楕円球のスポーツ、ラグビー。それは19世紀の英国でパブリック・スクールでの教育手段として始まった。勝敗を目的とするのではなく、試合を通して、自己を知り、己を律し、仲間を敬うことに主眼を置いていた。走り、ぶつかり合う激しさが高揚感をもたらしながらも、「紳士のスポーツ」と崇高さをもって呼ばれるラグビーの真実をさぐる。

■:近代スポーツの誕生

「スポーツ sports」という言葉は、ラグビー、サッカー、ジョギング、水泳など「身体の運動」という意味で使われている。

しかし本来、身体の運動を意味する語は「アスレティック athletic」で、英語の「スポート sport」には身体の運動という意味は含まれていなかった。

「スポート sport」の語源はラテン語の「デポルターレ deportare」とされる。これは、de(遠くへ)と、portare(運ぶ)の合成語で、元来は「あるものを持ち去る」ことを意味した。それがフランス語の「deporter」へと変化し、「気晴らし」「なぐさみ」という意味で用いられるようになった。

踊り、芝居、チェス、トランプといった娯楽も、この言葉に含まれていた。つまり、「スポート」という言葉は、「からだ」ではなく「こころ」に関わる事象を示すものだった。

では、なぜ、英語の「スポート」が運動競技という意味になったのか。それには、英国人の射幸心の強いギャンブル好きな国民性と、「ジェントルマン」と呼ばれる階級の存在が大きく関わっている。

ジェントルマンたちのスポート(余暇の楽しみ)といえば、ギャンブルと、乗馬や狩猟であった。その延長で、競馬や拳闘などの試合が彼らの支援の下で開かれた。こうして誕生したのが「パトロン(支援者)スポーツ」という独特のスポーツ形態で、必然的にギャンブルと密接に結びついた。

ギャンブルには公正さのために明確な規則(ルール)が必要なため、パトロンスポーツでもルールの成文化が進んだ。1744年には世界最古のゴルフのルール13カ条が定められている。

18世紀後半に入り、産業革命により中産階級(ブルジョワ)の影響力が増した。彼らはギャンブルや飲酒とセットになった従来のスポーツに批判的で、より理性的で合理的なスポーツを求めるようになった。この過程でもたらされたのが、19世紀にイギリス国内のパブリック・スクールに波及した「アスレティシズム」と呼ばれる、スポーツを通じて人格の陶冶やを目指す理念だ。

そして、ここからは、まだラグビーやサッカーが単にフットボールと言われていたころの、パブリック・スクールの激動の物語が始まる。

ラグビーのアーカイブ写真
1870年、パブリック・スクールのラグビー校の校庭でボールを追う生徒たちの様子。時は流れ、1932年の英国の大学対抗戦、バイシィ・ラグビー・マッチのワンシーン。写真 上:Bridgeman Images/アフロ 下:Mary Evans Picture Library/アフロ

■:19世紀の改革

英国発祥のスポーツ、とくにチームゲームであるスポーツの歴史は、パブリック・スクールの存在を抜きには語れない。

現英国王室の歴史より古いといわれるパブリック・スクールの歴史。最初は貧しい家庭の子供たちを教育する学校であったが、しだいに裕福な家庭の子供も受け入れるようになり、18世紀の後半から19世紀の初めには、パブリック・スクールは上流階級の生徒たちの学校となっていた。ところが、その内情は惨憺たるものだった。

上流階級の血を受け継ぐ生徒たちは、自分より身分の低い校長や教師を見くびって指導に従おうとしなかった。それに対し、失墜した権威を回復しようとする学校側の厳しすぎる規則や体罰が、かえって生徒たちの反抗を助長する原因ともなった。また、生徒間のいじめや喧嘩など、粗暴な雰囲気も蔓延し、校内の規律が失われていた。

このような状況が生徒の親たちにとって見過ごせない問題であることは当然で、その声もあって、パブリック・スクールに改革の手が加えられるようになった。時代は1830年代といわれるが、その改革の中心人物となったのが、「ラグビー校」のアーノルド校長だった。彼が、改革の手段のひとつとしたのがスポーツ。乗馬や狩猟という上流階級のスポーツをやめさせ、フットボールなどの団体スポーツを奨励したのである。

ボールを蹴るという遊びから始まったフットボールを、ルール化することによって「規律あるスポーツ」へと変化させ、それを通して「生徒間の秩序を確立」しようというもの。さらに、厳格な監督に従わせるのではなく、生徒たちの自尊心を養わせ、「生徒ひとりひとりをジェントルマン(紳士)として待遇する」ことを行ったのだった。

また、アーノルド校長は、社会的な力をもつようになっていた中流階級の家庭の生徒を多く受け入れ、その一方で、貴族階級の子弟の入学を頑なに断った。それは、特権をもちながら義務の念に欠け、脱落した貴族階級に対する彼の批判とも言えた。

19世紀の半ば以降、各地のパブリック・スクールは、スポーツ熱の高まりを見せた。それは、アーノルド校長の理念に共鳴した教師たちと、その教師に指導された生徒たちによるものだった。そして、パブリック・スクール出身者の中には、大学を出て社会人になってからでもフットボールを楽しみたいと思う人たちが出てきた。彼らは同志をつのってクラブを組織し、土地を探してグラウンドをつくり、クラブハウスを建てた。こうして出現したフットボールのクラブが、後のラグビー誕生の大きな力となるのである。

ラグビーを知るための必読の書!英国のスクール小説の古典『トム・ブラウンの学校生活』

ラグビーに関係する書籍
本ページ、ラグビー史の「19世紀の改革」のパートの文中にしばしば登場する、パブリック・スクール「ラグビー校」を舞台にした小説。1857年4月に発売されている。あとがきによると、著者のトマス・ヒューズは1822年バークシア州アフィントン生まれ。11歳にして兄とともにラグビー校に入学。父親がアーノルド校長の人物と手腕に敬服して、ふたりをラグビー校に入学させたとある。この小説の主人公は元気いっぱいの少年、トム・ブラウンだが、ヒューズの半自伝的小説と言われている。アーノルド校長も実名で登場する。(岩波文庫・上下巻)

■:ラグビーとサッカー

このようにパブリック・スクールから発展していったフットボールが、どうしてラグビーとサッカーのふたつのスポーツに分かれたのか。その理由は次のような事情だ。

近代スポーツとして整備されつつも、19世紀半ばまでは様々なルールが存在していたフットボール。しかし、各地のチームが互いに試合をするようになると、ルールの統一が必要となった。そこで、イングランド全体の統括組織として、まず、1863年にFA(The Football Association)が設立された。

このFAのルールによるフットボールが、今日ではサッカーと呼ばれているわけだ。サッカーという名称は、19世紀末にオックスフォード大学の学生がフットボールの口語的な略称として使っていたといわれている。しかし、今日のイギリスではあまり使用されることはなく、サッカーは単に「フットボール」と呼ばれている。

そして、1871年には、いよいよRFU(Rugby Football Union)の設立となる。ラグビー校式のフットボールを楽しむクラブの幹部の呼びかけで集まった、ロンドンおよびロンドン周辺に所在する21クラブが設立メンバーとなった。ラグビーの誕生である。

こうして、様々なルールでフットボールをしていた各地のクラブや学校は、FAのルールを採用するか、RFUのルールを採用するか、いずれかの道を採ることになったわけだ。

二分化されていったフットボールだが、支持層の多くがパブリック・スクールの卒業生たちだったラグビーは、ファン層も中流階級以上の人間が多かった。一方でサッカーは、いち早く商業化したこともあり、広く労働者階級のファンに支持されていくようになる。今も、ラグビー場とサッカー場、それぞれの客席の雰囲気が違うが、そのわけはこの時代にあったのだ。

■:そして、現在へ

日本でのラグビーの始まりは、横浜で居留外国人たちによってプレーされたことだという。

日本で初めてラグビーチームが発足したのは1899年、慶應義塾大学でのこと。以降、日本のラグビーは、学校に根付くアマチュア・スポーツ(要するに学校のクラブ活動)として発展、ほとんど教育と一体となっていた。それは、前述した発祥のしかたに起因する。

発祥の地英国では、ラグビーは、ジェントルマンが余暇に楽しむスポーツとして「アマチュア主義」が守られ、パブリック・スクールや大学とのつながりが深かった。そのため、世界的にもラグビーは、人間形成のひとつの手段であり、紳士たる者の素養であるとされた。勝敗は大切にすれど順位をつけるものではない、という精神もあり、世界的な順位づけの大会も1987年に第1回ワールドカップが開かれるまで存在しなかった。

どの競技よりもプロ化が遅く、世界を統括する組織によってアマチュアリズムが撤廃されたのは1995年のことだ。

しかし、時代が変わりプロ化が進んでも、ラグビーの本質は変わっていない(変わったとすれば女性プレーヤーが珍しくなくなったことかもしれない)。

試合のために己を磨き、試合が終われば敵味方なくノーサイド。いや、ノーサイドの語は世界的にはもはや死語。前半が終わるハーフタイムに対して、試合終了はフルタイムと呼ぶのがご時世である。

が、今でも公式な試合にはブレザーやスーツにタイドアップした紳士の正装で出かけ、試合の後には敵も味方も互いに言葉と酒を交わす。試合終了を表す言葉は変わっても、その精神が一向に変わっていないのがラグビーだ。

今年、第9回のラグビーワールドカップが開催されている。しかも日本で。世界のジェントルマンたちの激しい闘いに刮目してほしい。


解説・赤峰幸生(監修)/1960年代後半から洋服づくりを手がけ、1990年に設立した企画会社インコントロでは、日本の洋服づくりを世界に発信する活動を続ける。2008年、カスタムクロージングのブランド「Akamine Royal Line」を立ち上げる。服飾文化研究家として文筆活動をしており、「英国とスポーツ」をテーマにした研究も長年行っている。

参考文献/『ラグビーの世界史』(白水社)、『フットボールの文化史』(ちくま新書)、『オフサイドはなぜ反則か』(平凡社ライブラリー)、『闘争の倫理 スポーツの本源を問う』(鉄筆文庫)、『世界服飾史』(美術出版社)、『イギリス文化55のキーワード』(ミネルヴァ書房)

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MEN'S Precious編集部 
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MEN'S Precious2019年秋号より
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宮澤正明
EDIT&WRITING :
堀 けいこ
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