スクーターの不朽の名作‘ベスパ’が誕生したのは、第二次大戦終結から間もない1946年のこと。生みの親は、イタリア半島付け根の地中海に面した街ジェノバに本拠をおくピアッジオ社の社長、エンリコ・ピアッジオだった。

第二次世界大戦後、彗星のごとく現れた美しいスクーターは誕生の瞬間から「名品」の運命をまとっていた

セレブリティもストリートの若者もベスパに夢中だった

写真:Shutterstock/アフロ

戦時中は航空機をつくっていたピアッジオ社を、戦後は人々の暮らしに密着した平和産業に方向転換するべく彼が思い浮かべたのが、スクーターだった。で、その開発を一任されたのが、ピアッジオの天才的航空機設計者、コラディーノ・ダスカニオで、彼は社長の意図を完璧に理解し、イタリア語で「蜂」を意味するベスパの姿を製図板上に描き出した。

ベスパは二輪車ながらモーターサイクルの変形を目指したものではない。むしろ超小型の自動車を意図した乗り物だった。だからモーターサイクルでは中央に鎮座するガソリンタンクとエンジンをシート下の目立たぬ場所に収め、乗り手の脚の周囲に広い空間を確保、下に平らなフットボードを設けた。乗り手は両足を開くことなく座れるので、オードリー・ヘップバーンも乗れたわけだ。

小径タイヤのスクーターはそれ以前からあったが、ベスパはそれらよりずっと進歩的だった。最大のポイントはモノコックボディの採用にあり、クルマもボディと別体のフレームを持つのがまだ一般的だった当時、航空機メーカーの経験を生かして、ピアッジオはスチール製モノコックボディを実現したのだった。

98cc強制空冷2ストローク単気筒エンジンと3速ギアボックスをボディ右後方に収めて登場したベスパは、すぐに人々を魅了するが、その要因のひとつはスタイリングにあったはずである。

ヘッドランプを上に載せたフロントフェンダーに始まるそのボディは、エンジンと後輪をカバーするリアカウルに至って、デザイン上のピークを迎える。フロアからシート取り付け部先端に向けて鋭くカーブしたラインの、なんとまぁ前進感にあふれて官能的なことか!

本来クルマより手軽に入手できる大衆のために移動の手段として開発されたベスパが、機能に裏打ちされたそのデザインゆえに階層を超えて愛される普遍的な魅力を放っていたのは、クルマでいえばシトロエン2CVやフィアット500、BMCミニなどと共通する。

写真:Everett Collection/アフロ

ベスパはイタリアの人々の足として大好評を博しただけでなく、世界中に輸出され、銀幕にも重要な小道具として出演、ハリウッドスターのようなセレブリティにも愛されて、幾多の伝説を生んた。

そこでもうひとつ、ベスパが世のダンディな男たちに熱愛された理由を推測してみると、そこには走らせる面白さがあったに違いないと思う。エンジンが片側に寄っているため、左右のバランスを保つことが必要なコーナリングや、グリップシフトのギアチェンジなど、クラシックなベスパを巧く走らせるには、様々なテクニックが必要だったはずだ。

クルマのドライビングとベッドでのテクニックに同じ価値を見い出す、イタリアの男たち。彼らにそれが響いたであろうことは容易に想像できる。そのイタリア男たちと同類の感覚を持つ世界中の男たちに、ベスパは愛されたのである。

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