ふと思ったのは、いつから日本のメンズファッション・シーンで、ジャンニ・アニエッリ(以下アニエッリ)のスタイルが取り沙汰されるようになったのか。私の個人的な印象であり、ショックを受けた思い出は、『L' UOMO VOGUE 』1989年7・8月号の表紙をアニエッリが飾ったことだ。

ダブルスーツを着用し、睨にらみを利かせたモノクロ写真。’80年代末といえば、ジョルジオ アルマーニを筆頭に、イタリアファッションが趨勢を極めた時代。売れっ子のモデルや「時の俳優」ではなく、老練な人物の表紙だった。ただ、恐ろしく存在感のある風貌が記憶に残った。

男がなりたい理想像!ジャンニ・アニエッリ

Photo/Getty Images

それから10年近く経ち、イタリアに渡っていた私は、テレビや雑誌で、再びアニエッリの情報を得るようになった。フィアット名誉会長としての顔、イタリア議会終身上院議員としての発言、ミラノのファッション関係者から聞く洒落者として、アニエッリのスタイルは、いつも話題だった。

シャツのカフの上に時計をつけ、スーツの足元にあえてカジュアルなブーツやドライビングシューズをはき、大剣よりも小剣を長くしてタイを結ぶ……、どれも刺激的で並外れている。そんなアニエッリの洒脱な着こなしは、後に多くのVIPたちにも影響を与えた。

フェラーリ元会長のルカ・ディ・モンテゼーモロ氏やトッズ会長のディエゴ・デッラ・ヴァッレ氏は、アニエッリが好んだスタイルのひとつ、ボタンダウンの襟のボタンを留めずにシャツを着用した。「タイ・ユア・タイ」の創業者にして粋人、フランコ・ミヌッチ氏は、アニエッリ風に小剣を長く結んだタイをアレンジして、洒落者のアイコンにもなった。

なぜ、多くのウェルドレッサーたちが、クセのあるアニエッリの着こなしをわざわざ取り入れるのか。表層的にまねているだけとは思えない。内面的にもアニエッリに近づきたいと考えたのではないか。

つまり、アニエッリの血筋のいい家柄や、国家を動かすほどのイタリアを代表する経営者であり、若い頃から有名女優と浮名を流したという事実と伝説。いわば、男が夢みる成功とスタイルの理想を成し遂げたからこそ、アニエッリのように振る舞いたかったのではないか。

生前、アニエッリと深交があった、上流階級に身を置くギリシア人ジャーナリストのタキ・テオドラコプロス氏は、自著『ハイ・ライフ』に収録した「スタイルとは何か?」と題するコラムで、こう綴っている。

〈深みのある人格が知らず識らずのうちににじみ出て、なにもしなくてもいつの間にかまわりの人間の関心を集めている、という点にある。フィアット社会長ジャンニ・アニエッリには、それがある〉

アニエッリが選んだ装いを振り返ってみると、やはり別格である。スーツはサルトリア・イタリアーナの頂点カラチェニをまとい、ドレスシャツはローマのバッティストーニ、カジュアルならダンガリーシャツを愛用し、靴はトッズなどのドライビングシューズをはき、180cmの体軀で存在感ある着こなしを披露した。

一方、仕事の面では、フィアット社の拡大に加え、新聞社のラ・スタンパ、サッカーチームのユヴェントス、ボルドー5大ワイナリーのひとつシャトー・マルゴーなどを手中に収めた。イタリアにおいて、第二次世界大戦の敗戦から立ち上がり、多角的なビジネスで成功し、なおかつ、ダンディな男として魅力を放った才能ある人物はアニエッリ以外にいただろうか。

前世紀のイタリアで人気の高かった多才なジャーナリスト、エンツォ・ビアージが『IL SIGNORFIAT』というアニエッリの評伝を著している。生誕からの年表や家系図、そのほか若い頃の話などをテーマにして、インタビューを交えた一冊だ。その中で、イタリアでも結構知られている、アニエッリが発したフレーズが興味深い。

〈Mi piace il vento perché nonsi può comperare./買うことのできない風が、私は好きだ(訳・矢部)〉

この文を引いて想うことは、どうにもならないのは自然現象だけで、すべてを手に入れた並々ならぬ矜持から生まれるユーモア。男たちは、そんな豪快で洒落っ気もある、アニエッリに憧れるのだ。

この記事の執筆者
TEXT :
MEN'S Precious編集部 
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MEN'S Precious2019年秋号より
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WRITING :
矢部克已(UFFIZI MEDIA)
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