8年ぶりに「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」を訪ねたら、その規模と内容がおおいに拡充していたのに驚かされた。

 マーチ伯爵改めリッチモンド公爵が主催し、イギリス南部グッドウッドにある彼の広大な領地で行われるこのイベントは今年で27回目の開催となる。

 来場者が増えたのは、場内の混雑ぶりだけでなく、駐車場の拡大からも伺えた。珍しいクルマがあっちにもこっちにも駐まっていて、このイベントが“駐車場から始まっている”のは以前と変わらない。

カーマニアもそうでない人も楽しめる

美しさと速さを備えた名車、ベントレー・“エンビリコス”クーペ。
美しさと速さを備えた名車、ベントレー・“エンビリコス”クーペ。

 会場内に足を踏み入れると、協賛している自動車メーカーの数じたいは大差なさそうだ。自動車メーカーだけで25社。日本からは、トヨタとホンダ。各々のブースでの展示の工夫や凝りっぷりが進んでいるようだ。

 奥の方へ進んでいくと、とても広い芝生の広場にもすでに人がたくさんいる。ベンチとテーブルなどの整備も進んでいる。

 2019年はベントレー創業100周年の年なので、歴代のベントレーがたくさん展示されている。その中に、有名な1938年の4.5リッター“エンブリコス”クーペが説明パネル1枚置いただけでサラッと展示されていたのにビックリした。実物を見るのは初めてだからだ。ベントレーに関心のある人の間では有名だが、ふだんはアメリカのコレクターの許にあって、なかなかその姿を拝めないから、ここで対面できるとは思っていなかった。

 この会場を歩いていると、「えっ、このクルマにお眼に掛かれるとは思ってもいなかった」と驚かされることが多い。それらはこの主催者のものなのではなくて、すべて世界中から運び込まれたものだということでも二重に驚かされてしまう。

 広場の周囲を眺めると、物販のテントや飲食のキッチンカーなども、より本格的なものが増えているように見える。

 まずは会場をグルッと一周してみようと歩き始めたが、陽射しが強い。帽子を忘れてきてしまったことを悔やんでいたら、物販テント群の中に帽子屋があった。キャップからハットまでたくさん売っている。ここで何か買おうかと品定めし始めたら店主が寄ってきた。

「これは天然の藁を使ったパナマだけれども、あっちは紙製だ。だから、安いんだ」

 較べてみると、質感がまったく違う。天然を購入。フェスティバル・オブ・スピードの物販テントは数えたことはないけれども、100店舗近くあるのではないか。クルマに直接関係しないけど、こうした屋外イベントには必要な、この帽子屋みたいな店も少なくなく、眺めて歩くだけでも楽しくなってくる。

現地で購入したハットを被る金子氏。
現地で購入したハットを被る金子氏。

往年の名車がさりげなく展示されている!

フェラーリ・166 MM/212。
フェラーリ・166 MM/212。

 ヒルクライムコースをまたぐ橋を渡り、向こう側に出ると、パドックだ。ヒルライムを走るクルマがここから出発し、戻ってくる。

 とても珍しい1950年型のフェラーリ166MM/212が停まっている。その向かいには、まだ発売前のカモフラージュラッピングが施されたレクサスLCコンバーチブルも停まっている。どちらも、ロープが張られることもなく、近くでじっくりと眺めることができた。こんなことができるのがフェスティバル・オブ・スピードの大きな楽しみのひとつだろう。

 大きな音がすると振り返ったら、1960年代のラリーカーの一群がパドックに戻ってきた。観客がそれを取り囲んで一斉にカメラやスマートフォンを向ける。

 と思ったら、その向こうで轟音が響いた。見れば、葉巻型のF1マシンが何台もエンジンを掛け始めたのだ。ラリーカーも見たいけど、葉巻も……。

 といった具合に、あちこちで貴重なクルマが走り出す姿を間近に見ることができるので、パドックは大人気だ。ずっとここにいたら、すべてのヒルクライム出走車を眼の前で見ることができる。

 モータースポーツと自動車の歴史を作ってきた名車中の名車ばかりが、まるでタイムマシンで現代に蘇ってきたかのように次から次へと眼の前を通っていく。

 幻ではないのか!?

 ここは天国か!?

 クルマ好きだったら、誰でも最初はこの光景が信じられないだろう。世界中のミュージアムやコレクターなどから集められた珠玉のクルマばかりが走っていく。

アルファロメオのラリーカー。
アルファロメオのラリーカー。
ポルシェ・911 SCラリーも走っていた。
ポルシェ・911 SCラリーも走っていた。

スポーツカーやレーシングカーは全開で走行

1936年式のブガッティ・タイプ57S アトランティーク。
1936年式のブガッティ・タイプ57S アトランティーク。

 ヒルクライムコース脇に移動してみよう。コースを行くクルマは、たとえそれが戦前のロールスロイスのリムジンであっても、結構なスピードで走っていく。スポーツカーやレーシングカーの多くは全開だ。

 たとえ、他のクルマと競い合うレースやラリーなどの競技ではなくても、エンジン全開で駆け抜けるクルマを眺めるなんて、そうそうできるものではない。それも、貴重なクルマや発売前のクルマを拝めるのである。

 だから、自動車メーカーはこぞって参加したがるのだろう。前出のレクサスだけでなく、ポルシェは同社初のEV(電気自動車)「タイカン」を走らせ、マクラーレンは発売直前の「GT」を華々しく公開し、走らせた。トヨタも、発売したばかりの「スープラ」を色違いで5台走らせ、トヨタブースでも何台も陳列し、ドアを開けて、自由に座ったり触れたりさせていた。

 出展されているのは、高性能を競うクルマばかりではないところもまたフェスティバル・オブ・スピードの魅力だ。

 宝飾・時計ブランドのカルティエがテーマを設けて逸品のクルマばかりを展示している。題して「Style et Luxe」。コンクルール・デレガンス(クラシックカーの“美”を競う品評会)のための展示だ。7つのカテゴリーに分けられた45台を11人のジャッジが審査する。ジャッジはクルマの専門家ばかりではなく、マーク・ニューソンやジョナサン・アイブなどのインダストリアルデザイナーやスポーツ選手、男女それぞれのスーパーモデルなども含まれているところが華やかだ。

 2019年はベントレーやシトロエンの創業100年の年だが、消滅してしまったフランスの自動車メーカー「ヴォワザン」(飛行機でも有名)も同様で、7台が審査の対象として持ち込まれた。イタリアのカロッツェリア「ザガート」も100周年で、同じくイタリアのメーカーでありチューナーでもあるアバルトは70周年だそうだ。

 それらが競われるとともに、1920〜30年代のブガッティが6台持ち込まれた。博物館だったら特等席に展示するはずのブガッティ「アトランティーク」がロープで囲われもせず、ゴロンと芝生の上に置かれているのがいかにもここらしい。

フォーマルな装いに身を包み、年に一度のモータースポーツイベントを楽しむ。
フォーマルな装いに身を包み、年に一度のモータースポーツイベントを楽しむ。

マクラーレンゆかりのデザイナーとデ・トマソ

金子氏もタキシードに着替えてマクラーレンの展示を祝った。
金子氏もタキシードに着替えてマクラーレンの展示を祝った。

 フェスティバル・オブ・スピードが素晴らしいのは昔を懐かしむだけでなく、最新の動きにも対応しているところだ。デ・トマソの創業60周年を記念したコンセプトカー「プロジェクトP」を特設ステージに展示するのと併せて、これまでの「ヴァレルンガ」や「パンテーラ」、「マングスタ」などを展示していた。

 そうしたクルマの脇にはオーナー名や解説を記したパネルが置かれているのだが、黄色い「ヴァレルンガ」のオーナー名を見てビックリ!

 なんと、あの「マクラーレンF1」やブラバムの傑作F1マシン群を設計した伝説的なレーシングカーデザイナー、ゴードン・マーレイだった。妥協を配した理想主義的な設計によって超高性能を発揮した「マクラーレンF1」はBMW製のV型12気筒をミッドに搭載し、1991年から製造された。

 一方のヴァレルンガも同様にフォード製1.6リッター4気筒をミッドに搭載し1963年に発表された、史上2番目の市販型ミッドシップ・スポーツカーだ。

 マーレイがヴァレルンガをどんな経緯から所有するようになったかはわからない。参考のために入手したヴァレルンガを今でも大切にしているのかもしれないし、マクラーレンF1とは関係なく、最近、手に入れたものなのかもしれない。

 いずれにしても、マーレイがミッドシップ・スポーツカーというものに、いまでも執心していることだけは確かだということだ。僕は勝手にそう思いたくなった。マーレイのマニア心というかクルマ好きの心情に共感したくなったと同時に、それを期せずして知ることになったこのイベントの奥深さに思わず溜め息をついた。

スーパーカー好きには懐かしいデ・トマソ。写真は初の市販モデル、ヴァレルンガ(手前)。
スーパーカー好きには懐かしいデ・トマソ。写真は初の市販モデル、ヴァレルンガ(手前)。
この記事の執筆者
1961年東京生まれ。新車の試乗のみならず、一台のクルマに乗り続けることで得られる心の豊かさ、旅を共にすることの素晴らしさを情感溢れる文章で伝える。ファッションへの造詣も深い。主な著書に「ユーラシア横断1万5000km 練馬ナンバーで目指した西の果て」、「10年10万kmストーリー」などがある。