『トリスタンとイゾルテ』といったワーグナーのオペラから宝塚歌劇まで、世界中の舞台や映画、TV番組などで取り上げられてきたアーサー王をめぐる物語。19 世紀の紳士の誕生にも大きな影響を及ぼしたこの物語には、遠くケルトに遡る土地の記憶が色濃く反映され、陰影に富む現代英国の古層を成している。

英国の光と影をめぐる考察

 英国の歴史は、多くの民族が行き交い、国外の系統を引く王たちを何度も迎え、最終的に4つの地域(イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド)の集合体に落ち着くまでの波瀾万丈の連続である。

 歴史の最初期を彩るのは、紀元後43年に始まったローマ帝国によるブリテン島(ブリタニア)の支配である。その後、ローマ帝国衰退後の5世紀にはアングロサクソン人が島への侵攻を開始するが、島の先住民族ブリトン人(ケルト人)は当然、ゲルマン系のアングロサクソン人に抵抗した。

 6世紀前半に『ブリタニアの破壊と征服』を著したギルダスは、アングロサクソン軍がベイドン山の戦いで敗北を喫したと述べているが、勝利したブリトン軍の指揮官の名を挙げてはいない。

 この指揮官に「アーサー」の名を与えたのが、9世紀前半に『ブリトン人史』を編纂したネンニウスであり、アーサーはベイドン山での最終決戦で、960人の敵兵を一人で殺めたという。

 このようにアーサーは、ブリテン島へ来寇したゲルマン軍に抗したケルトの英雄として、中世初期に登場する。『ブリトン人史』から約3世紀の時を経て、英国がノルマン朝からプランタジネット朝への移行期に入ると、アーサーのイメージは劇的な変貌を遂げる。その立役者は、オックスフォードで学問を収めた修道士、ジェフリー・オヴ・モンマスである。ジェフリーは『ブリタニア列王史』(1138年頃)の中で、建国者ブルートゥスに始まる99人もの歴代のブリタニア王の治世とその業績を記す中で、実に全体の3分の1の分量をアーサー一代記にあてている。

 ネンニウスがブリトン軍の「戦闘隊長」だと記していたアーサーを、ジェフリーはヨーロッパのほぼ全域を支配下に収める「王」へと変えた。ヨーロッパ中世初期の歴史には当然、このような史実は存在せず、8世紀前半にビードが著した『英国民教会史』にもアーサーへの言及は出てこない。

 『ブリタニア列王史』を伝える現存写本が215点を超えることは、この年代記が同時代のベストセラーだったことの証である。ジェフリーは聖職者としての出世を目論み、この書物を時の権力者に献呈したと考えられている。史実と虚構を織り交ぜた『ブリタニア列王史』の内容は、支配層にとっても申し分ないものだった。

 なぜなら、大陸からブリテン島へ渡り、島の新たな支配者となったノルマン人の王朝と、それに続くプランタジネット朝は、島の歴史の中に王権の根拠を求める必要があったからである。ジェフリーが創り出したのは、アングロサクソン来寇以前の島の住人がケルト系のブリトン人であり、その遠い祖先がローマ建国の英雄アエネアスだったという筋書きである。

 一方で当時の大陸側に目を向けると、フランスではカペー朝が台頭し、カール大帝(シャルルマーニュ)を偉大な祖先として仰いでいた。そのため、ジェフリーはカール大帝に匹敵する模範的君主として、歴史の闇からアーサー王を担ぎ出してきたのである。プランタジネット朝の支配層はフランス語を用いていたため、ラテン語で書かれた『ブリタニア列王史』はフランス語に翻案され、『ブリュ物語』として世に問われるようになる。

 これを契機にして「アーサー王物語」が、英仏のフランス語圏で誕生する。その先駆けとなったのは、フランスのシャンパーニュ伯爵の宮廷で、伯夫人マリーの依頼を受けて、円卓騎士の物語を著したクレティアン・ド・トロワである。マリーの父はルイ7世、母はこのフランス王と離婚してプランタジネット朝のヘンリー2世と再婚した女傑、アリエノール・ダキテーヌである。

 マリーは、最古のトルバドゥール(南仏詩人)を祖父に持つ母の文学趣味を受け継ぎ、文人たちのパトロンとして、アーサー王と円卓騎士団が繰り広げる武勇と恋愛の物語の誕生を後押しした。

 12世紀後半以降になると、「トリスタン伝説」や「聖杯伝説」を取り込みながら、フランス語による韻文・散文の膨大な物語群が出来上がり、ヨーロッパ全域に伝わって様々な言語で書き継がれていく。トマス・マロリーが中世英語で1470年頃に著し、英国最初の印刷業者キャクストンが1485年に刊行した『アーサーの死』は、この文学ジャンルの集大成である。

物語に刻印されている、ケルトの文化・習俗

 物語の舞台をケルト文化圏に持つ「アーサー王物語」には、当然ケルトの神話や伝承が息づいている。まずはアーサー王本人であるが、その名がケルト諸語で「熊」を指すのは偶然ではない。ケルト文化圏では、熊は戦士階級の象徴であり、例えばアイルランドでは上王が「熊王(アルドリー)」という称号を持っていた。

 ジェフリーの『ブリタニア列王史』によると、甥モードレッドが率いる軍との最終決戦で瀕死の重傷を負ったアーサーは、怪我を治すためにアヴァロン島へ運ばれたとされ、中世の「アーサー王物語」もこの筋書きを踏襲している。

 アーサー王は亡くなってはおらず、英国の危急のときに帰還するという信仰は、この伝承に基づくものである。しかしアーサーの神話的な姿が熊であるなら、海の彼方に位置するアヴァロン島で怪我の回復を待つアーサーは、「冬眠」中なのかもしれない。ケルト世界ではリンゴが不死を象徴するため、「リンゴ畑」を指すアヴァロンは「常若の国」に違いない。

「アーサー王物語」に潜むケルト的要素を探り当てるには、アーサーを取り巻く人物たちに注目する必要がある。中でも王の助言者となる魔術師マーリンと、王妃グウィネヴィアは、ケルトの息吹を強く残す存在である。13世紀前半にフランス語で書かれた物語によると、マーリンは男性夢魔(インクブス)と人間女性の子として生まれたために過去と未来を知る能力を授かり、予言者としてアーサーに仕えて王国の安泰に力を貸す。

 ケルト社会では世俗の権力を握る王と、霊的・宗教的な分野を仕切るドルイド僧が二人三脚で王権を支えたが、アーサーとマーリンはこれを物語の世界で演じている。老境に達するとケルトの神域としての「森」での生活を好むマーリンであるが、その名がウェールズ語で「海の子」を意味することから、マーリンの祖型は変身を得意とする海神だと考えられる。

 マーリンがアーサー王国の陰の支配者であるとすれば、王妃グウィネヴィアは「支配権」を具現する存在である。ウェールズ語で「白い幽霊」を意味するグウィネヴィアはいわば、ケルトの女神の化身としての妖精であり、アーサー王は彼女との婚姻を経て初めて権力を行使できるようになる。

 妖精の握る「支配権」は永久不変のものであるが、人間の王は死すべき存在であるため、妖精はやがて年老いた王を捨てて若い英雄へと走ることになる。

 アイルランドのアルスター物語群に登場する、常に愛人を隠し持っていたコナハト王妃メドヴと同じく、グウィネヴィアも数多くの騎士と性的な関係を持ったとされるが、こうした「聖娼」としての王妃の姿は、「支配権」の獲得が困難であることを表している。グウィネヴィアが勇士ランスロットとの不倫関係に入ると、アーサー王国はたちまち崩壊へと突き進むことになる。

「アーサー王物語」の主な内容

サクソン人に勝利したブリタニア伝説の王ユーサー・ペンドラゴンと敵国の妃イグレインとの間に誕生したアーサーは従者の子として育てられたが、ある日岩に刺さった聖剣エクスカリバーを抜いたことで王の子であることを知る。アーサーはペンドラゴンにも仕えた魔法使いマーリン、キャメロット城の円卓を構成する12人の騎士たちの支えを得てサクソン人らと戦い、英国からフランスに至る一大帝国を築く。グウィネヴィアという高貴な女性を妃に迎えて、聖杯をめぐる冒険譚なども交えつつ、王政の繁栄が描かれる。だが、円卓の騎士のひとり、ランスロットとグウィネヴィアの不倫を機に円卓騎士団は崩壊、逃亡したランスロットを追ってアーサーはフランスに赴く。しかし留守を任せた甥モードレッドが謀反を起こし、戻ったアーサーはそれを鎮圧するものの、自身も深手を負う。同じく円卓の騎士のひとりベディヴィアに聖剣を湖の精に返すよう指示したアーサーは、アヴァロンへと船出するのだった。

ブリトン人が活躍した時代の英国

紀元前1200年から500年の鉄器時代にヨーロッパで発展したケルト人。戦士たちが支配し、傭兵として他民族のもとで戦った彼らの様子は、ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』に記されている。ブリテン諸島、現在の英国にケルト人が住んだ時期は明確ではないが、43年にローマ帝国がブリタニアに進出し、ケルト人と戦いこれを制圧した。このときローマ人はケルト人をブリトン人と呼んでいる。407年にローマ帝国がブリタニアを放棄すると、ブリトン人が小国家をつくるものの、デンマークや北ドイツのゲルマン人一派、アングロサクソン人が進出し、7世紀頃にはアングロサクソン人の七王国がイングランドを支配した。ブリトン人はウェールズやコーンウォール、さらにはフランスのブルターニュ地方へと追われた。その一方でスコットランドやアイルランドには引き続きケルト人系の国家が存続していた。アーサー王物語は、この時代の変遷を反映している。

この記事の執筆者
TEXT :
渡邉浩司 フランス文学者
BY :
MEN'S Precious2016年秋号 英国の光と影をめぐる考察より
中央大学経済学部教授。専攻は中世フランス文学。編著に『アーサー王物語研究』(中央大学出版部)、共訳書にマルカル『ケルト文化事典』(大修館書店)、ヴァルテール『中世の祝祭』(原書房)などがある。
クレジット :
文・渡邉浩司 構成/菅原幸裕