どこでもない場所へ、「旅人」になるために|「終わりなき旅、ポール・ボウルズ」

1910~1999年。アメリカ・N.Y.出身の作家。1931年にはじめて訪れたモロッコに惹かれ、1947年にタンジールに永住。この地で映画化もされた作品『極地の空』(『シェルタリング・スカイ』)などを執筆する。ときに危険とわかっていても異郷に惹かれてしまう、人間の性に向き合い続けた。写真:Everett Collection/アフロ
1910~1999年。アメリカ・N.Y.出身の作家。1931年にはじめて訪れたモロッコに惹かれ、1947年にタンジールに永住。この地で映画化もされた作品『極地の空』(『シェルタリング・スカイ』)などを執筆する。ときに危険とわかっていても異郷に惹かれてしまう、人間の性に向き合い続けた。写真:Everett Collection/アフロ

私たちは旅をしているのだろうか、これは旅と呼べるのだろうか。出張先で、休暇先で、ついそんな気持ちがよぎることがある。10数時間かけて地球の逆サイドに飛び、ほんの数日間、いくつかの用件を済ませて、また日本に戻ってくる。あまりに慌ただしいその往復道程を旅と呼ぶことは憚られる気がするのだ。

だから時折、ラゲッジにポール・ボウルズの『雨は降るがままにせよ』を突っ込む。『シェルタリング・スカイ(極地の空)』でもいいかもしれないが、ストーリーを追って哀しみが勝ってしまうので敬遠しがちだ。主人公にボウルズ夫妻を重ね合わせてしまうからかもしれない。ひとりの素朴なアメリカ人ダイアーが不用意にモロッコを訪れ直面する状況を、ときに冗長と感じるほど丹念に描写した『雨は降るがままにせよ』は、旅を求める者を触発するような記述がふんだんに盛り込まれている。たとえば次のような一節。

「パリのモデルを気どってはいるが、たけの長いイヤリングのせいで服装からシックな感じが失われて田舎者のように見えるスペイン人の女がふたり入って来て、彼の隣に腰を下ろした。彼の前のテーブルでフランス人の男女がラム酒のバカルディスを飲んでいる。左には厳しい顔つきのイギリスの婦人がふたり。すこし離れた右にはアメリカ人がたむろしているテーブルがあり、いつもそのうちの誰かがふらっと立ってはカウンターにいる仲間としゃべりにいっている。奥の隅には小型のピアノが置かれ、眼鏡をかけた小柄な女がピアノの前に坐ってドイツ語で歌っていた。誰も彼女の歌声に耳を傾けてはいない。ダイアーはこの酒場がとても気に入った」(『雨は降るがままにせよ』ポール・ボウルズ著、飯田隆昭訳、思潮社より)

タンジールのとある店の様子を描いたこの文章は、どこでもない場所(ミドル・オヴ・ノーウェア)にあって、ただただ観察するだけの一対の眼の存在を浮かび上がらせる。その所在無さこそが旅の感触なのではないか。そして異国のコーヒーショップで適当にページを繰り、この眼差し、つまりボウルズの旅のマナーをなぞって本から目を上げたとき、ようやく「かりそめの旅人」になり得る気がするのだ。(文・『LAST』編集長菅原幸裕)

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MEN'S Precious編集部 
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MEN'S Precious2018年夏号より
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