人類は今まで何度もパンデミックに遭遇してきましたが、そのままどん底まで堕ちるか、またはその経験を生かして画期的な文化を生み出すか、そのふたつのパターンがあることが歴史から見えてきます。

前者の最たるものが、100年ほど前に猛威をふるい、世界中で5000万人以上が亡くなったといわれている、スペインかぜ。あのときは人々が脆弱化して窮乏したときに、ヒットラーのように異常に弁のたつ男が現れました。そして何かにすがらなければ生きていけない、という精神状態からそこに権力が委ねられ、第二次世界大戦に至る、という負のスパイラルが数十年続いた例です。

それに対して後者の例といえるのが、14世紀後半にヨーロッパで蔓延した黒死病=ペストです。意外ですが数千万人から1億人が亡くなったといわれているこのパンデミックの後には、イタリアではルネサンス文化の兆しが芽生えています。

日本にもルネッサンスを!

混迷時代の「男性論」

© ヤ マ ザ キ マ リ / KADOKAWA
©ヤマザキマリ/KADOKAWA

当時フィレンツェにあった大銀行がパンデミックの影響で破綻したのですが、それにとって代わり脚光を浴びたのが、新興成金のジョヴァンニ・ディ・ビッチ・メディチ。そのお坊ちゃんであるコジモは、人々の荒んだ精神を立ち直すのは「美」だと気づき、たくさんの芸術家に投資して働いてもらったわけです。それに触発されて、フィレンツェ中のお金持ちがよい芸術家を雇って、教会にある自分たちの祭壇を、人気の画家の絵で彩るようになるんです。それをみんなが観に行って、精神的飢餓感を満たしていくという潮流に、メディチ家は相当貢献しました。そういったサポートによって、それまでただの職人だった人たちが、芸術家としての自意識を強く持つようになり、ルネッサンス文化は花開いたのです。人間は飢えを満たすだけでは不十分である、ということを当時の人々は知っていたのでしょう。

今回のコロナ禍においても、ヨーロッパではメルケルのような政治家が、いち早くアーティストへの支援を打ち出しました。それに対して日本はどうでしょう?

下手したら人文系の学問や美術といった、一番なくしてはいけないものへの配慮は後回しになっている。それをなくしたら人間の内面にある豊潤さは損なわれてしまい、たとえお金があっても貧乏たらしい社会になっちゃいますよ。そこを間違えてはいけません

ファッションに関しても、最近は何を着たっていいという風潮が広がっていますが、それは人々の心のゆとりを象徴するものであり、教養です。人間は美意識をなくすと、倫理性をも失ってしまいますが、それは暗黒の中世期ヨーロッパへの道。今こそ冷静に自分のファッションを見つめ直したり、こんなものを着てみようかな、と考えたり、目の保養期間にしてはいかがでしょうか。その貪欲さは決して悪いものじゃなくて生きる上での栄養であり、そこで焚き付けられたエネルギーは、ほかのことにもつながっていくんです。

私はヴェネチアの画家ヴィットーレ・カルパッチョが大好きなのですが、彼が描く男性のファッションは、甲冑ひとつ、タイツ一枚描くにしても、半端じゃなくお洒落です。このお洒落自体もパンデミックの後に出てきたものですからね。

2020年はコロナ禍によってイタリアに帰れず、こんなに長く日本に滞在するのは、数十年ぶりのことです。しかし日本の男性たちと長く接していて思うのは、彼らが変人に見られることを恐れて、本当はいいセンスを持っていても、わざとその個性を潰していることです。

仕事で時々「さかなクン」とお会いすることがあるのですが、彼の知性にはまったく虚勢や虚栄がない。テレビカメラが回っていようといまいと、彼からは常に魚への愛情と敬いが溢れています。そんな彼を私はとてもハンサムだと思っていますし、さかなクンファンはたくさんいますが、日本では大抵の場合、突出した個性は優遇されません。村社会の同調圧力が人々の中に潜在しているからなのでしょうけど、それが失敗や欠点への恐れの要因になっている。失敗や欠点は人を熟成させる重要な要素です。江戸時代の日本はもっと粋で、落語だって失敗談が皆を幸せにする笑い話になっていたのに、今はそうではありません。

たとえば私は子供の頃、お嫁に行きたい人ナンバーワンが「ノッポさん」でしたが、こういった類の人は、現代の日本社会においては無能の人の最たるものと片付けられます。しかし必要なことだけやればいい、という考え方では、狭窄的な視野しか許されなくなります。ムダなことを一切省こうという、現代日本に侵食しつつあるこうした価値観とは、つまり人間の機能のうち8%しか使わなくていい、というのと同義です。しかしそれでは、ほかの92%も錆び付いて機能しなくなる。人間としてもらったものはすべて使ってみないと、自分に何ができるか、わからないじゃないですか。葉っぱ一枚だって、細胞をすべて使い尽くしているわけですから、人間だってそう生きるべきです。たとえ失敗したって、それは人間社会の価値観の話であって、本来の生き物としては何をやろうが自由なんです。

だから私が男性に言いたいのは、へんに社会性を身につけるような無理はしなくてもいいのではないか、ということです。男性はもっと大胆であってほしい。鳥や昆虫を見てください、雄の方が派手だし、エネルギーだってすごいじゃないですか。

コロナウィルスが私たちにもたらしてくれた唯一のよきものは、考える時間です。なぜお洒落は不要なのか?

なぜ変人ではいけないのか?

今まであなたを縛っていた、すべてのことを疑ってみてください。「疑う」という言葉には、日本ではネガティブなイメージがありますが、イタリアではいい意味に捉えられます。なぜなら疑うことは想像力を機能させること、考える扉を開けることだからです。今は自分という土壌を豊かに耕すチャンスです。既成概念に囚われず、今までやってみたこともないことに是非トライしてください。たとえば着たことない服を着てみるのも、今だからこそやっていただきたいことだと思います。

談・ヤマザキマリ
漫画家・文筆家
東京造形大学客員教授。1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章綬章。近著に中野信子氏との共著『パンデミックの文明論』(文春新書)、『たちどまって考える』(中央公論)がある。
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MEN'S Precious編集部 
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MEN'S Precious2020年秋号より
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