国家試験で合格率5%以下の難関と言われる「気象予報士」は、1994年に国家資格として創設されました。2004年に気象予報士に合格され、女性の気象予報士のパイオニアとして著名な根本美緒さん。その根本さんに、現在の活動内容、3人のお子さんの子育て、そして、日々笑顔で過ごす秘訣などを詳しくお話を伺っています。私たち一人ひとりの取り組みが大切だと考えさせられる内容です。是非ご一読ください。

キャリア_1,インタビュー_1
気象予報士としてご活躍中の根本美緒さん

根本美緒さん

1979年東京生まれ。2001年慶應義塾大学経済学部卒業後、東北放送にアナウンサーとして入社。東北放送在局中に国家試験である気象予報士に合格し、2005年にフリーアナウンサーに転向。2009年にご結婚され、3人のお子さんを育てながら大学院へ進学。2020年3月に上智大学大学院地球環境学研究科で修士号を取得。現在は、平日朝の情報番組「グッとラック!」(TBS系)のお天気コーナーを担当、博士課程の進学を検討中。

人々の幸せのために、環境を守りたい

気象予報士を目指したのは、環境をきちんと語れるようになるため。大学で経済学とリサイクルの研究を行い、大学院では樹木の研究を。長年に渡りボランティア活動も行う。

――根本さんが気象予報士を目指した理由を教えてください。

大学で環境経済の研究をしていて、その中でも主にリサイクルの研究をしていました。当時は500ミリペットボトルが出始めていたころ。急激にペットボトルが増えていて、分別回収がうまくいっていない中で、リサイクルが回っていない現状に問題意識を感じていました。

自分は当時、各国ですでに行われていたデポジット制度の研究をしていました。コンビニなどに、飲んだペットボトルを持って行くといくらかお金が戻ってくる制度です。その価格をいくらにしたらいいか、を経済学的に算出する研究をしていたのですが、たとえ1円でも持ってく人は持って行くし、10円でも持ってい行かない人もいる。そこには、教育がベースにあるなと感じ、結果的に環境教育を卒論のテーマに選びました。

そんな経緯から、「学校で習わないようなことを子どもたちに教えてあげられるような教育番組を作りたい」と思い、報道の道を志しました。アナウンサーとして東北放送に入社し、「環境」をテーマに活動をしていきたいと考えていました。

アナウンス部長から「環境を勉強してきたなら、天気わかるでしょ」という感じで、入社式初日に天気予報を任されたのですが、その時に「天気予報をやるのに、天気についてあまりわかっていない」ということに気づかされたんです。環境問題をもっと幅広く勉強しないと環境が専門などと言えないなと思い、気象の勉強を始めて、同時に気象予報士を目指すことにしました。

慶應義塾大学の卒業式でご友人と(写真左が根本さん)
慶應義塾大学の卒業式でご友人と(写真左が根本さん)

――実際に気象予報士になってどう思いましたか?

気象の勉強をしてみて、廃棄物の問題も気候変動も、環境問題というのはすべてつながっているのだと気づかされました。

そして、気象予報士になってからこの16年間で、肌で環境の変化を実感しています。

東京で仕事を始めてから、気象キャスターの仕事が中心でしたが、家族を持ち、40歳を目前とした時に、「大学卒業時に思っていた、環境教育の番組を作りたいというという初心に帰ろう」と、ふと思い立ちました。取り巻く環境は、大学卒業時とはだいぶ変わってきているため、改めて大学院で学ぶ決意をしました。

上智大学地球環境学科では、海外の学生も多く、様々な価値観を学ぶことができました。

今年3月に地球環境学研究科で修士号を取得しましたが、研究の面白さと、まだやり足りない思いもあり、博士課程進学を考えています。

――大学院では具体的に何を研究したのでしょうか?

気候変動によって脅かされている私たち人間の健康を、いかに樹木の生態系サービスが助けてくれているか、を数値化しようという研究です。

気候変動の対策には緩和と適応という2つのアプローチがあり、樹木というのは、唯一この二つを兼ね備えるものだと思っています。CO2を減らすという緩和の側面を持ちながら、大気汚染物質を減らし、暑熱環境を和らげ、熱中症を減らす効果、紫外線を遮り皮膚ガンのリスクを減らすなどという、実際の環境に適応する効果が見込めます。

でもそれがどの程度かイマイチはっきりしないために、自治体は台風の際の倒木に怯えて木を切ってしまったり、高木から低木に変えるなどという政策をしたりしています。これを数値化することで樹木の重要性を自治体にアピールし、政策につながれば嬉しいなという想いです。

大学院時代に、修士論文の内容発表をした時の様子
大学院時代に、修士論文の内容発表をした時の様子

――「樹木」に行きついた理由は?

長年、気象予報士として過ごす中で、「ヒートアイランド」は言われ続けているけれど、一向に解消しないし、それに対して、目に見える政策も行われているようには見えませんでした。

自分なりにどんな政策があるのかを調べていくと、遮熱性舗装や保水性舗装、ミストシャワー、屋上緑化、樹木など色々ありました。「どれがどのくらい効果的なんだろうか?」と疑問に思ったんですよね。それぞれを評価する指標が必要だと感じました。

そこでgoogle scholar でいろんな論文を見ていくと、どうもその部分は、まだ研究過程でそれほど研究が進んでいないように見受けられたので、「ここをテーマにしたら面白いかな」と考え、普段3人の子供と生活する中でその必要性を感じでいた、樹木が一番効果的なのではないかという仮説を立てることに決めたのです。

子どもを持ったことで、より現実的に変えたいと思うようになりましたよね。子どもと公園へ行っても緑が無くて、暑いし、空気も良くないし、もっと緑に包まれればいいのになって。自分が住んでいる地域の緑比率は4%しかないんです。炎天下で横断歩道で信号待ちをしていてもとても暑くて、「なんでここに、木を一本立てないのかな」と。子どもに対する想いが、変えたいと思うようになりました。

また、シカゴで暮らしたこともすごく影響が大きいですね。自分がもともと想像していたことが、「こういう風にできるんだ」と実感しました。シカゴはビルだけのイメージが強いかもしれませんが、実は、周り中に緑があり、ビルの間には樹木があふれています。緑の中で座りながらコンサートや演劇を見たり、自然と一体化した「新しいシティの在り方」をみて、日本もこういう風であればいいな、真似できたらいいな、と思いましたね。

米国・シカゴの街中。芝生の上で、人々がコンサートを楽しんでいる様子
米国・シカゴの街中。芝生の上で、人々がコンサートを楽しんでいる様子

――海外では樹木を使った環境に対する研究が進んでいるのですか?

アメリカで開発されたi-Treeという樹木の価値を評価するツールがあり、アメリカに限らずカナダ・オーストラリアなど色々な国で使われています。日本にはまだそういったツールがないので、「日本版のそういったツールができれば」ということで、プロジェクトが進んでいます。私はまだまだ力不足ながら、少しお手伝いさせて頂いていて、暑熱環境の部分でお力になれるよう、研究を進めようとしています。

――なぜその研究をしたいと考えているのでしょうか?

一つはシンプルに楽しいからです。まだ世の中に存在しないものを見つけ出したり、作り出すことの面白さと、それが結果として社会の役に立つのであれば、それはやりがいがあるという想いからです。

仕事をするということの意味はいろいろあると思うのですが、子育てとの両立というハードな道を選ぶ一つのモチベーションはやはり、社会の役に立てているかどうか、貢献できているかどうかを自分が感じられるからなのかなと思っています。

――実際に社会貢献活動もされているとお聞きしていますが?

環境省主催の3R推進マイスター(※)を2006年からやっていて、ボランティアで子供たちに出前授業を届けるなどの活動をしています。

※3Rとは「リデュース」、「リユース」、「リサイクル」のこと
環境省主催の3R推進マイスターとして2006年からご活躍
環境省主催の3R推進マイスターとして2006年からご活躍

環境を守るために必要なのは、環境政策と、一人ひとりの意識の改革

――樹木を増やす以外、具体的に環境改善の方法は?

火力発電の削減、ESG投資(環境や社会に配慮した、リスクを低く抑え長期的なリターンを確保する投資)など、環境に目を向けるような投資の仕方に、日本が目を向けるといいですよね。その流れは日本でも多少はあるけれど、ヨーロッパほどではないので、もう少し政策で促すことが必要かと思います。エネルギーの問題が一番大きいと思っています。

報道機関として番組をやらせてもらっているありがたい環境の中で、「世論がもっとそこに目を向けられるような番組作りをしていければいいのにな」という想いはあります。

今は現実的には動けていないですが、「環境教育に関する番組を作りたい」と考える理由は、小さい子だけでなくて、大人も知らなければならないことだと思うからです。

今がどういう局面なのか。大人でも危機感の持ち方が人によってとても違うんです。肌で感じている人と、そうではない人の差が大きい気がします。

例えば農業をされている方は、環境変化を肌で感じていますよね。でも我々消費者は、商品が並ばなければ単にそれを買わないだけで、そこにどんな問題が起きているかを知らないまま過ごしてしまいますよね。そこに光を当てて「気候変動がどう作物などに影響を及ぼしているのか」を知ることで、よりみんなが危機感を感じられるのではないでしょうか。

――いつくらいから気候は変わってきたのでしょう?

「猛暑日」という言葉ができたのは2007年です。2000年以降35度以上の日が増えたためです。2010年はものすごく暑くて、その辺りから熱中症の搬送者数はうなぎのぼりです。豪雨に関しては50ミリ以上の雨が、40年前に比べると1.5倍になっていると言われています。ここ40年の間に、いかに変わったかがわかりますよね。

自分たちが小さいころはもっと雪も降っていたし、霜柱もあったけれど、もう都心で霜柱は無理だろうな、とか。

そういう、自分が生きてきた中での肌感覚、そしてデータでも産業革命後、ずっと右肩上がりにはなっています。結局、「極端な現象が増える」というのが、この気象変動なんですよね。

極端な暑さになる、極端な雨が降る、極端な冷え込みが来るなどの激しい現象。

例えば関東でも台風が近づきやすくなっています。なぜかというと海水温が上がっているからです。台風というのは海水の温度が27度以上だと発達するもので、昔は、関東に来る頃には衰えていることの方が多かったのですが、今は日本のすぐ南まで海水温度が高い状態になっていることが多く、発達した状態のまま上陸してしまうことが増えてきています。

海水温の上昇は、そのほかの気象現象にも大きく影響を及ぼしていて、極端な現象の根源になっていると考えます。正直、私はこの海水温の上昇に相当恐怖を感じています。永久凍土も解け始めていると言われている今、「どんどん温度が上がってしまうのではないか」と危惧しています。

そういう時に、世界で一致団結する事が必要で、COP(国連気候変動枠組条約国会議)などに期待したいですね。スウェーデンの環境活動家のグレタさんのような若い子の訴えも、すごく大きな力になりますよね。私は彼女のファンです。

――日本人には気候変動に対する危機感の意識の改革が必要でしょうか?

海外ですと、やはり日本と比較して、危機意識を持っている方も多いと思います。でも逆に、日本人は勤勉で、コロナ禍でも例えば、マスクをみんなする、気をつけようと思える真面目な人間性ですよね。日本でももっと、一人ひとりが環境危機意識を持てると結果が変わっていくのではないか、と考えています。

 

気象予報士としての仕事で心がけていることは、経験からくる精度の高い予報と、親しみを持ってもらうこと

――今までの気象予報士の活動の中で記憶に残ることはなんでしょう?

どれ、というのは言いづらいですね…。

気象予報士の仕事は日々の積み重ねなんですよね。統計学的に予報を出しているのですが、いかに日々の予報を自分の中に蓄積して、こういうパターンのときはこうだった、など引き出しを紐解いていくという作業をしています。

日々の積み重ねという意味では、予報だけに限らず、伝えるということ、毎日やることのありがたさというのがあります。

大先輩に、島川甲子三(しまかわきねぞう)さんという、1959年伊勢湾台風のときに名古屋の気象台にいた方がいます。島川さんは、「自分が出した予報が世に伝わらない」と衝撃を受けて、気象台を退職され、NHKの気象キャスターになった方で、気象キャスターの先駆け的存在ですね。

その島川さんが日々行っていらしたことは、NHKの予報の中で俳句を詠むことでした。人に親近感を持ってもらうということを重要視されていたんですよね。なぜかというと、この人の予報は面白い、とかユーモアがあるとか、人に認知してもらって、親しみを持ってもらうことによって、いざという時の予報に「この人の言っていることを信じよう」と思ってもらえるように取り組んでいらしたわけです。

「グッとラック!」はまだ10か月なんですが、毎朝、テレビで天気予報の仕事をいただけているのは、非常にありがたいことです。

毎日出ることの意義とは何か?それは、みなさんに親しみを持ってもらうこと。そのことによっていざという時に「この人こう言っていたよ」と伝えてもられるような予報士で在りたいと、常日頃思っています。

まだまだ予報しきれずに後から解説することも多く、台風などはある程度場所を予測できますが、梅雨前線や局地的な豪雨は、少しのズレで全然場所が変わってしまうので、予報が難しいのが現実です。

危険をいかに早く言えるか、心に届けられるか、島川さんの想いを代々受け継いでいくつもりで頑張りたいなと思っています。

平日朝の報道番組「グッとラック!」(TBS系)で天気予報を担当(写真一番右が根本さん)
平日朝の報道番組「グッとラック!」(TBS系)で天気予報を担当(写真一番右が根本さん)

――周りの気象予報士の皆さんも同じ想いで取り組んでいらっしゃるのですね。

はい、同世代の予報士さんとはそういった話をします。もちろんそれを、下の代にも伝えていかなければならないと考えています。

同じことで言うと、女性がどう仕事を続けていくのか、ということと似ていますね。

自分の上の世代だと、結婚すると仕事を辞めてしまうのが当たり前だったのが、細々でもいかに続けていけるか、というのを自分の世代では模索していかなければならないし、そうすることで下の世代、後輩たちが働きやすい環境が築け、女性がやりたいことを実現できる世の中に変わっていくのかなと思っています。

 

キャリアの継続は、健康な身体と周囲のサポートがあって可能になる、いうこと

――3人の小さいお子さんを抱えながら平日に毎朝テレビに出るということは、決して楽なことではないと思うのですが、キャリアの継続のコツは?

本当に健康で、熱もほぼ出したことがないからできるのだと思います。かつマグロみたいに止まっていられない性格なんですよね…。隙間を見つけるとなんかやろうとしてしまう、明日もし自分が死んだとしても後悔しないようにしたいと、つい考えてしまいます。健康な身体に産んでくれた両親に感謝ですね。

でもそれができるのも、周りのサポートのおかげです。

主人も忙しいのであまり家にいないのですが、「グッとラック!」が始まってからは、朝の子供の幼稚園の送迎をしてくれています。主人が研究者であることもあり、「どんなに忙しくても研究は続けるべき」という話をしてもらったほどでした。

双方の両親が元気でいてくれてサポートしてくれたり、同じマンションに住むお友達に助けられたり、周りのサポートなしには成り立たないですね。下町生まれ、下町育ちなので、地域とのつながりを大切にしていて、そういう方々に支えられて今があります。

あとは考え方ですね。子育てしていると、「これしちゃいけない、こうでなければいけない」みたいになりがちですが、そうではなく「子どもがどうしたいのか?」。それをするためにどうするか、をみんなで話しあって決めています。考え方を柔軟に、前向きに。

海外での経験を生かし、日本のスタイルにとらわれずに、最低限のマナーは守りながらも後ろ向きにならずに、前に進むことを考えるようにしています。

3人のお子さんを育てながら、キャリアも勉学も行っている根本さん
3人のお子さんを育てながら、キャリアも勉学も行っている根本さん

――もともと前向きな性格なのでしょうか?

はい、それが天気予報で仇となったこともあります。「根本の天気予報は『能天気』だからね!」と言われるほど前向きな予報をして、雨に自ら濡れることも度々ありました(笑)

天気予報は生放送なので、日々反省です。20年間この仕事をしていて、毎日反省で、「今日は良かった」と思えたことは一度もないです。でもそれを引っ張ることもなく、「じゃあ明日はこうしよう」と、次に生かすことを常に考えるようにしています。

子育てしていると感情の起伏もありますが、コツは感謝することでしょうか。それを忘れると、まわりからも煙たがられてしまいますよね。そして、大事なことを大事にする

ありがたいことに、最近は、仕事はセーブできるようになってきました。日帰りできない仕事は、子どもを産んでからこの10年間受けていません。20代から一生懸命走り続けてきたから、「今」があると思います。

――ご家族とキャリアの継続の両方を大切にされているんですね。

キャリアの継続と家庭、両方にプライオリティを持てるようにバランスをとりながらなんとかやっている、という感じです。

局のアナウンサーとして育ててくれた、東北放送や仙台の皆さんに恩返しができるように、そして私を拾ってくれた今の事務所に、さらに番組に恩返しができる貢献をしていきたいという想い。また、家族を大事にする時間のバランスを保つために、週末はなるべく仕事を入れずに、娘の野球に付き合ってグラウンドに一日いたり、家族で山登りを計画したり、自然と触れ合える時間を作れるように心がけています。

お世話になった東北放送時代、地元のベガルタ仙台応援歌を作り歌う企画に参加(写真一番左で大きな旗を持っているのが根本さん)
お世話になった東北放送時代、地元のベガルタ仙台応援歌を作り歌う企画に参加(写真一番左で大きな旗を持っているのが根本さん)

――日常で感謝の気持ちを忘れずにいられる、そのベースはどこから来るのでしょうか?

幼少期に洗礼を受け、カトリックの教会のキッズクラブに所属していました。その時に「人のために何ができるか」「自分よりも大事に思えるものを持つことの重要さ」を学んだのかと思います。人に対しての思いやり、大事に思えるものを、いかにたくさん持っているかが人生の喜びであり、それがもしかしたら、社会に対する活動につながっているのかもしれません。

座右の銘と今後の目標、Precious.jp読者へのメッセージ

――座右の銘は?

「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」ですね。そんな風に言うと格好良く聞こえるのですが、手短に言うと、「とりあえずやっておけ。やってダメなら考えればいいんじゃないの?」という考え方です(笑)

「とりあえずやってみよう」を、繰り返してきて、継続してきて今がありますね。

――今後の目標は?

自分にできることなんて、本当に小さなことなんですよね。でも一人ひとりの積み重ねで結果が出る。例えばレジ袋一つとってもそうですし、電気をこまめに消すとか、自分がやって、それを子どもたちが真似して。

どのくらい自分がやっていることが役に立っているのかはわからないのですが、その先で、気候変動から身を守るような政策において、世の役に立てるといいかなと。

そして、自分で番組を作りたいと思っています。

もう受け身だけで仕事をする年齢ではないので、これからは自分から企画書などを能動的に持っていったりしたいですね。そのためにこれから博士課程などでもっと勉強して、知識や人脈を深めること。それを、人々に「かみ砕いてわかりやすく伝える」という、架け橋のような存在になって、番組を作っていきたいです。

「お天気おばあちゃん」と言われるまで頑張りたいですね。

公益社団法人の表彰式で、お話をされている根本さんの様子
公益社団法人の表彰式で、お話をされている根本さんの様子

――その先に見ているものはなんですか?

幸せですね。

やはり、生きやすい社会。子どもたちが大きくなるころ、その子ども、さらにその子ども。このまま環境を壊し続けていてはいけない、どこかで方向転換が必要で、そのアプローチを少しでもやりたいなという想いです。

人の行動をうながせるようなアプローチをしていきたいです。イメージばかり先行で反省しているんですが、アイディアやイメージがないと、何も変えていけないので、番組も環境問題も、斬新なものを生み出す人間でありたいと思っています。

――最後にPrecious.jp読者の方へメッセージをお願いします

いつも後輩にも言うのですが、「比べない」ことが大切だと思います。自分は自分、我が家は我が家。他人はどうであれ、自分、自分の周りの幸せの形はなんなのか?

「これじゃなくてはだめ」ではなく、「このスタイルどうですか?」というような軽い気持ちで過ごすのがいいのではないでしょうか?

みなさんご苦労されながら、キャリアを築かれたり、キャリアとご家庭を両立されていると思いますが、根を詰めずに視野を広げてみると良いのかもしれないですね。

以上、気象予報士の根本美緒さんにお話をお聞きしました。

テレビでにこやかにお天気を伝える姿からは想像できない、「強さ」と「逞しさ」を備えた素敵な女性だと感じました。

一人ひとりができる事は小さなことでも、その積み重ねが結果を変えるということなので、筆者もまず、目の前の小さなことから、環境問題を考えて動いてみます。

根本美緒さん、この度は本当にありがとうございました。

根本さんの今後ますますのご活躍を心から応援しています。

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この記事の執筆者
新卒で外資系エアラインに入社、CAとして約10年間乗務。メルボルン、香港、N.Yなどで海外生活を送り、帰国後に某雑誌編集部で編集者として勤務。2016年からフリーのエディター兼ライターとして活動を始め、現在は、新聞、雑誌で執筆。Precious.jpでは、主にインタビュー記事を担当。
公式サイト:OKAYAMAYUKIKO.COM