今、「介護離職」が大きな問題になっています。

 総務省統計局の「平成24年(2012年)就業構造基本調査」によると、2011年10月~2012年9月までの1年間に、家族の介護や看護を理由に退職した人は10万1100人。そのうち8割が女性でした。

 とはいえ介護保険をはじめとする国の自治体の制度、勤務先の福利厚生制度、地域のサービスなどを上手に活用して、親が介護状態になっても仕事を辞めずに続けている人もたくさんいます。東京・中央区在住のユカコさん(50歳)もその一人です。

【ケーススタディ】大手百貨店に勤めているユカコさんは、面倒見がよく後輩にも慕われる姉御肌。同期に先駆けて管理職に抜擢され、45歳で年収は1000万円を超え、シングル女性の憧れのような存在です。

今は月に2~3回、母親の介護のために、実家のある岡山県に帰省していますが、それでも介護と仕事の合間を縫ってピラティス、歌舞伎鑑賞などの趣味の時間も持つようにしています。

ユカコさんのもとに、実家近くで暮らしている叔母さんから電話がかかってきたのは4年前。2013年の秋も深まったころのことでした。ふだん電話などしてこない叔母さんからの突然の連絡に、ユカコさんは一抹の不安を覚えたのです。

ある日、突然始まった母の認知症は、ユカコさんの生活を一変させた

遠く離れた場所に住む親に介護が必要となったら…
遠く離れた場所に住む親に介護が必要となったら…

「あぁ、ユカちゃん。元気にしてる? 忙しいところにごめんね。実は、あなたのお母さんの様子が気になって電話したの。最近、お母さんに会ってる?」

 当時、ユカコさんは広報グループのチームリーダーに抜擢され、休日返上で仕事をする日々を送っていました。その年はお正月にも実家に帰省できなかったほどで、時折かかってくる母のヤエコさん(76歳)からの電話にも出られない日々が続いていました。

「最近、仕事が忙しくて、1年以上、実家に帰ってないんです。母がどうかしたのでしょうか?」

「実は、この間、久しぶりにヤエコお姉さんのところにいったら、部屋が段ボールだらけで、ぐちゃぐちゃなの。あんなにきれい好きだったのに、ヘンでしょう。何度も同じことを繰り返して話すし……。ユカちゃん、一度、お母さんの様子を見に帰ってこられないかしら」

 叔母さんは、どうやらヤエコさんが認知症を患っているのではないかと心配しているようなのです。ユカコさんに兄弟はなく、8年前の2009年に父を病気で見送ってから、母のヤエコさんは岡山の自宅でひとりで暮らしていました。

その週末、なんとか仕事をやりくりして岡山に向かったユカコさんは、実家に着くなり、その変わり具合に愕然としたのです。

ユカコさんが子どものころからヤエコさんはきれい好きで、家はいつも整理整頓されていました。無駄なものを部屋におくのが大嫌いだったはずなのに、久しぶりに帰った実家には、部屋のいたるところに大きな段ボールが積み重ねられていました。そのほとんどは封をしたままです。台所に行ってみると、流しには使った食器や鍋がそのままになっています。

(おばちゃんの言うことは本当なのかしら……)

不安になったユカコさんは、「どうしちゃったの。この段ボールは何? お母さん、部屋に余計なものを置くの、嫌いだったじゃない」と詰め寄ったものの、返ってくる答えは要領の得ないものばかり。しまいには「うるさい! だまれ!」と、ユカコさんに罵詈雑言を浴びせます。

「まさか、あのしっかりものの母が認知症になるなんて…。信じられない気持ちでしたが、寝室のクローゼットを見たら汚れた下着が何枚も隠してあって、これはもう病院に連れていかないとダメだと思いました」(ユカコさん)

 ところが、気位の高いヤエコさんは、「大丈夫だから」と、病院に行くことをかたくなに拒み続けます。自分でも「おかしい」と思いながらも、医師から診断をくだされるのが怖かったのかもしれません。

とはいえ、そのままヤエコさんをひとりにしておくこともできないと思ったユカコさんは、病院に連れていくことはあきらめて、当面の面倒を見てもらうために、民間のヘルパー会社と契約することにしたのです。

民間のヘルパー代、毎月の帰省代、年収1000万円でも介護破産寸前に

介護のための出費がかさむ
介護のための出費がかさむ

 以来、平日は民間のヘルパーさんにお願いして、週末になるとユカコさんは疲れた体に鞭打って、岡山の実家に帰るようになりました。その間のヘルパー代は、月に約20万円。毎週末、実家に帰るための飛行機代もばかになりません。

 直接的な介護費用のほかに、想定外の出費もありました。家に積まれていた段ボールの中からでてきたのは羽根布団や浄水器、宝石、健康食品など、ヤエコさんが次々と通信販売で購入した商品の数々です。本人も注文したことを忘れてしまっていたのですが、クーリングオフ期間も過ぎていたため、ユカコさんは仕方なく貯蓄を取り崩して支払うことに。

 そんな生活が1年ほど続いたころ、ユカコさんの体を心は限界に達しました。朝、会社に行こうにも起き上がることができなくなったのです。

経済的な痛手も、ユカコさんを不安にさせました。年収は1000万円あっても、時間のなさをお金で買わざるをえないため、お金に羽が生えたように出ていくのです。貯蓄もどんどん減っていき、絶望的な気分に……。

ユカコさんの脳裏に「介護破産」という言葉が浮かびました。

「もうこれ以上、この生活を続けるのは無理。とはいえ、一人っ子なので、私以外に母の面倒を見る人はいません。当時は、会社を辞めて実家に帰り、退職金で母の面倒を見ようと思っていました。そこまで追い詰められていたんです」

 母の介護のために仕事を辞める決断をしたユカコさんでしたが、意外な展開が待っていました。上司に退職を申し出たところ、こう声をかけられたのです。

「まずは雇用保険の介護休業給付を利用してみたらどうだい?」

 介護休業給付。ユカコさんにとって、はじめて聞く言葉でした。

雇用保険の介護休業給付を利用して、「介護離職」を回避しよう

介護休業給付は介護休業制度のひとつで、加齢や病気などによって介護が必要な親や配偶者、子どもなどがいる場合に、サラリーマンが利用できる雇用保険の制度です。

『書き込み式!親の入院・介護・亡くなった時に備えておく情報ノート』(翔泳社)などの著書があり、介護問題に詳しいジャーナリストの村田くみさんは、「介護休業給付を使って、親の介護をしながら仕事を続けている人は増えている」といいます。

「いったん仕事を辞めると、せっかく積んできたキャリアに影を落とすので、親の介護で会社を辞めるのはできるだけ避けたいもの。

介護休業給付は雇用保険の制度で、介護が必要な家族ひとりにつき、最長93日間の介護休業がとれ、その間は所得補償が受けられます。介護は長丁場です。ひとりで背負いこむと、体力的にも精神的にも消耗するので、この3カ月の間に地域包括支援センターなどに相談して、どのように介護していくか、どのような施設を利用するかといった介護体制を整えてほしいと思います」(村田さん)

【介護休業給付】とは

雇用保険に加入している人が、ケガ、病気、身体や精神上の障害により、2週間以上、常時介護を必要とする家族の介護するために休業した場合に、一定要件を満たすと給付を受けられる制度。

 
 

 介護をしている最中は、目の前にいる要介護の親をどうするかで頭がいっぱいになりがちです。でも、介護でキャリアを中断してしまうと、その後の人生には大きな影を落とします。

「親の介護が終わったら、また働けばいいと思うかもしれませんが、中高年以降は再就職も難しいのが現実です。もとは高収入だったのに介護離職し、その後は転職を繰り返して、最終的にはホームレスになってしまったというケースもあります。介護休業給付のほか、介護保険や自治体のサービスなどを利用すれば、介護と仕事の両立も決して無理ではないので、介護離職はなんとしても避けてほしいと思います」(村田さん)

介護を続けながら仕事も続けたい
介護を続けながら仕事も続けたい

 介護休業給付という制度があることを上司から教えてもらったユカコさんは、母・ヤエコさんとの介護の日々をポツポツと語りました。すると、上司はやさしい声でこう言ったのです。

「それは大変だったね。だけど、介護は長丁場ではあるけれど、いつかは終わる。そのときに、介護が原因で仕事を辞めていたら後悔するんじゃないかな。ここで君に辞められたら、会社としても痛手だよ。まずは、介護休業給付を使って、これからのお母さんの介護のことをよく考えてみてごらん」

 上司の言葉を聞いたユカコさんの頬には、とめどもなく涙が流れました。母・ヤエコさんの介護が始まってから1年間。ギリギリのところで踏ん張っていたユカコさんに、一筋の光が見えた瞬間でした。

 上司のアドバイスで、介護休業給付を取ることにしたユカコさんですが、それだけではこれからの介護生活を乗り切ることはできません。ユカコさんが介護破産直前まで追い込まれたのは、民間のヘルパーだけを頼りにしていたというのも大きな理由です。

 でも、介護破産をせずに長丁場の介護を乗り切るためには、公的な介護保険や行政サービスを利用することが必要です。次回は、ユカコさんが介護を乗り切るために必要な介護保険のサービス内容、また介護保険で利用できる高齢者施設などを見ていきましょう。

村田くみさん
ジャーナリスト/一般社団法人介護離職防止対策促進機構アドバイザー
(むらた くみ)1969年生まれ。会社員を経て、1995年に毎日新聞社入社。週刊誌「サンデー毎日」の記者を経て、フリーランスライターに。おもに経済、環境、介護問題に携わる。父親を看取り、現在は母親の介護をしながら、ジャーナリスト、ファイナンシャル・プランナー(AFP)として週刊誌などで、社会保障、介護、マネー関連の記事を執筆。2016年1月、一般社団法人介護離職防止対策推進機構のアドバイザーに就任。著書に『おひとりさま介護』(河出書房新社)、『書き込み式!親の入院・介護・亡くなった時に備えておく情報ノート』(翔泳社)。共著に『介護破産 働きながら介護を続ける方法』(KADOKAWA)がある。
この記事の執筆者
1968年、千葉県生まれ。編集プロダクション勤務後、1999年に独立。医療や年金などの社会保障制度、家計の節約など身の回りのお金の情報について、新聞や雑誌、ネットサイトに寄稿。おもな著書に「読むだけで200万円節約できる!医療費と医療保険&介護保険のトクする裏ワザ30」(ダイヤモンド社)がある。