人間に奇跡は起こらない。だから「びっくりするほど若い」ことの嘘

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ヘレン・ミレン

以前から言われていた。英国女性は、不思議に歳を取らないと。いや、厳密に言うと、とても自然に年齢を重ねている。だからこそ、むしろ今の時代、若々しく見えるのである。

例えば、76歳となるヘレン・ミレンに、同じく76歳シャーロット・ランプリング、「びっくりするほど若い」というのではない。ただ本当に美しく歳をとっている。年齢を重ねるほどに美しくなると言ってもいいほどに。そういう上手な歳の取り方をすると、不思議に歳をとらない人、という評価がさらに加わってくるのである。

正直を言えば、今どき「奇跡の五十歳!」などという言い方をされるケースの多くは、美容医療に熱心であることの証。一部に、生まれながらの透明感や愛らしい童顔で、確かに奇跡的に若く見える人がいるけれど、どんなに美容が進化しようと、人間が歳をとることにおいて奇跡は起こらない。異様なまでに若くみえる人は、極めて上手に丁寧に、美容医療を定期的に行っているに過ぎないのだとも言われる。

どちらにせよ、その美容医療とどうやって付き合うか? セレブの年齢印象は、今や多かれ少なかれそこにかかってきている。逆に言えば、その美容医療との向き合い方にこそ、人それぞれの美意識やら知性やら価値観やらがそっくり示されると考えてもいい。

そういう意味で、お国柄と言うのだろうか? アメリカ出身のセレブには、誰が見てもわかるような美容医療の恩恵にどっぷり浸かっている人が少なくない。ただ美容医療の本場だけに、やり過ぎの人がどうしても多くなり、特に早いうちからやりすぎている人の中には顔が変貌した人として、度々ゴシップ誌に取り上げられるようなケースが出てきてしまうわけだが、なぜか英国女優には、ゴシップ級の美容医療に身を投じている人が見当たらない。やっているのか、いないのか、それすら問題にさせないほどにナチュラルに年齢を重ねているのに、ちゃんと美しさを保っていることには、本当に感心させられる。

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シャーロット・ランプリング

そこで明らかになるのは、年齢に抵抗したり、若さにしがみつこうとしないほうが、結果として人はむしろ若々しく美しい印象を他者に与えている事実。美容医療で奇跡的な若さを保つことは今、全く可能なのにもかかわらず、そこに頼らない人ほど、若々しく美しく見えてしまうなんて皮肉な話。

人間には、人の顔の微妙な変化を見分ける「顔細胞」がある

それはすでに私たちの目が、美容医療の有無や程度を見分けるようになってしまっていて、だからほぼ無意識に、それを差し引いて評価する頭の構造になってしまったということではないか。

人間には「顔細胞」という、他人の顔を認識する特別な能力が備わっていると言われる。それは、いかなる人混みの中でも知人の顔を見つけられたり、一度会った人の顔は忘れなかったり、顔に対してだけ適用される能力のこと。だから、人の顔の微妙な変化に極めて敏感だったりする。一方で、新しい顔印象にもすぐ目が慣れてしまうこともひとつの能力。だから美容医療を施した顔の特徴もあっという間に記憶しているのだ。

つまりは美容医療が進化した分だけ、私たちの目も肥えて、新しい審美眼を持ってしまったということ。その審美眼をして、英国女優は見事に美しく歳を重ねた女性たちと見えるのである。

40代、50代にも、“美容医療感”を全く感じさせないレイチェル・ワイズやナオミ・ワッツ、ケイト・ウィンスレットがいる。実はオードリー・ヘプバーンも国籍はイギリスである。

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ナオミ・ワッツ

それにしても英国女優はなぜ、みな揃いも揃ってそういう選択ができるのか。不思議である。知性の現れと言ってしまえば簡単だけれど、少なくともこの顔ぶれを見る限り、それぞれが持つ英国的な美意識が洗練された知性と相まってもたらす、とても自然な選択なのだろう。

ヘレン・ミレンは、シェイクスピア作品を上演する舞台女優出身、イギリスのテレビドラマでエリザベス一世、エリザベス二世を演じて存在感を見せつけた人だ。

シャーロット・ランプリングは画家を母に持つ芸術家肌で、少年のような体をヘルムート・ニュートン撮影のヌード写真によって披露して衝撃を与えたのち、この人を世界的な女優にした映画『愛の嵐』では、ナチスドイツの将校の帽子とサスペンダーだけを身につけ、彼らに弄ばれるユダヤの少女を演じたのは、あまりにも有名。個性的な美しさは、芸術性の高い作品でこそ生かされる特別な存在だ。

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『愛の嵐』 Photo: Avco Embassy Pictures / The Hollywood Archive / Avalon / Zeta Image

そしてレイチェル・ワイズは、ケンブリッジ大学出身。英文学を学ぶ中で演技に関心を持ち、自ら劇団を立ち上げた筋金入りの演技人。

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レイチェル・ワイズ

英国女優がまさに年齢を経るほどに美しさを増していくのは、本来この人たちの中に息づいている芸術性と、演じることへの強い想い、高い演技力がもたらすベクトル。女優に関して言えば、美貌で売ってきた人より、演技派の方がはるかに美しく歳をとるのも、要はその年齢なりの人物をしっかりと演じることに使命感を感じるからなのだろう。それが彼女たちの美意識なのである。

ケイト・ウィンスレット
ケイト・ウィンスレット

その人は自らを「古典的な美人だとは思わない」と言った

こういう言い方はなんだけれども、女優にもきっちり2種類いるということ。演じるために女優になった人と、成功のために女優になった人と。

一概には言えないけれど、演じるより成功が先に来る人の多くは、美しいが故に成功を夢見る人に他ならない。そしてさらに決めつけてはいけないけれども、ハリウッドはやはりサクセスストーリーに挑む聖地。シェイクスピアを生んだ国とは、やはり根本的に価値観が違うはずなのだ。

ヘレン・ミレンは、自らを「古典的な美人だとは思わない」というふうに語っている。でもその年齢なりの美しさには誇りを持っていると。もちろんそれが理想だと私たちも知っている。ただそれを、胸を張って言えるかどうか、ここを分けるのはやはり、“古典的な美に頼らない”だけの、何かの能力や才能や、打ち込めるもの、愛するものを持っているという力みのない自信。それに尽きると思う。

これからの時代ますます、美容医療をやっているかどうかが見た目の若さを分けていくのだろう。そして今後ますます、自然な美容施術が一般的なものになってくるのだろう。ただ、やり続けない限りその若さは続かない。財力があるか、そのために働くか、それしか並外れた若さを得る方法がないと考えると、何か寂しい気がしないでもない訳で。

もちろん若く美しくあることに、すべてをかける人生があってもいいと思う。でも、それだけにこだわらない、大切な“何か”を持っているからこそ、奇跡的な若さにしがみつかない人たちがいることを、これから歳を重ねていく世代も知っておくべきなのではないだろうか。

人間に、奇跡は起こらない。だから奇跡的な若さや美しさには、それ相当の執着とお金がかかることを踏まえて、これからの人生の営み方、年齢の重ね方を決めていくべき。英国女優のように、その年齢なりの美しさを生きていくことの素晴らしさを、早いうちに知っておくべきなのである。

この記事の執筆者
女性誌編集者を経て独立。美容ジャーナリスト、エッセイスト。女性誌において多数の連載エッセイをもつほか、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。近著『大人の女よ!も清潔感を纏いなさい』(集英社文庫)、『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)ほか、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。好きなもの:マーラー、東方神起、ベルリンフィル、トレンチコート、60年代、『ココ マドモアゼル』の香り、ケイト・ブランシェット、白と黒、映画
PHOTO :
Getty Images, Zeta Image
EDIT :
渋谷香菜子