1948年の年の暮れ、ヘミングウェイはハバナからビュイックとともに船に乗り込み、4番目の妻メアリーとイタリアへ向かう。目的は、ベニスの北方オーストリア国境に近いリゾート地コルティナ・ダンペッツォで休暇を楽しむことにあった。

コルティナ・ダンペッツォは、ヘミングウェイにとっては、若く貧しい頃、最初の妻ハドレーとスキーを楽しんだ土地であり、短篇『雨のなかの猫』の舞台となったホテルのある馴染みの場所である。'22年の有名な原稿盗難事件の後、失意のヘミングウェイが再生を期して挑んだ最初の短篇『季節はずれ』を書いたのも、ここだった。

ヘミングウェイの人生と作品に影響を与えた女たち

親子のように年の離れた2人

仲睦まじいベニスのヘミングウェイとアドリアーナ。ふたりの関係は、ほぼ一方的なヘミングウェイの片想いだったが、世界的に著名な文豪からの積極的なアプローチに、アドリアーナは戸惑いながらも女の顔をのぞかせていた。写真:Gamma Rapho/アフロ
仲睦まじいベニスのヘミングウェイとアドリアーナ。ふたりの関係は、ほぼ一方的なヘミングウェイの片想いだったが、世界的に著名な文豪からの積極的なアプローチに、アドリアーナは戸惑いながらも女の顔をのぞかせていた。写真:Gamma Rapho/アフロ

この因縁浅からぬ想い出の町でのんびり休暇を過ごしていたある日、ヘミングウェイは現地のイタリア貴族と狩猟を楽しんだ後、宿舎へと向かう途中、冷たい雨に打たれながら彼らの迎えを待っていたひとりの黒髪の美少女と出会う。顔見知りの伯爵から一緒に狩猟を楽しもうと誘われて近くの町からやってきた名家の令嬢アドリアーナ・イヴァンチックだった。

出会って一瞬にしてヘミングウェイはまるで大木が突然崩れ倒れるかのようにアドリアーナに心を奪われてしまう。雨のなか、小一時間も待たされ、すっかり身体が冷えきったアドリアーナに愛用のフラスコのウィスキーを熱心に勧め、暖炉の前で濡れた髪を乾かしていた彼女に愛用のくしを半分に折って渡した。

ヘミングウェイ49歳、アドリアーナ18歳。この時から、親子のように年の離れたふたりの奇妙な愛の物語が始まる。

パリ修業時代のハドレーとヘミングウェイ。パリ時代の家計を支えていたのは、両親の死でハドレーが受け取った証券の配当金だった。『雨のなかの猫』など数々の短篇のモデルにもなった。写真:GRANGER.COM/アフロ
パリ修業時代のハドレーとヘミングウェイ。パリ時代の家計を支えていたのは、両親の死でハドレーが受け取った証券の配当金だった。『雨のなかの猫』など数々の短篇のモデルにもなった。写真:GRANGER.COM/アフロ

狩猟を共に楽しんだ数日後、ベニスのハリーズ・バーで友人たちとアドリアーナの誕生日を祝って以降、ふたりは頻繁に会うようになる。イタリアを離れた後も熱心な手紙のやりとりをし、ベニスやパリで再会する。

さらにヘミングウェイはアドリアーナの兄の就職の世話にも積極的に骨を折り、彼女の絵の才能に喝采を送り、アドリアーナの可愛い甥のため、自分の3人の息子たちにさえつくったことのない童話『善良なライオン』と『一途な雄牛』を書き下し、遂にはキューバの自宅にまでアドリアーナを招待する。

好意的に見れば、アドリアーナは、ヘミングウェイが望んでも授からなかった待望の娘で、父親を早くに亡くしたアドリアーナにとってはヘミングウェイは頼もしい父親代わりともいえたが、ふたりの親密さはヘミングウェイの妻メアリーとアドリアーナの母親に強い警戒心を起こさせるに十分なものだった。

実際、キューバでは、決してふたりっきりにさせないよう、メアリーと母親があれこれと画策しなければならなかったほど危なっかしい雰囲気だったようだ。アドリアーナの帰国が近づくと、絶望のあまりメアリーに当たり散らし、汚い言葉でののしりグラスまで投げつけるほどだったというから、文豪の恋の病は身勝手でかなり重症なものであった。

ヘミングウェイはアドリアーナを「娘」と呼び、アドリアーナはヘミングウェイを「パパ」と呼んだが、一方でヘミングウェイは手紙や言葉でアドリアーナへの想いを時に直接的に時に間接的に繰り返し告白した。

2番目の妻ポーリンはもともとはハドレーの友人で『ヴォーグ』の記者。裕福な家庭に生まれ、全米でも指折りの富豪の叔父を持つ彼女は、ヘミングウェイにプール付きの豪邸や念願だったアフリカ旅行のチャンスを与えた。写真:AP/アフロ
2番目の妻ポーリンはもともとはハドレーの友人で『ヴォーグ』の記者。裕福な家庭に生まれ、全米でも指折りの富豪の叔父を持つ彼女は、ヘミングウェイにプール付きの豪邸や念願だったアフリカ旅行のチャンスを与えた。写真:AP/アフロ

ヘミングウェイにとってアドリアーナはたとえ数回の接吻(ヘミングウェイはこれをもったいぶって過ちと呼んだ)をしただけの間柄だったとはいえ、間違いなく恋の対象だった。いや、アドリアーナさえ受け入れてくれれば、本気で結婚を望んでさえいた。

アドリアーナは久しく恋を忘れていた恋多き男に恋心を抱かせたミューズであっただけでなく、作家としてのヘミングウェイにとって紛れもないミューズだった。

なぜなら、彼女と出会ったことが引き金となり、『誰がために鐘は鳴る』以来、もう書けなくなったといわれていたヘミングウェイ――この頃、死後大幅に改編されて出版された『エデンの園』や、やはり死後『海流のなかの島々』と題され出版された壮大な「海」の物語の執筆にヘミングウェイは行き詰まっていた――が10年ぶりとなる長篇を一気に書き上げてしまったからである。

表紙にアドリアーナが描いた絵が採用された、『河を渡って木立の中へ』は退役した大佐と若き伯爵令嬢の許されぬ恋を描いた作品だった。大佐がヘミングウェイ、令嬢がアドリアーナをモデルとしているのは明らかである。しかも、物語のなかで、ふたりは最後に性的にも結ばれる。言ってみればヘミングウェイは、現実でかなわない想いを作品のなかで半ば強引に成就させてしまったわけである。 

3番目の妻マーサは作家で野心的なジャーナリスト。積極的なアプローチでヘミングウェイを前妻から略奪した。しかし、家庭より仕事を優先し、子どもをつくることも拒否し破局を迎える。写真:Universal Images Group/アフロ
3番目の妻マーサは作家で野心的なジャーナリスト。積極的なアプローチでヘミングウェイを前妻から略奪した。しかし、家庭より仕事を優先し、子どもをつくることも拒否し破局を迎える。写真:Universal Images Group/アフロ

ヘミングウェイは自ら経験したこと、見たことを拠り所に作品を書いた作家だった。狩猟、釣り、ボクシングなどの趣味、アフリカを含む世界各地への旅、戦争、酒といったあらゆる体験が作品の骨となり、血となった。自身の恋愛体験もその例外ではない。

4番目の妻メアリーは、結婚後、キャリアを捨て、夫が仕事に集中できるよう献身的に尽くした。アドリアーナとの関係も、温かく辛抱強く見守った。写真:AP/アフロ
4番目の妻メアリーは、結婚後、キャリアを捨て、夫が仕事に集中できるよう献身的に尽くした。アドリアーナとの関係も、温かく辛抱強く見守った。写真:AP/アフロ

たとえば、出世作となった『日はまた昇る』は、ヘミングウェイが当時、想いを寄せていた自由恋愛主義の女性と天才闘牛士との出会いによって書かれたものだし、イタリアを舞台にした若い兵士と看護婦の悲恋を描いた『武器よさらば』も、第一次世界大戦時に負傷した若きヘミングウェイと当時、真剣に結婚を考えた赤十字の看護婦との現実の恋が下敷きになっている。『フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯』の悪妻も一時、ヘミングウェイと不倫関係にあったと噂される有名な美女がモデルといわれている。 

さらに、死後、発表された『エデンの園』も、最初の妻ハドレーと2番目の妻となるポーリンとの三角関係に悩んでいるときに3人で過ごした南仏での奇妙な旅の記憶がベースになっている。 

4人の夫人、それぞれの性格と魅力

また、ヘミングウェイは、器用に浮気を楽しむタイプではなかったため、いつも抜き差しならない恋をしては再婚を繰り返し、結果、生涯4人の女性と結婚している。普通、シリアスな不倫をしているとなかなか仕事など手につかなくなると思うのだが、ヘミングウェイの場合、まったくの逆で私生活の恋がスリリングであればあるほど筆が走る傾向があった。

たとえば、『日はまた昇る』が書かれ始めたのは、件の自由恋愛主義者と疎遠になった直後。最初の妻ハドレーと彼女の友人だったポーリンとの不倫時期とも重なる。スペイン内戦の際も、ヘミングウェイは映画の撮影に立ち会い、戦地を取材をする一方で『第五列』という戯曲を精力的に書いているが、この時は従軍記者だったマーサとの不倫の真最中で、劇中にも明らかにマーサとおぼしき女性が登場する。『誰がために鐘は鳴る』が書かれたのも、ポーリンとの離婚話が進んでいる最中のことである。

そう、恋はヘミングウェイにとって紛れもなく創作のカンフル剤だったのだ。

『老人と海』を書かせたのは恋の魔法だった。

スランプの文豪を復活に導いたイタリア美女アドリアーナ。ベニスを代表する名家の令嬢。18歳で社交界デビュー。快活にして聡明で詩や絵にも才能を発揮した。『河を渡って木立の中へ』のレナータのモデルとしてスキャンダル渦中の人となる。ヘミングウェイの死後、ふたりの交流を綴った回想録『白い塔』を出版している。写真:Gamma Rapho/アフロ

ところで、アドリアーナとの出会いから生まれた『河を渡って木立の中へ』だが、生前発表されたヘミングウェイの長篇のなかでは、もっとも批評家から酷評された作品だった。ならば、アドリアーナはミューズではないではないか、とおしかりを受けそうだが、ヘミングウェイはそのリベンジをしっかりと果たしている。

キューバで出版されたばかりの『河を渡って木立の中へ』を嬉々として渡したものの、アドリアーナから「イタリアにこんな女性はいません。もっといい作品を書いて欲しい」とせがまれたヘミングウェイは、その言葉に励まされるように腹案にあった中篇の構想を固め、本格的な草稿に取り掛かったからである。

この2年後に出版され、翌'53年にヘミングウェイにピューリッツァー賞をもたらし、ノーベル文学賞を決定的にしたともいわれる傑作『老人と海』こそ、ヘミングウェイがアドリアーナとの約束を果たすために取り組んだ作品だった。

そして、この『老人と海』の表紙には、再びアドリアーナの描いた絵が使われたのである。アドリアーナは、ヘミングウェイの創作への情熱と活力を引き出す本物のミューズにこの時なったといえるかもしれない。

しかし、恋の魔法の時間は永遠ではない。ヘミングウェイの結婚願望とアドリアーナの友情を堅持したいという気持ちの対立、アドリアーナの婚約者の登場などが重なり、ふたりの奇妙な友情もまた自然消滅せざるをえなくなる。

ヘミングウェイと疎遠になったアドリアーナは、その後、幸福とはいえない半生を送る。2度の結婚はいずれも失敗。ヘミングウェイとの想い出を綴った著作は不評。酒に溺れ、息子とも仲違いし、神経を病み、最期は、首つり自殺をし、亡くなった。ヘミングウェイの方も、最後の恋に破れた後、まるで運が尽きたように、大事故、長年の不摂生による体調の悪化、鬱病など不運が続き、作品を1冊も書き上げられなかった。

最期は書けなくなったことを呪うように自らを手にかけることになる。愛用の散弾銃でヘミングウェイが自殺したのは、7月2日のことである。

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