コロナ禍によるパンデミック以降、これまで以上に舞台ミュージカルの映像化が様々な形で進んでいる気がする。9月17日、Amazonプライムにウェスト・エンドの舞台ミュージカル『ジェイミー』(Everybody's Talking About Jamie)の映画版が登場。10月1日からはNetflixで『ダイアナ』(Diana: The Musical)の配信が始まった。驚いたのは、無観客だが舞台公演をまるごと撮影した『ダイアナ』。昨年春9回のプレヴューを行なっただけで中断した舞台を再開(11月2日予定)の前に見せてしまうこの作戦、興行にどう影響するか興味津々。

トニー賞6冠の大ヒット作の映画版登場

ミュージック・ボックス劇場 筆者撮影
ミュージック・ボックス劇場/筆者撮影

そして11月26日に全国の映画館で公開されるのが、映画版『ディア・エヴァン・ハンセン』(Dear Evan Hansen)。舞台版は、2016/2017年シーズンのトニー賞で、ミュージカル作品賞の他、楽曲賞、編曲賞、脚本賞、主演男優賞、助演女優賞を受賞して、今なお続演中の大ヒット・ミュージカルだ(コロナ禍で中断したが12月11日に再開予定)。

ネット世界と孤立する個人世界の落差/相克を描く

エヴァン・ハンセン(ベン・プラット)/映画『ディア・エヴァン・ハンセン』(c)2021 Universal Studios. All Rights Reserved.
エヴァン・ハンセン(ベン・プラット)/映画『ディア・エヴァン・ハンセン』(c)2021 Universal Studios. All Rights Reserved.

『ディア・エヴァン・ハンセン』の主人公エヴァン・ハンセンは、ハイスクールの学生。社会不安障害(対人恐怖症)を抱え、母の勧めでカウンセリングを受けていて、治療の一環として「ディア・エヴァン・ハンセン」で始まる自分宛のメッセージをPCで書いている。セラピストに見せるはずの、そのプリントアウトを、やはり学校で孤立しているコナーという男子生徒に持ち去られるが、彼が自殺。ポケットから出てきたプリントアウトを見た彼の家族は、エヴァン・ハンセンを息子の親友だと思い込み……。という偶然と誤解から始まる、人間関係が苦手な人々の物語。

エヴァンと母(ジュリアン・ムーア)/映画『ディア・エヴァン・ハンセン』(c)2021 Universal Studios. All Rights Reserved.
エヴァンと母(ジュリアン・ムーア)/映画『ディア・エヴァン・ハンセン』(c)2021 Universal Studios. All Rights Reserved.

これにSNSが絡んで話が大きくなるのが当時としては斬新で、あれこれあってエヴァン・ハンセンは、ある種のヒーローに祭り上げられる。無限に開かれたネットの世界と殻に閉じこもる個の世界の併存、という現代の苦い様相を描き出したところに“旬”な輝きがあった。フォーク/ロック的だが定型に収まらない楽曲も、そうした内容に呼応して、揺れ動く登場人物たちの感情を、時に性急に時に繊細に描き出す。

楽曲作者(作曲・作詞)のベンジ・パセック&ジャスティン・ポールは共に1985年生まれ。日本でも翻訳上演されているオフの『ドッグファイト』(Dogfight)、ブロードウェイの『クリスマス・ストーリー』(A Christmas Story: The Musical)と実績を重ねてきた上での『ディア・エヴァン・ハンセン』のヒットだが、世界的には2016年暮れに全米公開された映画『ラ・ラ・ランド』(La La Land)の作詞者として、さらに翌年暮れ公開の映画『グレイテスト・ショウマン』(The Greatest Showman)の楽曲作者として一気に注目度を上げた。

映画版の新たな手触りの中で再び輝く楽曲群

ブロードウェイ開幕から5年。その間にトランプ政権が誕生して世界の混乱に拍車をかけたまま去っていき、SNS世界にも少なからぬ変化が起きた。それでも舞台版が古びることなく人気を博しているのは、ひとつには、観客の想像力に多くを委ねる舞台ミュージカルならではの普遍的な“寓話感”を秘めているからだと思う。それには、これも舞台ならではのSNS世界を反映した巧みなプロジェクションも一役買っているだろう。

コナーの家族/映画『ディア・エヴァン・ハンセン』(c)2021 Universal Studios. All Rights Reserved.
コナーの家族、左からダニー・ピノ、エイミー・アダムス、ケイトリン・デヴァー/映画『ディア・エヴァン・ハンセン』(c)2021 Universal Studios. All Rights Reserved.

映画版は、そうした“寓話感”を孕んだ舞台版を2021年の映画的現実に落とし込むにあたり、物語の核となる家族ドラマの部分に重点を置き、そこを丁寧に描くことで新たな手触りを獲得している。ロバート・レッドフォード監督の1980年映画『普通の人々』(Ordinary People)に連なる感触。エヴァンと母、亡きコナーの妹と両親。辛うじて繋がっている2組の家族がコナーの家の居間に集う、表向き穏やかで実は緊迫した場面が、後に起こる大きな混乱以上に、ドラマの上でのクライマックスに見える。そこで複雑に絡まった情感が、終盤にエヴァンの母(ジュリアン・ムーア)の歌う名曲「So Big/So Small」で昇華されるのが個人的にはツボ。その他の楽曲も新たな設定の下、改めて心に響く。

パセック&ポールは映画版のために新曲を2曲書き下ろしている。その内の1曲「The Anonymous Ones」は、劇中で歌うアマンドラ・ステンバーグとパセック&ポールの共作。舞台版をご覧になっていない方は、この映画でパセック&ポールの楽曲の魅力を十全に味わっていただきたい。間違いなく(現時点での)彼らの最高傑作は『ディア・エヴァン・ハンセン』だから。

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コナー(コルトン・ライアン)とエヴァン/映画『ディア・エヴァン・ハンセン』(c)2021 Universal Studios. All Rights Reserved.

脚本は舞台版と同じスティーヴン・レヴェンソン。主演も舞台版のオリジナル・キャスト、ベン・プラット。コナー役のコルトン・ライアンは舞台版でエヴァンやコナーのアンダースタディだった役者で、ブロードウェイ版『北国の少女』(Girl From The North Country)のオリジナル・キャストでもあった。監督はスティーヴン・チョボスキー。11月26日(金)より全国ロードショー。

詳しい情報は、映画『ディア・エヴァン・ハンセン』公式サイト(下記)をご覧ください。

ディア・エヴァン・ハンセン公式サイト

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この記事の執筆者
ブロードウェイの劇場通いを始めて30年超。たまにウェスト・エンドへも。国内では宝塚歌劇、歌舞伎、文楽を楽しむ。 ミュージカル・ブログ「Misoppa's Band Wagon」(https://misoppa.wordpress.com/)公開中。 ERIS 音楽は一生かけて楽しもう(http://erismedia.jp/) で連載中。
公式サイト:ミュージカル・ブログ「Misoppa's Band Wagon」