産分割協議書の作成自体を、認めないという人です。

例えば、残された妻が、自分が夫と一緒につくった財産だから、子供にも誰にも渡さない。ついては、銀行に出す書類に必要だから、実印と印鑑証明書を持って来なさい。といって、子供たちに白紙の用紙にハンコを押させようとした、という事例もあります。

年老いた妻としては、すべての財産を自分が相続するのが当然、という気持ちも強いので、相続人間の話し合い自体の必要性を認めない、という人も多いです。結果として、白紙の用紙に実印を押せという話になります。

このときに、道理を説いて、遺産分割協議書を作成するのが本当だよと言っても、高齢者の場合、頑固で言う事を聞かない人も多く、もめることもしばしば。法律的に必要なことであっても、理解をそもそもするつもりのない人への説得は、非常に骨が折れます。

私もこういったシチュエーションで、「頑固な老齢者を説得してほしい」と依頼を受けることがよくありますが、周りの方がかなり精神的に疲労していると感じます。

このような場合でも遺言書があれば、丸く収まるのです。親の相続がある方も、元気なうちに親と話して、遺言書をつくっておいてもらうのが、先々のトラブルを回避するひとつの助けとなります。

知って得する「配偶者のためのワンポイント税務」

ここで先ほどのトラブルとは別の、「妻への遺産相続が成功した」クライアントの実例をご紹介します。

●一戸建てを売却して、都心のマンションへ

責任のある仕事をしている院長先生。精神的な仕事だからこそ、プライベートの時間はゆっくりと過ごしたい。

休診日の前日の夜は、四谷の老舗フレンチを独立したシェフのお店に、お祝いを兼ねて。和のテイストを加えた新しいコースを楽しんだり、新国立劇場でのオペラや、皇居外苑のマラソンも楽しみたいなと。やっぱり時間が一番大切と痛感。思い切って郊外の自宅から、都心の低層階のマンションへ。

移り住んで、わかるのは都心には楽しみがあふれていること。高級スーパーや、デパートの地下には、新鮮な食材もすぐ手に入る。

バターナイフも、クリストフルで一本試しに購入してみたら、思いのほかエレガントなバター扱いができることに惚れ惚れ。小さな贅沢だけど、バターナイフは、一生もの。しみじみ都心暮らしを楽しんでます。と小さな声で教えてくださるのは、可愛い奥様。

一戸建ての売却のポイント

住んでいたのは、両親が古くから住んでいた浦和の一戸建て。昔の埼玉は田園地帯で、広くても、手ごろな金額で購入していたので、土地建物の取得費は、500万円ほど。相続でもらったものだから、いきなり3億で売れるといわれて、うれしいけれど、税金のことが心配に。

ざっくりと計算してもらうと、税金だけで58,565,000円。手取りは、241,435,000円。

●売る前に、20年以上連れ添った妻への、贈与を実行

実は、ふたりの婚姻期間は20年を超えているので、夫婦間での居住用不動産の贈与の特例が使えます。これは、贈与税の毎年の非課税枠の110万円にくわえて、2000万円の非課税枠が追加され、合計2110万円の非課税となります。

この特例を使い、居住用不動産の名義を、夫だけの単独名義から、夫婦ふたりの共有名義に変更します。

●マイホームを売ったときの特例を、ダブル適用に!

マイホームを売ったときの特例ですが、単独名義なら、3000万円まで。でも、ご夫婦の共有名義だったら、一人当たり3000万円までなので、ふたりで合計6000万円までの適用が受けられます。

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夫婦間での居住用不動産の贈与の特例について

●共有名義にした後、売却するときの税金は「減額」される

ふたりの共有にした場合の税金を計算してもらったら…税額は、58,565,000円から51,935,000円へと減額。売却益の手取りは6,630,000円増えることになりました。

●663万円の使い道

夫婦ふたりの名義にしたあとに売却したことで、手取りが663万円増えました。

テレビを見ながら、ゆっくりとしようと、座り心地のよいソファをひとつ追加購入しました。休日は、休みがとれることで、院長もリフレッシュして、診察も楽しめるように。

都心への住宅の移転をする方が増えているのは、都心の楽しみに加えて、郊外の土地の売却が高値で可能なときに、利益確定させようとする意味も含まれていると感じています。

人生の時間のなかで、楽しめる時間は長くないこともみなさん医療職だからこそ、このことを重々ご存じなのだと思います。

この記事の執筆者
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WRITING :
尾上千晶
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