ジェントルマン、と男性用トイレのドアにも書かれている。たんに「女性」と区別して「男性」をさすときに使う、便利な言葉でもある。

しかし、使われる状況によっては、人々の行動を左右してしまう力を持つこともある。19世紀の大半、そして20世紀の中頃まで、ジェントルマンの理念は、イギリスにおいてはひとつの宗教ですらあった。ジェントルマンとして理想的とされた行動基準が政治や経済の基盤となり、教育制度に影響を及ぼし、男性服のシステムをつくりあげた。明治時代の日本がお手本にしたのは、ほかならぬそれらの制度やシステムである。

かくも強い力を持ったそのジェントルマン理念とは?

実はいまだかつて、簡潔にして過不足のない定義に出合ったことがない。「ジェントルマンを定義すること」は、古今東西、多くの著述家を悩ませてきた問題でもあった。『英国の紳士』(金谷展雄・訳)を書いたフィリップ・メイソンはこう書く。

「紳士の理念がそれほど広く受け入れられた一つの理由は、だれが紳士でだれが紳士でないか、だれにもはっきりわからなかったことにある」

ひとことで言い尽くせるような単純な存在ではないということが、ジェントルマンの最大の強みでもあったのである。時代に応じて、状況に応じて、人々はこの言葉に好き勝手な意味をこめてきた。自分や自分の息子を除外しないような意味を。

したがって、ジェントルマンと呼ばれた男たちの歴史をたどっていくと、各時代が夢見た男性像のバリエーションが出てくるのである。

とはいえ、原型として時代を超えて語り継がれる理想像はある。たとえば、16世紀。「貴族と騎士の華」として語り継がれる完璧なるジェントルマンのひとりに、サー・フィリップ・シドニー(1554-86)がいる。

廷臣の鑑(かがみ)にして学者、詩人にして音楽家、恋を知る軍人でもある。馬術、武術の稽古、学問、音楽を日課として過ごす彼は、名誉のために行動し、人の悪口を言わず、陰謀を企てることもなければ、おもねることもない。

数々のシドニー伝説のなかで、最も引用されることが多いのが、1586年、ズートフェンにおけるスペイン連隊との対戦のエピソードである。敵側の指揮官がすね当てをつけていないのを見て、フェアに戦おうと自分のすね当てをとりはずしてしまったために、シドニーは致命傷を負う。瀕死のシドニーは飲み水を求め、水筒を口にあてがおうとするが、そのとき、ひどく負傷した兵卒が運ばれてきた。兵士が恨めしげに水筒を見ているのに気づいたシドニーは、水筒を彼に手渡すのである。「そなたの必要が私のそれよりずっと大きい」と。

はじめて国葬されたイギリス人でもあったシドニーは、このエピソードによって「ジェントルマンの鑑」とされた。公正さも思いやりも正義感もないリーダーが跋扈(ばっこ)する現代世界に、サー・フィリップ・シドニーの亡霊が現れてくれないかと思うことがある。

ジェントルマンは土地・階級+教養・人品でできている

英国のTVドラマ『ダウントン・アビー』の撮影地にもなった、英国貴族カーナボン伯爵家の大邸宅「ハイクレア城」。その敷地はなんと、東京ドームの約400倍を超えるという。かつての支配階級が所有した壮大な富と、それらを温存するための智慧から、ジェントルマンという概念は生まれてきたのだ。
英国のTVドラマ『ダウントン・アビー』の撮影地にもなった、英国貴族カーナボン伯爵家の大邸宅「ハイクレア城」。その敷地はなんと、東京ドームの約400倍を超えるという。かつての支配階級が所有した壮大な富と、それらを温存するための智慧から、ジェントルマンという概念は生まれてきたのだ。 撮影/富岡春子

そもそも、歴史学の分野でジェントルマンというとき、それは、不労所得のある大土地所有者をさした。ここに聖職者や法律家、高級官僚など高度な専門職従事者が加わり、イギリスの支配層を形成し、保守主義の文化を担ってきたのである。

地主であるだけでジェントルマンかといえばそうでもなくて、富と権力を持つ彼らが野蛮だったら困るので、支配階級にふさわしい教養・人品といったソフト面も重視された。これを養うための教育機関、すなわちイートン校を筆頭とするパブリックスクール、オクスブリッジ(オクスフォード大学とケンブリッジ大学)は、ジェントルマン養成機関として今なおその権威を香らせる。

このジェントルマンの支配体制は、ジェントルマンと非ジェントルマンの境界がどこか曖昧であるという特徴を持つ。曖昧であるからこそ、時代に応じて「ジェントルマンにふさわしい」条件を変えることで、支配体制を温存することができた。18世紀末の激動期、フランスでは階級の上昇可能性などなかったために流血革命が起きてしまったが、環境適応力に優れたジェントルマン制度という伸縮自在な階級制を持つイギリスでは、多くの男たちをジェントルマン層にとり込むことによって、流血革命を避けることができたのである。

19世紀中頃には、産業革命によって資本を蓄えた中産階級が支配層に入り込み、ジェントルマンらしさも大きく変容する。かつてのジェントルマンには、有閑階級ならではのデカダンでスノッブな部分もあったのだが、この頃になると中産階級特有の謹厳さや誠実さがジェントルマンらしさに加わっていく。それがイギリス帝国の植民地の拡大とともに世界に広まり、「スーツを着て指図する」ジェントルマン像が英語とともに普及していくことになる。

20世紀にはチャンスさえつかめば、だれでもジェントルマンになれるようになった。

ドラマ『ダウントン・アビー』では、お屋敷の運転手だったアイルランド出身のトム・ブランソンがお屋敷のお嬢様シビルと階級超えの結婚をし、シビル亡きあとはお屋敷の土地の管理者になってちゃっかりとジェントルマンの仲間入りを果たしてしまったのだが、原理原則主義ではなく、あのような階級超えを認める諦念というか、よくいえば愛と寛容に基づく現実適応主義が、ジェントルマンの支配制度をかくも長く続かせてきた鍵である。

それにしても、トムの劇的な変貌を見てしみじみ思ったのは、男は、ジェントルマンとして扱われると、ジェントルマンらしくなっていくものだということである。

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WRITING :
中野香織
コーディネート :
森 昌利・大平美智子