残された妻が遺産分割によって苦しい生活を強いられないように…令和2年4月1日に新制度「配偶者居住権」が施行

【ケーススタディ】ケイコさん(65歳)と夫のエイジさん(80歳)は、一回り以上離れた年の差カップルです。3年前、物忘れが激しくなったエイジさんを心配し、専門のクリニックを受診したところ、認知症と診断されました。以来、ケイコさんは、自宅でエイジさんの介護をしています。

ケイコさんが、エイジさんと結婚したのは35年前。ふたりの間に子どもはいませんが、エイジさんは再婚で、先妻との間に息子のテツヤ(52歳)さんがいます。

ケイコさんと出会ったとき、エイジさんは離婚してから10年以上たっていて、テツヤさんは中学生。親権は、先妻がもったため、エイジさんとテツヤさんは離れて暮らしていましたが、定期的に面会して、養育費も欠かさず支払っていました。

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離婚しても父と息子の絆は続いていた

離婚したとはいえ、自分の子どもには変わりありません。前々から、エイジさんは、「自分が亡くなったら、財産の一部をテツヤに渡したい」と言っていたそうです。

「血を分けた子どもですから、夫がそう考えるのは当然だと思います。でも、我が家の財産は、ふたりで暮らしている自宅(一戸建て)と、老後資金として貯めてきた預貯金です。それを渡してしまうと、私自身が生活できなくなりそうで心配です。最近、新聞などで相続のことを目にすることが多くなったこともあり、我が家はどのように遺産分割するのが正解なのか、気になっています」(ケイコさん)

遺産分割のために自宅の売却を迫られ、生活が困窮する高齢の妻も……!

 実際、おもな遺産は自宅の土地・建物だけといった家庭では、遺産分割によって住む家を売却せざるを得なくなり、夫に先立たれた高齢の妻が苦しい生活を強いられているケースも報告されるようになっています。

そこで、こうしたトラブルを減らす目的で作られたのが、今年(2020年)4月1日に施行される「配偶者居住権」です。2018年7月の相続法制に関する民法改正によって、導入が決まった新しい制度です。

「配偶者居住権」を使って相続トラブルを避ける秘策をプロに教わります!

『自分でできる相続税申告』(自由国民社)などの著書があり、相続問題に詳しい税理士の福田真弓さんは、次のように話します。

「配偶者居住権は、自宅の権利を『居住権』と『所有権』に分けることで、遺産分割しても、配偶者が自宅を売却せずに、生涯無償で住み続けられるようにした制度です。上手に活用すれば、相続トラブルを防げるだけではなく、相続税額を抑えることもできるので、節税対策としても注目されています」

そこで、ケイコさんのケースをもとに、「配偶者居住権」を使って相続トラブルを避ける秘策について、福田さんにアドバイスしていただきました。

遺言書を残していないケースでは、法定相続分通りに分けるのが一般的

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今回のケースの法定相続人は配偶者であるケイコさんと、実の息子であるテツヤさんの2人。それぞれエイジさんの財産を2分の1ずつ相続する権利がある

「人は誰でも、自分の財産を自由に譲り渡すことができます。生前に、その意思を書き残しておくのが遺言書で、誰に、どのように渡すかは被相続人(亡くなった人)の自由です。ただし、被相続人が遺言書を残していなかった場合など、故人の意思が分からないこともあります。それが原因でトラブルに発展してしまうこともあるため、民法では遺産を相続できる人の範囲、相続できる人の優先順位、財産の取り分(相続割合)の目安などを定めています」(福田さん)

 法定相続人として認められているのは、配偶者、子(子どもが亡くなっている場合は孫やひ孫など)、直系尊属(父母、祖父母など)、兄弟姉妹(兄弟姉妹が亡くなっている場合は、甥や姪)です。

このなかで、相続人として確約されているのは配偶者で、誰よりも優先して亡くなった人の財産を相続できることになっています。配偶者以外の人の相続の順位は、第1順位が子どもです。子や孫、ひ孫がいない場合は、第2順位の直系尊属に権利が移り、直系尊属もいない場合は、第3順位が兄弟姉妹へと権利が移っていきます。

法定相続分(財産の取り分)も、配偶者は優先的に配分されていますが、一緒に相続するのがどの順位の人なのかによって、配偶者の取り分は変わっていきます。

配偶者がいる場合の他の相続人の取り分は、第1順位の子どもが2分の1、第2順位の直系尊属が3分の1、第3順位の兄弟姉妹が4分の1で、順位が下がるごとに減っていきます。

反対に、配偶者の取り分は、一緒に相続する人の順位が下がるごとに2分の1、3分の2、4分の3と増えていきます。

今回のケースの法定相続人は、戸籍上の配偶者であるケイコさんと、実の息子であるテツヤさんの2人。それぞれエイジさんの財産を2分の1ずつ相続する権利があります。

エイジさんの財産は、評価額4000万円の自宅(一戸建て)と預貯金2000万円で、合計6000万円です。

遺言書を残しておけば、テツヤさんの取り分を遺留分(遺言書の内容にかかわらず、相続人が最低限の遺産を請求できる権利)に抑えるといったことも可能ですが、認知症を患っているエイジさんは、遺言書を書くことができません。

テツヤさんから家庭裁判所に相続放棄を申し立てをしないと、法定相続分通りに遺産分割することになるのが一般的で、ケイコさんとテツヤさんの取り分は3000万円ずつ。預貯金すべてをテツヤさんに渡しても、1000万円不足します。

ケイコさんが自宅に住み続けるためには、どこかでお金を工面して、テツヤさんに代償金1000万円を支払うか、それができないなら、自宅を売却して現金化するといった対応を迫られる可能性があるのです。

配偶者居住権を設定すると、生涯無償で自宅に住むことができる

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配偶者居住権を設定すると、妻は生涯無償で自宅に住むことができる

 そこで考えたいのが、今年4月に始まる配偶者居住権の利用です。

「配偶者居住権は、おもに夫に先立たれた高齢の妻の生活の安定を図ることを目的に作られた制度です。自宅の建物に関する権利を、住む権利(居住権)と、売却などをする権利(所有権)に分けるもので、配偶者が居住権を相続し、子どもなどが所有権を相続します。住み慣れた自宅を売却しなくても、遺産分割の手続きができて、配偶者はその家に一生涯、無償で住み続けることができます」(福田さん)

対象になるのは、被相続人が亡くなったときに、その被相続人所有の建物に住んでいた配偶者で、遺言、遺産分割協議、家庭裁判所の審判のいずれかの手続きによって利用可能。エイジさん名義の自宅に同居しているケイコさんは、配偶者居住権を設定することができます。

このケースでは、配偶者であるケイコさんが居住権を相続し、子どもであるテツヤさんが所有権を相続することになりますが、居住権、所有権それぞれの評価額が2000万円ずつなら、預貯金も1000万円ずつ分割できるようになります。

つまり、配偶者居住権を利用すると、ケイコさんは代償金を支払わなくても、自宅に住み続けることができる上に、預貯金1000万円も相続できます

遺産分割のために、なくなく自宅を売却するといったこともありません。一生涯住む家と、老後の生活費を同時に手に入れられるというわけです。

2020年4月1日以降に発生する相続から、この配偶者居住権を利用できるようになるので、「遺産分割のために自宅の売却を迫られそう」「子どもに遺産分割すると、手元の預貯金が亡くなってしまう」いったケースでは、利用を検討してみましょう。

配偶者居住権は売却できない!デメリットも確かめて利用を

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「配偶者居住権」にはメリットもデメリットもある

ただし、配偶者居住権にはデメリットもあります。夫婦以外の第三者との共有名義の住宅は対象にならず、増改築したり賃貸に出したりするためには、所有者(子どもなど)の承諾が必要になります。

「配偶者居住権は、あくまでも、その家に住むための権利です。一度、居住権を設定すると、通常の不動産のように、居住権を誰かに売却することはできません。所有権は譲渡・売却できますが、その家には配偶者居住権が設定されているので、実際に第三者が住むことはできません。現実的には所有権だけの譲渡・売却も難しくなるでしょう」(福田さん)

高齢になると、「やっぱり家を売って、老人ホームに入る費用を作りたい」といったことも考えられますが、妻自身が自宅を売却することはできません。

「制度の使用後、介護施設などに入るために、妻が配偶者居住権を放棄したり、妻と子どもが合意して居住権を解除したりすることはできますが、その場合は、子どもが妻に居住権に見合った対価を支払わないと、贈与があったとみなされ、贈与税が発生します」(福田さん)

 配偶者居住権は、遺産分割によって高齢の妻が自宅を手放してしまい、生活が困窮しないようにするために作られた制度ですが、一度、設定すると不動産売買の自由度は低くなります。

「終の棲家をどうするのか?」「認知症になって施設に入らざるを得なくなったら、どうするのか?」といったことも考えながら、利用するかどうかを考える必要がありそうです。

 一方で、配偶者居住権は、評価額の計算方法から、上手に活用すれば相続税を抑えられる可能性もあります。そのため、ケイコさんのように相続トラブルの火種がない家庭でも、節税対策として利用を検討している人もいるようです。

 後編では、配偶者居住権を活用した節税対策について、福田さんにアドバイスしていただきます。

福田真弓さん
税理士
(ふくだ まゆみ)1973年、神奈川県横浜市生まれ。青山学院大学経営学部卒。2003年1月に税理士登録。税理士法人タクトコンサルティング、および野村證券(株)で、富裕層への相続や事業承継対策を提案。2008年12月に独立し、相続税・贈与税の税務申告をはじめ、会計税務やマネー全般に関する個別相談・提案業務などを行う。新聞記事へのコメント、雑誌の取材や記事執筆、講演、セミナー、テレビ出演の実績も多数。著書に『自分でできる相続税申告』(自由国民社)など。共著書『身近な人が亡くなった後の手続のすべて』(自由国民社)は、累計76万4000部のベストセラーに。

■大好評マネー連載!「今さら聞けないお金のお話」

Precious.jpでは、大人の女性が素敵な時間と空間を過ごすための元となる、お金とうまく付き合う方法を、税やお金に詳しいエディター・早川幸子さんがていねいに解説しています。こちらのページにこれまでの記事がまとまっています。是非、ご覧ください。

この記事の執筆者
1968年、千葉県生まれ。編集プロダクション勤務後、1999年に独立。医療や年金などの社会保障制度、家計の節約など身の回りのお金の情報について、新聞や雑誌、ネットサイトに寄稿。おもな著書に「読むだけで200万円節約できる!医療費と医療保険&介護保険のトクする裏ワザ30」(ダイヤモンド社)がある。