さまざまな職業を経て天職へとたどり着いた、料理家・川上ミホさんに聞く!人生の舵取りをするうえで大切にしていることとは?

かつて終身雇用の時代では、ひとつの会社に長く勤めることが当たり前でしたが、最近はキャリアアップのために転職したり、ライフステージや価値観の変化によってそれまでとは別の道に進むことも珍しくありません。

つまり、いつだっていつからだって、新たな一歩を踏み出せる時代。

今回お話を伺ったのは、今春から軽井沢と東京の二拠点生活をスタートさせた、人気料理家の川上ミホさん。

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さまざまなメディアで披露する卓越したセンスのレシピやコーディネートから想像するに、「きっと料理ひと筋でやってきたのだろう」と思う方も多そうですよね。ところが、意外にも最初の職業はウエディングプランナー。実は幾度も新たな一歩を踏み出し、今に至っているのです。

川上さんのこれまでの人生から、幸せをたぐり寄せる秘訣を探ります。

川上ミホさん
料理家・フードディレクター
(かわかみ・みほ)東京とイタリアのレストランでの経験を積み、独立。現在は食のスペシャリストとしてテレビや雑誌等のメディアを中心に活動するかたわら、商品開発やレストランプロデュースを行うなど、多方面で活躍中。
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ウエディングプランナーの次はソムリエ… 手探りだった20代

――料理家は昔からの夢だったのでしょうか。

いえいえ。一般的な文系の4年制大学で学びましたし、特に「○○になりたい」という夢もなく料理や栄養とはかけ離れた所にいました。卒業後は、ウエディングの会社に就職したんです。

――えっ、ウエディングの会社ですか?

何年前になるのかな……就職活動をしていたとき『ウエディングプランナー』というドラマをやっていて、それを見て「ウエディングプランナーって素敵! 私も幸せのお手伝いをしたい」って思っちゃったんです。単純でしょ(笑)。

――ドラマ、覚えています! 懐かしいですね。 

憧れて入った会社でしたが、仕事も人間関係も少し辛い状況になってしまって……。悩んだ末に退職しました。

次が決まっていたわけではないので、退職後少し旅行に行こうと思い向かった先はフランス。行ったらワインに目覚めてしまって「よし、ソムリエになろう!」と思ったんです。

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昔はカシスオレンジやカルーアミルクなどしか飲めなかったという川上さんは、フランスでワインのおいしさに目覚めソムリエへ

 ――思っても行動に移すのはなかなか難しいと思います。

帰国してから、昼間は事務として勤めながら、夜はワインバーで修行。無事ソムリエの資格を取得しました。

ワインの国といえばフランスとイタリアが有名ですが、私はフランスでハマったので「イタリアはちょっと……」という思いでいたら、友達に「それは違う」と説教され、なかば無理矢理イタリアンレストランに連れられていきました(笑)。

そうしたらワインはもちろん料理のおいしさに感動して、酔った勢いでシェフに「ここで働かせてください」と直談判。今思えばあり得ないのですが、なんとシェフがOKしてくださったんです。

30代目前、右も左もわからない初心者が料理の道へ

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「全部刻んでおいて」「皮むきしておいて」などと指示されて作業をこなすうちに、包丁使いなどの基礎的なことはあっという間に上達したそう

――料理のご経験はあったのですか?

それが全然(笑)。私の母は、短大で料理を教える仕事をしていたくらい料理が上手で、そういう母がいると家ではおいしい料理がパパッと出てくるから、意外と子どもはやらないんですよね。もちろんアルバイトでの料理経験などもないので、本当に経験ゼロ!

なので、フロアでソムリエとして少し経験を積んでから厨房に入るならという条件付きで、イタリアンレストランで働かせてもらえることになりました。後に、このレストランのシェフがすごい人だということに気付き、汗が止まりませんでしたけど(笑)。

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仕事終わりには、夜中の2時から同僚とみんなで飲みに行っていたというレストラン時代

――お友達がレストランに連れて行ってくれなかったら、今の川上さんはいなかったかもしれないですよね。

全然違う人生だったかもしれないですね。シェフはイタリアで武者修行をしていたことがあったので、私に「勉強しておいで」とイタリアへ送り出してもくれました。

当時はイタリアでなかなか料理人のビザがおりない時期だったので、行き来を繰り返して学びました。

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イタリアではホームステイすることも多く、イタリアの家庭料理に魅了されていったそう

――ちなみにイタリア語は話せたんですか?

まったく話せなかったんですが、困ったらとりあえず「アイウート!」と言えば大丈夫ってシェフに聞いて。ちなみに、「アイウート」は「助けて」という意味。イタリアの人は男性はもちろん、みんな本当に優しくて、何度も助けてもらいました。

――当時はスマホで翻訳というわけにもいかないし、言葉が通じない国で修行をするのは大変ではなかったですか?

大変よりも感謝が上回っていました。だって酔った勢いで突然働きたいなんていう私に、ゼロから教えてくれて、イタリアでの経験も積ませてくれたんですから。その後数年働きましたが、体調不良がきっかけで辞めることになりました。

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料理に合わせて自分好みのスタイリングをするのが楽しくなっていった頃

――このときも次の仕事が決まっているわけじゃなかったんですよね?

そうなんです。次はどうしようかなぁと考えた末「よし、料理家になろう!」と(笑)。

――すごい決断力! でも当時はSNSもまだなかったですし、どうやって仕事を?

当時活躍していた料理家さんは、先生のアシスタントについて経験を積んで独立した方ばかり。私はツテもないしアシスタント経験もないので、とりあえず美容ライターをしている友達に相談してみました。

料理を扱っている健康美容情報誌の編集部なら企画書を持っていけるから、何かつくってと言われて私が考えたのが、オリーブオイルの企画。レストラン時代にイタリアでオリーブオイルの資格を取得したので、これならできるかもしれないと思って。

――ソムリエの資格がレストランで働くときに役に立ち、レストラン時代に取得した資格は独立した後に役に立っている。経験が繋がっているんですね。

そうですね。オリーブオイルの企画が好評で、それ以来定期的にお仕事をさせてもらえることになりました。でも、料理の撮影なんてしたことがないから「カメラマンさんをなるべく待たせないよう、仕事の段取りをちゃんと考えて」など注意されることもしばしば。

それでも、撮影の段取りや、エビデンスの大切さなど、本当に多くのことを学ばせていただき、ここでの経験がまた次へと繋がっていきました。

――実は昔、「お願いランキング」という番組に出演されている川上さんを見たことがあります。テレビのお仕事もこの頃からですか?

見てくれていたんですね。「お願いランキング」のお仕事を含めて37歳くらいまでは、とにかくいただいたものはなんでも一生懸命やらせていただきました。どれも刺激的で楽しかったのですが、だんだん何がしたいのか自分でもわからなくなってしまって……。

目の前の仕事をこなすので精一杯になってしまったころに、出会ったのが夫でした。

「どのように仕事をしていくべきか」夫に教わった大切なこと

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左後方が結婚前の川上さんと夫のシュンさん。ふたりは友人同士の期間も長かったという

――夫である川上シュンさんはアートディレクター・デザイナーとしてご活躍の一方で、アーティスト活動もされているそうですね。

そうなんです。出会って間もない頃「今、こんな仕事してるんだけど大変で……」とボヤくように相談すると、「なんでもかんでも引き受けていたら、そのまま終わってしまうよ」って彼に言われたんです。

こんなにたくさんの料理家さんがいるなかで、なんでもできる人はなんでもできるけど、きっとこの先若い人に仕事がいってしまうだろうと。最初は「なんてことを言うんだ」って思ったんですけど、冷静に考えれば彼は自分の方向性をきちっと打ち出すことで、いつもやりたい仕事ができているんですよね。

説得力もあるし、なにより彼の言葉がすごく刺さったんです。それから、私も自分の色を明確に出すようにしていきました。

――お話を伺っていると、ただ流れに身を任せるだけでなく「ここぞ」というときにちゃんと舵を切っている印象です。川上さんが人生の舵を切るうえで大切にされていることは何でしょうか?

条件や理屈を並べてできるかできないか判断するのではなく、いいと思ったらまずチャレンジしてみることは大切にしています。

30歳手前・料理未経験でシェフに働きたいと直談判するなんて、誰もが無謀だと言うかもしれません。でも「いい」という自分の直感を信じとにかく進む。そしてそこでたくさんのことを吸収させてもらう、それが結果幸せなゴールへと繋がっている気がするんです。

迷いがなくなった40代、躊躇せず新しいことに挑戦していきたい

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「今日イチ幸せショット」としてインスタグラムに公開されているシュンさんと娘さんの後ろ姿。軽井沢の牧場にて

 ――春から軽井沢に拠点を置いて、東京との二拠点生活をされているそうですね。

夏を過ごすためのアトリエを軽井沢につくろうと昨年決めて、軽井沢を行き来するようになったのですが、そのとき今年の4月に開校する学校があると知ったんです。

設立の思いや目指すところに共感し、ほかにはない環境や自発的な校風が魅力的だなと思っていたところ、ご縁があり娘が通えることになったので拠点を移すことに決めました。

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直売所で買ってきたクレソンとトマトをのせてつくったというピザ。軽井沢の野菜は本当においしいそう

――軽井沢で刺激を受けて、川上さんなら新たな目標をすでに見つけていそうです。

すごい、大正解です。軽井沢の土地柄、ルールなどを知るうちに、オーガニックのパンをつくりたくて移住してきている人が多いことや、フードロスに対する取り組みも盛んに行われていることを知って、私もやりたいなと思うようになりました。

フードロスについては、食に携わる立場から発信できることもあるし、ぜひ取り組みたいと。そのためには、まず自分が生活の中で実践してみなければいけないと思っています。

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ハイスペックすぎて棚飾りになっていたというライカのカメラは、軽井沢に来て手に取るように

――軽井沢でフードロスについての取り組みが盛んに行われているなんて知りませんでした。

なかなか知る機会がないですよね。ほかには娘が通う学校は細かく決められた時間割がなくて、みんなそれぞれ興味があることを見つけて、プロジェクトとして探求し学んでいくスタイルなので、もし食のプロジェクトが立ち上がったら、私も何か役に立てるかもしれないと密かに思っています。

――食育の方まで考えが広がっているなんて、驚きです!

私、仕事が大好きなので、出産したら3か月後には保育園に預けてすぐに復帰しようと思っていました。ところが娘が生まれてみたら手放せないうえに、娘を含めて子どもたちがみんな可愛すぎる(笑)。

だからいずれ子どもたちの学びのお手伝いができればいいなと考えていました。フードロスのプロジェクトについても、最初は大人だけで考えていましたが、今は子どもも参加できるようにしたいと思っています。

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川上さんのプライベートレストラン「5quinto」のロゴはご主人のデザインで、コンセプトは自分で感じることを大切に新しい「いつもの」日々をつくること。軽井沢でも動き出すという。

――転職、独立、結婚、出産とたくさんの経験をされた20年間だったと思います。20代、30代はどんな時期だったか、そして40代の今思うことをあらためて教えてください。

20代は「手探り期」。自分がどうやって生きていきたいかがわからな手探りで進んでいるような感じでした。

30代は「転換期」。食の道を歩き始めて、これで生きていくにはどうすればよいのかというのを少しずつ積み上げてきた時期。中盤からやっとこの仕事が天職だと思えて、経験からできることも広がってきました。

そして40代の今は、子育ても全力で楽しめているし、やりたいことも実現できている。どんな時期だったかは、あと8年経たないと振り返ることはできないけれど、幸せな40代だったといえるよう、これからも迷うことなく新たな一歩を踏み出していきたいと思います。

この記事の執筆者
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WRITING :
篠原亜由美
EDIT :
小林麻美