地上から小生たちが見上げる満月ではウサギが餅をついているが、他の国ではそうとは限らない。ヨーロッパでよく言う“本を読むスカート姿の女性”は小生にもまだわかるとして、”吠えているライオン”“大きなはさみのカニ”は、どう見ればそうなるのか。見上げる月が決して同じではないのは、それがただの天体ではないからだ。75億の人類はみな同じ空の下に住んでいるけれど、月への想いは異なっている。エルメスが描く月はきっとそうした、“エルメスの月”に違いない。

「時」が月とダンスするロマンチックなムーンフェイズ機構を搭載

2つの月と、2つの可動式インダイヤル。ムーンフェイズ表示を革新した機構は、誰も見たことのない独創的なデザインと一体だ。左:アベンチュリン製ダイヤル/右:メテオライト製ダイヤル/共通:●自動巻き ●18Kホワイトゴールド ●ケース径43mm ●パワーリザーブ約50時間 ●アリゲーター革ストラップ ●防水3気圧 ¥3,200,000(税抜き予価、6月頃発売予定)※世界限定 各100本  Photos:Joël Von Allmen
2つの月と、2つの可動式インダイヤル。ムーンフェイズ表示を革新した機構は、誰も見たことのない独創的なデザインと一体だ。左:アベンチュリン製ダイヤル/右:メテオライト製ダイヤル/共通:●自動巻き ●18Kホワイトゴールド ●ケース径43mm ●パワーリザーブ約50時間 ●アリゲーター革ストラップ ●防水3気圧 ¥3,200,000(税抜き予価、6月頃発売予定)※世界限定 各100本  Photos:Joël Von Allmen

「アルソー ルゥール ドゥ ラ リュンヌ」で描かれるのは、南と北の両半球から観た2つの月である。アべンチュリンの星空か、またはメテオライトの暗夜に浮かぶマザー・オブ・パールの月は、ほの白く美しい。その完璧な円形を、それぞれ時刻と日付を示すインダイヤル=本来の時計部分が、ずれゆきながら隠していく。満月から新月、そして満月へ。月の表情は29日半で元に戻るが、その時にインダイヤルは左右が入れ替わる。全ての位置が元のかたちに帰還するのはもう1周期を超えた、59日目のことだ。

エルメスが魅せる「時」

マザー・オブ・パールの月の上空を、スモールダイヤルが通過していく。従来のムーンフェイズではあり得なかった、主客逆転のダイナミズムで魅せる。Photos:Joël Von Allmen
マザー・オブ・パールの月の上空を、スモールダイヤルが通過していく。従来のムーンフェイズではあり得なかった、主客逆転のダイナミズムで魅せる。Photos:Joël Von Allmen

 およそ2か月にわたるスペクタクルでは、毎日の舞台転換が見せ場となる。夜中の0時に日付、午前3時ごろには月相が、一瞬で進むジャンプをしてみせる。誰も思いつかなかった表示機構は、エルメスのためにだけ考案され、製作された特許申請中のモジュールによるものだ。エルメス・マニュファクチュール機械式自動巻きムーブメント、H1837との組み合わせは、あたらしいコンプリケーションの傑作となった。

 アシンメトリーなケースや流れるようなアラビア数字は、アンリ・ドリニーのデザインで1978年に誕生した「アルソー」から変わらずに踏襲している。そして、スカーフ“カレ”の数々をデザインしたディミトリ・リバルチェンコの “ペガサス”が、実は南(sud)の月にうっすらと転写されているのである。馬具商をルーツとするパリのメゾンらしいエルメスのエスプリが、無意識の中に、月にいる天馬の魅惑的な錯視を刷り込んでみせる。

南半球から見るエルメスの月は、ペガサスの影を写す。“カレ”に登場して話題となったディミトリ・リバルチェンコのモチーフが、天に昇った。Photos:Joël Von Allmen
南半球から見るエルメスの月は、ペガサスの影を写す。“カレ”に登場して話題となったディミトリ・リバルチェンコのモチーフが、天に昇った。Photos:Joël Von Allmen

 月にいる馬といえば、大英博物館にずっと以前からいる、パルテノン神殿を飾っていた月の女神セレネの馬の彫像が、小生は大好きだ。よほど女主人のために早駆けしたのか、その馬は息が上がりそうな躍動感で有名になった。いっぽう「アルソー ルゥール ドゥ ラ リュンヌ」に描かれたエルメスの天馬は、いまにも空に向けて駆け上がりそうに見える優美なシルエットが、いつまでも記憶にとどまるのである。

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この記事の執筆者
桐蔭横浜大学教授、博士(学術)、京都造形芸術大学大学院博士課程修了。著書『腕時計一生もの』(光文社)、『腕時計のこだわり』(ソフトバンク新書)がある。早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校・学習院さくらアカデミーでは、一般受講可能な時計の文化論講座を開講。