文化は山脈のようなもの

井上 ブリア=サヴァラン(※1)の『美味礼讃』(※2)に「料理人にはなれても、ロティスリー(焼肉師)のほうは生まれつきである」という言葉があります。今は美味しいことが正義ですが、やがてそれは当たり前の時代が来る。料理人がロティスリーに勝てない時代が来ると思うんです。そうしたら、何で勝負するのか。それはその人間やお店の美学や文化への理解度や成熟度ではないかと。

『アーツ』の井上大輔氏
『アーツ』の井上大輔氏

井上 同じく『美味礼讃』には「禽獣はくらい、人間は食べる。教養ある人にして初めて食べ方を知る」という名言もあります。これをバーテンダーは、お客さんと共有できないと先がないと感じています。飲んで味を語るのもいいですが、本当の意味での飲み方、お酒の愉しみ方を教えられる店が少なすぎます。バーは本来の社交場として在り方も見直して、より文化的な方向に進んでいくべきだと感じています。

尾崎 バーテンダーに限らず、今の人は全体の文化を語れなくなりました。

井上 うちのお客様も自分たちの職業、専門においてはすごく詳しい。ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(※3)とヘルベルト・フォン・カラヤン(※4)の指揮の違いとか。でも千利休とルネッサンスの時代の何が相違点だとか、そこまで突き詰めて言える人っていないですよね。文化は山脈みたいなもの。一つだけで成り立つ山はなくて、地続きのように必ず物事は全部関連性があるのに。

井上氏に『バー・ラジオ』に置いてあるリカーを紹介する尾崎氏
井上氏に『バー・ラジオ』に置いてあるリカーを紹介する尾崎氏

尾崎 指揮者は目立つのだから、いい洋服を着て、いい後ろ姿で、ヘアスタイルだって格好良くしてほしい。カラヤンは、仕立てのいい洋服を着て指揮をしていたから美しかった。安物の洋服を着ていたら、美しい音楽は表現できませんよ。本だっておもしろい小説だったらいいのではなく、できたら活版印刷で、いい装丁をしてこそ。見た目の美しさが内容の高さにつながるというものです。

井上 この間、ボドニというフォントのデザインをされた人の洋書があったんです。すごく格好よくて、中身も全く見ないで、買ってしまったみたいな。そういうのもなくなってしまいましたよね。エスプリを感じなきゃ。

井上氏が所有するフォントに関する洋書
井上氏が所有するフォントに関する洋書

尾崎 今の人は粋が何か知りませんよね。大げさに褒めたり、おいしいねとか直接的な表現はせず、ちょっと見て、口の端でニッと笑う。おだてたりはしないその褒め方が粋。

井上 外国の方はそういう感じですよね。

尾崎 今の人はすごく大げさに言うけれども、それはだめなの。『バー・ラジオ』で撮影するにしても、今の人は撮影する時に「ちょっとどけていただいてもよろしいでしょうか」と言うでしょ、私に。昔撮影した篠山紀信さんや立木義浩さん、操上和美さんたち、そんなこと言いませんでしたよ。「尾崎さん、こっち向いて」と。短い言葉でピシッと伝えられました。お客様も「メニューを見せていただいてよろしいですか」とか「お会計していただいてよろしいですか」って、今の人はみんな言う。全くまどろっこしい。当然のことを「していただいてよろしいでしょうか」と言うのは、言語として間違っていると思いますし、もっと自信を持ってほしい。 正しくて美しい言葉づかいをしてほしいです。

『バー・ラジオ』の尾崎浩司氏
『バー・ラジオ』の尾崎浩司氏

言葉が増えた代わりに美意識が下がっている

井上 美学の概念はプラトンの頃からあるらしいのですが、言葉としては1750年にバウムガルテンという哲学者が定義して生まれたそうです。「愛している」を上回る単純で明確な言葉がないように、「憧れ」よりもこなれた思いを伝える単純な言葉がないように、美学は伝える言葉をみんな探していたんだと思います。美学が言語としても解釈が難しいですが、明確に伝えることすらも難しいです。

尾崎 今は昔になかった単語がいっぱい生まれてきて、言葉が豊かになっているわけですよね。利休の時代は、「これは美しい」ぐらいしか言っていなかったはずです。でも言葉が増えてきた代わりに美意識は下がっている。反比例しています。

美学について語る二人
美学について語る二人

尾崎 言葉がなかった時代、ダ・ヴィンチやミケランジェロは、素晴らしい表現をやっているんですよね。昔のアーティストは、貴族や王様といった偉大なパトロンを持っていたから。利休も秀吉がついていた。これが今の我々にはなく、自分で稼いで、美学を表現しなければいけない。パトロンがついていて、お金を出してくれて表現できていたから、物事に専念して、いい仕事ができたんですよね。

井上 結局、人間はシンプルなものに惹かれるんだと思います。だからこそ、美学は大事であり、それを文化として紡いでいくことが重要です。

尾崎 最近は料理も、やりすぎを改めて昔のようなシンプルでいて上質なものを出すシェフは良いお客を集めていますよ。シンプルな、良いスーツもだんだんわかるようにね。

※1 1755年、フランス生まれ。政治家。正式名ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン。1826年没。
※2 ブリア=サヴァランによる1825年の著作。食事にまつわる事柄を哲学的に考察した随筆集。
※3 1886年、ドイツ生まれ。指揮者、作曲家。1954年没。
※4 1908年、オーストリア生まれ。指揮者。1989年没。

尾崎浩司さん
『バー・ラジオ』マスター・華道小原流教授
1944年生まれ。1972年『バー・ラジオ』、1986年『セカンド・ラジオ』、1998年『サード・ラジオ』をオープン。茶道の美意識を基に、独学でバーテンダーとしての現在のスタイルを作り上げる。現在は『サード・ラジオ』を改め『バー・ラジオ』の1店を営業中で、尾崎氏は月に10日ほど店に立っている。華道小原流教授。
 
 
井上大輔さん
バー『ARTS(アーツ)』のオーナーバーテンダー
南青山3丁目にあるバー『ARTS(アーツ)』のオーナーバーテンダー。尾崎氏を思慕するバーテンダーの一人。尾崎氏の美意識を追求する姿勢を敬愛し、自らもバーとはおいしい酒を嗜む文化・芸術の実験的空間と捉え、店名を『ARTS』とする。
この記事の執筆者
フリーランスのライター・エディターとして10年以上に渡って女性誌を中心に活躍。MEN'S Preciousでは女性ならではの視点で現代紳士に必要なライフスタイルや、アイテムを提案する。
PHOTO :
小倉雄一郎
COOPERATION :
ARTS
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