5年前に夫に先立たれたヨウコさん(70歳)は、東京・文京区で娘家族と一緒に暮らしています。自宅は人目をひく山小屋風の一戸建てで、登山が趣味だった夫が趣向を凝らして建てたものでした。

「主人は居間に設えた薪ストーブがお気に入りで、冬になると自分で薪をくべながら、ゆっくりお酒を飲んだり、本を読んだりする時間を楽しんでいました。テーブルや椅子などは、知り合いの木工作家さんに作ってもらった特注品で、ふたり一緒に工房を訪ねた日が昨日のように思い出されます。

老後は2人で日本の百名山を制覇するのが夢だったのですが、5年前に急性心筋梗塞で亡くなってしまって……。せめて、主人が大好きだったこの家を守って、最後までここで暮らしていこう。そう思っていたのですが、ひとりでは心細くて。そんなとき、娘が同居を申し出てくれたんです」

めぼしい財産は自宅だけ。子ども2人に均等に分割するには?

ヨウコさんの子どもは、長男のコウイチさん(47歳)と長女のミカさん(44歳)の2人。それぞれ結婚して家族がいますが、娘のミカさん家族が3年前からヨウコさんと同居を始めました。

「父の生前、母は父に頼りっきりでした。そんな母が、突然、ひとりになって大丈夫かなと心配になってしまって。息子のソウタが合格した私立中学校は実家からのほうが通いやすいし、私も働いているので、母がいてくれると何かと助かります。夫も『お義母さんと一緒に住もうか』と言ってくれたので、母との同居を決めました」(ミカさん)

 以来、時々ケンカをしながらも、ヨウコさんとミカさん家族は助け合いながら暮らしています。

「娘のミカは、夫が建てたこの家が大好きで、まめに掃除も手伝ってくれます。元気なつもりでいても、70歳の声を聞いてから疲れやすくなってきました。実の娘がそばにいてくれると心強いものですね。優しい娘は、『ママに介護が必要になっても、私が面倒みるから』と言ってくれています。

できれば、このまま娘と一緒に暮らして、ゆくゆくは娘にこの家を渡したいと思っています」(ヨウコさん)

長男も長女も育った山小屋風の一戸建ては、登山が趣味だった夫が趣向を凝らして建てたもの
長男も長女も育った山小屋風の一戸建ては、登山が趣味だった夫が趣向を凝らして建てたもの

ところが先日、久しぶりに長男のコウイチさんが遊びに来たときに、それとなく家の相続について話してみると、雲行きが怪しくなってきたのです。

コウイチさんは、「ミカがおふくろと一緒に暮らしてくれているのは、ありがたいと思っている。だけど、相続となると話は別だよ。僕にもこの家の財産を半分もらう権利はあるはずだ」というのです。

ヨウコさんの自宅の評価額は、土地・建物合わせて約6000万円。このほかに、夫が残してくれた預貯金が2000万円ほどありますが、日々の生活費は公的年金だけでは足りません。ヨウコさんは働いていないため、預貯金を少しずつ取り崩しながら暮らしています。今は2000万円ある預貯金も、相続が発生する頃にはいくらになっているかはわかりません。

つまり、ヨウコさんが遺産として残せるのは評価額約6000万円の土地・建物だけということになります。

 ヨウコさんに万一のことがあった場合、残された財産はコウイチさんとミカさんで2分の1ずつ分けるのが法定相続分ということになります。でも、遺産が土地・建物だけだと、現金と違って簡単に分けることはできません。

 しかも、土地・建物の評価額が6000万円で、相続税の非課税枠【3000万円+(600万円×法定相続人の数)/このケースでは4200万円】を超えているので、自宅の敷地の評価額を下げられる特例※を使わなければ相続税も支払わなければいけません。

「夫との思い出がつまった家なので、娘たちに大切に使ってもらいたいけれど、私が亡くなったあと、相続のことで子どもたちにもめてほしくありません。何か、今のうちにできる対策はないでしょうか」(ヨウコさん)

難しい土地・建物の分割は? 現金の用意を考えてみよう

『身近な人が亡くなった後の手続のすべて』(自由国民社)の著者で、相続や事業承継に詳しい税理士の福田真弓さんは、「ヨウコさんのように、めぼしい財産が自宅だけというケースは相続でトラブルになることが多い」といいます。

「現預金と異なり、不動産は分割するのが難しい財産です。子どもの誰かが親と同居していると、相続が発生しても簡単に売却することもできません。さらに、親の面倒を見ていた子どもは、ふだん何もしない兄弟に対して『相続のときばかり…』と割り切れない感情も相まって、もめることが多くなるのです。トラブルに発展させないためには、ヨウコさんが元気なうちに相続の資金準備を始めておくと安心です」(福田さん)

 今回のように、相続財産が自宅の土地・建物だけといったケースで考えられる、財産の分割方法は次の3つ。
 

  1. ■自宅の土地・建物を売却して、売却したお金をコウイチさんとミカさんで均等に分ける(換価分割)
  2. ■自宅の土地・建物をコウイチさんとミカさん共有名義にする(現物分割)
  3. ■自宅の土地・建物をすべてミカさんが相続する代わりに、コウイチさんは法定相続分に見合った現金を支払う(代償分割)
ヨウコさんの希望は「思い出のつまった家を大切にしてほしい」
ヨウコさんの希望は「思い出のつまった家を大切にしてほしい」

財産を均等に分けるという意味では、(1)の換価分割がもっとも分りやすい方法でしょう。

「ただし、売却すると、ヨウコさんと同居しているミカさん家族が住む家がなくなってしまうだけではなく、ミカさんがそのまま住めば自宅の土地の評価額を8割引きにできる小規模宅地等の特例※という税制優遇も受けられなくなります」

※亡くなった人(被相続人)の自宅の敷地を配偶者が相続するか、生前から同居していた親族が相続し住み続ける場合は、敷地面積330㎡までの部分は、土地の評価額が8割引きになる相続税の制度。

 その結果、特例を使えば支払わなくてもよい相続税が、コウイチさん、ヨウコさんに90万円ずつ発生することになります。何より、家を売却することは財産の保有者であるヨウコさん自身が望んでいないので、今回のケースでは避けたい対処方法です。

 (2)の現物分割も、自宅の土地・建物しかない場合の財産の分割方法のひとつではあります。ただし、共有名義にすると、将来的にコウイチさん、ミカさんのどちらかが土地を売却したり、建物を新しくしたりしたいと思った場合は、共有者全員の同意を得る必要があり、手続きが煩雑になります。

「さらにコウイチさんとミカさんが死亡すると、それぞれの持ち分がその子どもたちに枝分かれしていき、権利関係がより複雑になってしまいます。そのため、実際にはあまり使われない方法です」(福田さん)

(3)の代償分割は、ミカさんが土地・建物を受け継ぐ代わりに、その不動産の価値の半分を現金などでコウイチさんに支払うというもの。コウイチさんは、実家の土地・建物に執着があるわけではなく、財産の半分がほしいと要求しているだけなので、土地・建物の評価額6000万円の半分の3000万円をミカさんが用意できれば代償分割がいちばん丸く収まりそうです。

また、ミカさんが引き続き実家に住めば、前出の「小規模宅地等の特例」も使えるので相続税の面でも有利です。「思い出のつまった家を大切にしてほしい」というヨウコさんの希望をくむこともできます。

相続を有利に進めるための、生命保険を使った資金準備

問題はミカさんが3000万円を工面できるかということですが、ヨウコさんはまだ70歳。女性の平均寿命は87.14歳(2016年)ですから、実際に相続が発生するまでにはもう少し時間がありそうです。

その間に相続資金を準備できれば、ミカさんが自宅を受け継いで、コウイチさんにも財産の半分を渡すことも可能になります。とはいえ、ミカさん夫婦はこれから子どもたちの教育費が本格的にかかる年代です。

「実家を売らずに済むならお金を用意したいけれど、自分たちの生活費や教育費のほかに3000万円も用意できるか不安です。何かよい方法はありますか?」(ミカさん)

 福田さんは、「このケースでは生命保険を活用すると、相続のための資金を有利に準備できる」といいます。

ただし、相続資金のために生命保険に加入する際は、契約者や保険金の受取人などを誰にするかで税金や権利関係が変わってきます。これを間違えると、せっかくの相続資金の意味が半減してしまうので、契約時には注意が必要になります。

次回は、ヨウコさんの希望通りの相続ができるように、生命保険を使った相続資金の準備方法を詳しくみていきましょう。

監修者PROFILE
福田真弓(ふくだ まゆみ)さん
1973年、神奈川県横浜市生まれ。青山学院大学経営学部卒。2003年1月に税理士登録。税理士法人タクトコンサルティングに入社し、富裕層への相続や事業承継対策を提案。2008年12月に独立。現在は、勤務税理士時代の資産税の経験をもとに、相続税・贈与税の税務申告をはじめ、会計税務やマネー全般に関する個別相談・提案業務などを行う。新聞記事へのコメント、雑誌の取材や記事執筆、講演、テレビ出演の実績も多数。共著の「身近な人が亡くなった後の手続のすべて」(自由国民社)が55万部を超えるベストセラーに。
この記事の執筆者
1968年、千葉県生まれ。編集プロダクション勤務後、1999年に独立。医療や年金などの社会保障制度、家計の節約など身の回りのお金の情報について、新聞や雑誌、ネットサイトに寄稿。おもな著書に「読むだけで200万円節約できる!医療費と医療保険&介護保険のトクする裏ワザ30」(ダイヤモンド社)がある。