主要都市に仕立て服の文化が根づく、イギリス及びフランスの両服飾大国にあっても、その国のスーツの代表的な形とされるのは、首都のロンドンやパリのスタイルだ。決して、エジンバラスーツやニーススーツとはいわれないのである。

 一方、イタリアはどうか。1861年のイタリア王国統一まで、王国、公国、共和国が混在した長い歴史を持ち、今なお、地元に根差した文化が色濃く残っている。それはスーツも同じ。大きく分けてスーツには、南部、中部、北部の「形」がある。

 南のナポリ。仕立て文化の始祖ともいわれるこの地には、多くのサルトリアが健在。芯地を使わない仕立てを得意とし、スーツにそでを通してもストレスがなく、軽い。それがナポリの持ち味だ。

 半島中央に位置するローマ。首都ローマは、政治の中心地である。政界関係者が服を仕立てることが多く、名店とされるサルトリアは、東京でいえば霞が関のような官庁街にある。それでも、かつて映画で栄えた都市。撮影用の衣装のような注文に対応するサルトリアもある。ただ、名店は、エレガントなスタイルが得意だ。

 ルネッサンスで栄えた中部のフィレンツェはまた、ピッティウォモが開催されるファッションの街でもある。その両方の文化を背景に、エレガントなシルエットで、時代に敏感なプロポーションを追求する感性が備わっている。ジャケットのすそをラウンドカットにするほか、前身頃の正面にダーツを取らない技が、フィレンツェ流だ。

 最後はイタリア北部のモード都市、ミラノ。トレンドが集まるミラノだが、サルトリアは自分たちのハウススタイルを守る。激しく変化するトレンドはあえて仕立て服には必要ない、と考える名店が多い。国際都市として、世界に通用する洗練された美しいラインを表現する、構築的なスーツがミラノ風である。

 さあ、4都市のスーツスタイルを俯瞰したところで、いざナポリへ──。

微風になびくような軽やかな仕立て服の真髄〜ナポリ

 中央駅を降り立つと、激しくクルマが行き交い、喧騒が街を覆い尽くすナポリ。街の向こうには、真っ青な海に美しいヴェスヴィオ火山やカプリ島が浮かんで見える。美しい風景と猥雑な街のコントラストが、ナポリの不思議な魅力だ。

 目ざすサルトリアのソリートは、ナポリいちの目抜き通り、トレド通りに面した古い大きな建物の中に、店と工房を構える。ソリートのオーナー兼サルトのジェンナーロ・ソリート氏は、1945年生まれの69歳。7歳から仕立ての仕事を始めた筋金入りの職人。父親ルイジに、いちから仕事を習い、20歳で独立した早熟のサルトである。

 父親のルイジは、ヴィンチェンツォ・アットリーニ氏という、有名なマエストロのもとで修業した名サルトだった。

 ちなみに、アットリーニとは、1930年代に芯地のないやわらかな一枚仕立てのマッピーナという画期的なジャケットをつくり出した、ナポリ仕立てのスタイルを決定づけた伝説の人物。つまり、ジェンナーロ氏は、本物のナポリ仕立てを継承する凄腕のサルトなのである。ソリートのスーツは、そでを通すと、どこにも硬さのないやわらかな着心地を実感できる。

 襟の周囲、肩回りのフィッティング、カマと呼ばれる脇の下を包むそでつけ部分は、まさに体に吸い付くような感覚だ。極薄の芯地を使用したり、あるいはまったく芯地を使わずに仕立てることで、軽やかな着心地が得られるのである。

 ジェンナーロ氏いわく「微風のように軽やかな着心地」を表現する。これがソリート流の極上の仕立て服づくりに隠された秘密なのだ。

 ジェンナーロ氏の息子ルイジ氏は、ソリートを受け継ぐ3世代目として活躍している。父からの直伝で、若くして仕立ての技を習得した。すでにベテランのサルトとしてジェンナーロ氏を支え、自身も顧客の採寸、裁断の仕事を見事にこなしていく。

 スーツの仮縫いのときは、親子ふたりが意見を出し合うこともある。

 美しさを決める重要な部分となる、肩のラインを見極めながら、シルエットや着丈、そで丈などを、手早く絶妙なバランスで補正する。この二人三脚の仕事ぶりが、家庭的でいかにもナポリらしい風情である。ソリートでスーツのオーダーをするときは、和やかな雰囲気に包まれるのである。

 かつてのイタリアン・ダンディを代表する、名テノール歌手のエンリコ・カルーゾや、名喜劇俳優のトトが生まれたナポリ。彼らの影響からか、ナポリの男たちはイタリアのどの地域よりも、スーツを着ることに喜びとステイタスを感じている。ナポリを見て死ねではなく、ナポリの仕立て服を着て、さらに人生を楽しめといった気持ちにさせてくれるのが、ソリートの軽やかな仕立て技が行き届いたスーツなのである。

【Solito/ソリート】
3世代にわたり、やわらかな伝統のナポリ仕立てを確実に継承する

ジェンナーロ氏は、超一流サルトが入会する、アカデミア・ナツィオナーレ・デイ・サルトリの会員。おだやかな物腰と仕事に対する鋭敏な感性を併せ持った、ナポリ随一の人気を誇る、凄腕マエストロだ。
ジェンナーロ氏は、超一流サルトが入会する、アカデミア・ナツィオナーレ・デイ・サルトリの会員。おだやかな物腰と仕事に対する鋭敏な感性を併せ持った、ナポリ随一の人気を誇る、凄腕マエストロだ。

■SHOP DATA

ジェンナーロ・ソリート氏が店を開いたのは1966年。当時、多くのサルトリアでにぎわったキアイア通りだった。1970年に現在の場所に移転。ガレリアからほど近い、トレド通りに面した大きな深緑の扉が目印。店内はサロンとアトリエ。サロンでは、ゆっくりと生地を選ぶこともできる。
住所/Via Toledo 256 日曜日休。


隙のない完璧なつくりアロイジオスタイルの矜持〜ローマ

 映画『終着駅』をはじめ、多くのスクリーンに登場したローマのテルミニ駅に到着。トランクを携えた観光客から、スーツで決めたエグゼクティブまでが、ひっきりなしに行き交う情景は、首都の活気そのもの。ガエターノ アロイジオのサルトリアは、テルミニ駅から車で10分程度の距離。広大なボルゲーゼ公園やスペイン広場、官庁街にほど近い、まさにローマの一等地にある。ガエターノ アロイジオのオーナー兼サルトのガエターノ・アロイジオ氏に会うのは、7年振り。昨年、改装したばかりの建物のなかには、広いアトリエと現代アートを配置した優雅なオーダーサロンがある。

 アロイジオ氏は、1963年イタリア南部のカラブリア州クロトーネに生まれた。16歳でミラノに出て、仕立て職人の修業を開始した。その後、技術の向上を目ざしてローマに。ローマには仕立て職人を養成する伝統的な名門校があるため、アロイジオ氏は学校に通いながら、サルトリアルッツィで修業を積んだ。

 アロイジオ氏に転機が訪れたのは’86年。イタリアで新人仕立て職人の登竜門といわれる、フォルビチ・ドーロを受賞したのである。当時22歳で最年少の受賞だったが、その記録はいまも破られていない。そして28歳で独立、自身のサルトリアを開いた。

 以前に会ったときに比べ、職人の数が格段に増えた。現在は25人。

 サルトリアの縫製のやり方には、大きく分けてふたつの方法がある。ひとつは、職人ひとりで1着のジャケットを縫い上げる、通称「まる縫い」と呼ばれるもの。担当する職人の仕事のクセや個性が反映されやすい。もうひとつは、ガエターノ アロイジオが取り入れている方法。ジャケットの芯すえ、襟つけ、ボタンホールの縫製などを25人の職人が、分業制で仕事を進めるやり方だ。

 美しく均一なスーツの仕上がりを目ざすアロイジオ氏は、以前から、この分業制を実施している。「優れた職人がひとりで縫い上げるスーツも素晴しいが、職人のクセや個性は、うちのアトリエでは必要ない。ガエターノ アロイジオの名のもとに品質の高いスーツを送り出すのが、ベストだと考えています」ガエターノ アロイジオのスーツは、体をグラマラスに表現しためり張りのあるスタイル。ディテールでは、両脇のポケットを斜めにデザインした、スラントポケットをハウススタイルとし、チェンジポケットをデザインする場合が多い。珍しいディテールでは、サイドベンツの切れ目に合わせて、アイロンではっきりと折り目を入れる技。綺麗な仕上がりに注力する、アロイジオ氏の技はディテールの隅々にまで行き渡る。

 国内の政界関係者や海外の要人も訪れるガエターノ アロイジオ。堅い職務に就きながらも、エレガントなスーツを好む彼らの感性があるからこそ、ローマの街は華やかなのかもしれない。

【Gaetano Aloisio/ガエターノ アロイジオ】
若くして、イタリアサルトの頂点に立った凄腕のマエストロ

アロイジオ氏の主な仕事は、生地の裁断、仮縫い。顧客の仮縫い時、補正箇所を瞬時に見抜く力量の持ち主。
アロイジオ氏の主な仕事は、生地の裁断、仮縫い。顧客の仮縫い時、補正箇所を瞬時に見抜く力量の持ち主。

■SHOP DATA

1991年創業。アトリエとオーダーサロンとは別にショップもある。イタリアの人気建築家、マリアンナ・ガリアルディが手がけた、モダンな空間だ。シャツやタイのオーダーメイドも展開。住所/Via Francesco Crispi 117 日曜日休。


日本人の体型を最も熟知した巨匠のフィレンツェスタイル〜フィレンツェ

 ナポリからローマ、フィレンツェまでを順に北上すると、段々と街が穏やかに感じられてくる。サービス精神旺盛なナポレターノの声や、ローマの活気もなぜか懐かしくなる。

 フィレンツェは、メンズファッションの展示会、ピッティ ウォモの開催地として知られるように、伊達男が似合う街として、ミラノに比肩する。ミラノがモードで、フィレンツェはクラシックという図式だ。

 そして、この街を代表するサルトリア、リヴェラーノ&リヴェラーノこそは、クラシック・スーツを好む日本人にとって、今や最も有名なサルトリアだ。それでもまだ、そのスーツの真髄は語り尽くされていない。リヴェラーノ&リヴェラーノのスーツは、なだらかな美しい肩のライン、ダーツのないスマートな前身頃、ツヤを備えた立体的な胸のふくらみ、エレガントに表現したラウンドカットのすそ部分、張りのある男らしいラペルの形……といった、卓越した技でつくり出される。エレガンスを満たしたハウススタイルは、まさにフィレンツェの顔だ。

 私がリヴェラーノ&リヴェラーノのスーツを着ていて強く感じる魅力は、3つある。まず、前述のサルトリア・フィオレンティーナを代表するハウススタイル。ふたつめが、リヴェラーノ氏ならではの、抜群にセンスのいい生地選びである。

 リヴェラーノ氏は「人によって生地の見立てが違うため、スーツの表情が異なる」という。基本的にリヴェラーノ&リヴェラーノのオーダーメイドは、初めての場合なら、ダークグレー、2着目をつくるなら、ネイビーと段階を追い、応用範囲の広い生地からすすめるが、リヴェラーノ氏は、顧客の想像を超えるような生地を提案することがある。その人が持つ味(グスト)を見極めながら、生地を選び出す。

 一般的なオーダーでは、スーツを着用して行く場所に鑑みて、生地を選ぶのが普通だろう。しかし、リヴェラーノ氏は、もっとスーツが楽しめるようにと、アドヴァイスをする。

 3つめの魅力は、スーツのドレープラインである。とりわけ、日本人の体型を熟知するリヴェラーノ氏は、個人の体型に合わせたドレープを芸術的に描き出し、よりエレガントに見せることができる。一見、あたりまえのように思える仕事かもしれないが、超一流のマエストロの技は、ラインの出し方が絶妙で、着ている人のスタイルが、より綺麗に際立ってくるのだ。

 中世以来の変わらない風景を守っていることから、保守的なイメージを持つフィレンツェ。それはスーツを誂える場所としては、最高の環境がそろっているということだ。大聖堂を中心に街全体を埋め尽くした、鮮やかなレンガ色。ポンテ・ヴェッキオを望むアルノ川の絶景……。そのどれもがリヴェラーノ&リヴェラーノのスーツと調和して、街に美しく溶け込む要素になっているようだ。

【Liverano& Liverano/リヴェラーノ&リヴェラーノ】
芸術都市にも調和するドレープづくりの超一流サルト

芸術都市にも調和するドレープづくりの超一流サルト
芸術都市にも調和するドレープづくりの超一流サルト

■SHOP DATA

リヴェラーノ&リヴェラーノの屋号を掲げてサルトリアを始めたのは1960年代。最初の店はパンツァーニ通り。数年後にサンタ・マリア・ノヴェッラ広場を望む場所に移転し、現在の場所に落ち着いた。店内は、奥行きのある明るい空間が広がる。既製のシャツやタイなども販売する。
住所/Via dei Fossi 43r 日曜日休。


毎日新しいことを学ぶ、進化し続ける真のマエストロ~ミラノ

 ナポリから北上するごとに、街の性格と気候の変化を感じてきた。最終目的地のミラノに到着すると、その違いがはっきりとした。大都会のミラノは、あまり人から干渉されない。人情味のあるナポリとはかけ離れた、クールな一面がある。冬のミラノは格段に冷える。服は自分を表現する装置である前に、身を守る道具でもある。その意味では、ミラノのスーツがナポリに比べて、肉厚で構築的なつくりになるのも当然だ。「サルトリア名店」紀行の最後に訪れたアトリエは、ティンダロ デ ルーカ。ミラノモーダの有名ブランドが軒を連ねる中心地、スピーガ通りとモンテナポレオーネ通りに挟まれた、ジェズー通りにある。

 オーナー兼サルトのティンダロ・デ・ルーカ氏は、1947年イタリア南部のシチリア州タオルミーナで生まれた。タオルミーナの巨匠サルトのフィリッポ・グレゴリオに学び、14歳でローマに渡る。ドメニコ・カラチェニと同時代を生きた伝説の名サルトのチロ・ジュリアーノのもとで修業。そして、ミラノに移り、当時最も腕利きのカッターだった、ジョヴァンニ・リズーリアから薫陶を受ける。デ・ルーカ氏は、3大巨匠のそれぞれから優れた仕立て技術を習得して、’75年に独立した。今年で67歳となるデ・ルーカ氏は、ミラノで最も円熟したマエストロである。ティンダロ デ ルーカのスーツの最大の魅力は、名サルトリアでの豊富な仕事からたどり着いた、この店だけの独自のスタイルだ。

 構築的なつくりや、イギリスの生地を好むため、英国的なスーツの香りが漂う。しっかりとした肩のラインや胸のボリューム感が、実に色っぽい。胸ポケットは南イタリア特有の、船底型のバルカタイプだが、その角度はあまりにも鋭角的だ。それぞれのパートには、デ・ルーカ氏のこれまでのキャリアがしっかりと刻み込まれている。自身のスタイルを形づくった、デ ルーカ流のオリジナルスーツになっている。

 確立されたスーツスタイルがあっても、決して留まることはなく、技術の向上や服づくりの新しい発見を日々感じとる、と言うデ・ルーカ氏。「サルトに完成はありません。毎日の服づくりから学ぶべきものがあります。たとえ、同じ人がオーダーした2着のスーツでも、それぞれに違いが必ずあります。些細な部分にも学ぶべきことが詰まっています」

 毎朝、6時半にはだれよりも早くアトリエに入り、12時間を超える仕事をするデ・ルーカ氏。「終わりなく育ち続けることだ」と最後に話した。

【Tindaro De Luca/ティンダロ デ ルーカ】
伝説の名サルトに学び独自のミラノスタイルを確立した巨匠

棚に並んだ生地はざっと数千種類。グレーだけでも100種類以上あるから驚きだ。
棚に並んだ生地はざっと数千種類。グレーだけでも100種類以上あるから驚きだ。

■SHOP DATA

1975年に独立し、マッテオッティ通りに最初のサルトリアを開いた。’97年に現在の場所に移転。ミラノの中心地にありながらも、閑静な雰囲気のジェズー通りに佇む。オーダーサロンに入ると、スーツ、コート、シャツなどの夥しい種類の生地にまず目が奪われる。数千種類の生地を棚に陳列する。住所/Via Gesu’15 日曜日休。

超一流のマエストロたちが仕立てた、最高傑作の服!

左上/イタリア中のサルトリアに生地を卸す、生地マーチャントの大手〝ドラッパーズ〟のデッドストック生地を使ったスリーピーススーツ。ブラウン地に施した鮮やかなストライプ柄が、スーツのシルエットをよりシャープに演出する。背筋がスッと伸びるような張りのある着用感が醍醐味である。2005年製作/私物
左下/オーダーサロンの生地棚から探し出した、ネイビーのヘリンボーン柄を使った、同店自慢のコート。肩とそで部分の縫製だけで4時間、総製作時間は100時間を超える逸品だ。大きなラペルの存在感はもちろん、後ろ側はバックベルトを配し、ドレープを見事に表現する。裏地は真っ赤なタータンチェック! 2012年作/私物
右上/ナポリの生地マーチャントカチョッポリで手に入れた、地中海ブルーのコットン生地でオーダー。体にぴったりと寄り沿う、タイトなシルエットを実現した秀作のシングル3ボタンの段返りスーツ。オーダーだからこそ、仮縫いのときに注文を重ねて、極限までフィッティングにこだわった一着。2013年製作/私物
右下/フランスの生地マーチャントドーメルの人気生地『アマデウス』で仕立てた、典型的なハウススタイルのシングル3ボタンの段返り。仕立ててから10年が過ぎたいまも、綺麗にロールするラペルは、パターンはもちろん、芯地、縫製、アイロンワークなど、すべての服づくりの仕事が完璧な証だ。2004年製作/私物
左上/イタリア中のサルトリアに生地を卸す、生地マーチャントの大手〝ドラッパーズ〟のデッドストック生地を使ったスリーピーススーツ。ブラウン地に施した鮮やかなストライプ柄が、スーツのシルエットをよりシャープに演出する。背筋がスッと伸びるような張りのある着用感が醍醐味である。2005年製作/私物
左下/オーダーサロンの生地棚から探し出した、ネイビーのヘリンボーン柄を使った、同店自慢のコート。肩とそで部分の縫製だけで4時間、総製作時間は100時間を超える逸品だ。大きなラペルの存在感はもちろん、後ろ側はバックベルトを配し、ドレープを見事に表現する。裏地は真っ赤なタータンチェック! 2012年作/私物
右上/ナポリの生地マーチャントカチョッポリで手に入れた、地中海ブルーのコットン生地でオーダー。体にぴったりと寄り沿う、タイトなシルエットを実現した秀作のシングル3ボタンの段返りスーツ。オーダーだからこそ、仮縫いのときに注文を重ねて、極限までフィッティングにこだわった一着。2013年製作/私物
右下/フランスの生地マーチャントドーメルの人気生地『アマデウス』で仕立てた、典型的なハウススタイルのシングル3ボタンの段返り。仕立ててから10年が過ぎたいまも、綺麗にロールするラペルは、パターンはもちろん、芯地、縫製、アイロンワークなど、すべての服づくりの仕事が完璧な証だ。2004年製作/私物

 4都市の名サルトリアを巡る旅も終了。一流のマエストロたちと時間を共にしながらの、服づくりの過程では、かけがえのない時を過ごすことになる。私は、服の魅力だけではなく、イタリア人の楽天的な人生観をも吸収できる、その場所にいることが、堪らなく好きなのである。

Vi ringrazio!(感謝を!)

この記事の執筆者
TEXT :
矢部克已 エグゼクティブファッションエディター
BY :
MEN'S Precious2014年春号 艶めきのサルトリア名店紀行より
ヴィットリオ矢部のニックネームを持つ本誌エグゼクティブファッションエディター矢部克已。ファション、グルメ、アートなどすべてに精通する当代きってのイタリア快楽主義者。イタリア在住の経験を生かし、現地の工房やテーラー取材をはじめ、大学でイタリアファッションの講師を勤めるなど活躍は多岐にわたる。 “ヴィスコンティ”のペンを愛用。Twitterでは毎年開催されるピッティ・ウォモのレポートを配信。合わせてチェックされたし!
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クレジット :
撮影/篠原宏明(impress+/取材) 戸田嘉昭(パイルドライバー/静物) 構成/矢部克已(UFFIZI MEDIA)
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