みなさま、こんにちは。花々が美しい季節になり、そろそろ結婚式シーズンでもありますね。

 日本の結婚式で見られる奇異な慣行はいくつかありますが、そのなかのひとつに、男女カップルの礼装における和洋混合があります。式場のなかに、多様な文化の礼装が百花繚乱というのはよいと思うのですが、たとえばご媒酌人などの礼装では、カップルなのに、男性がモーニングコート、女性が模様つきの紋付き留袖というのは、いかがなものなのでしょうか? 天皇陛下・皇后陛下もモーニングと和装という組み合わせで登場されることがありますので、もしかしたら、この和洋混合装を不思議には思わない方が圧倒的に多いと思われます。しかし、何の疑問も呈されないまま格式高い礼装として受け入れられているのは、いったいなぜなのでしょうか? 婚礼の専門家は「そういうことになっている」と言いますが、では、いつ誰が「そういうこと」に決めてしまったのでしょう? 私はずっと疑問に思っておりました。

18世紀末〜19世紀後半、西洋で流行した最も一般的なコート型の表着

18世紀末から19世紀初頭のヨーロッパ。男性はフロックコートで夫人はシルクドレスが一般的だった。写真:Mary Evans Picture Library/アフロ

 その起源を明らかにしてくれる学術書に出会いました。小山直子著『フロックコートと羽織袴 礼装規範の形成と近代日本』(勁草書房)です。明治新政府が布告した新しい服制が、どのような性格のもので、いかなる過程を経て一般に普及したのか。なぜ、一般の女性の礼装は配偶者と同じ洋装ではなく、白襟の裾模様つき紋付きの着物なのか。当時の新聞や雑誌、書物を丁寧に検証しながら、国民国家の形成と礼装規範の連動を明らかにしていく約350ページ近い大著で、2016年3月に刊行されています。

礼装の起源を紐解いた1冊

著:小山直子「フロックコートと羽織袴 礼装規範の形成と近代日本」勁草書房 4,104円(税込)

 礼装規範が定まっていく過程の諸説入り乱れる議論も興味深く、ぜひ各自でお読みいただければ幸いですが、本欄では、関心はあるけれど学術書を読む時間がなかなかとれないというみなさまのために、大雑把な要点だけを抽出し、ご紹介させていただきます。

明治5年、衣冠直垂に代わり、通常礼服として燕尾服が、通常服としてフロックコートが、明治新政府によって制定されました。とはいえ多くの官吏にとって燕尾服の調達は困難で、フロックコートが「換用」されるようになっていきます。ちなみに「礼服」には、「天皇に拝謁する際の装束」という意味が歴史上、含まれてきました。やがて天皇巡幸などの国家行事参加者への服装規定として、西洋の慣習や流行を無視した、日本独自の男子の礼装として通常服=フロックコートと黒高帽=シルクハットが定着していくにいたります。

 外国人の視線を気にして西欧と互換性のあるシステムに整えよう、と宮内庁が勇んで制定した服制ではありましたが、その内容が当時の西洋の習俗とはかなりずれていることは、民間識者から疑問視されておりました。それでも、宮内庁は間違いを正すことはせず、面倒な状況に追い込まれたら「思召(おぼしめし)」という名の特例や、「黙許」という手法を使い、大枠に変更が及ばないような既成事実を積み重ねていくことによって、日本独特の礼服のシステムを普及させていくのです。

 ちなみに「紋付羽織袴」を明治政府は冷遇しました。どんなに威儀を正した着装でも、羽織袴では宮中への参内は認められず、国家的行事では入場が拒否されるケースもありました。「一般人民」が洋装の「代用」として着ることは許可するという扱いでした。本書に引用された内田魯庵の言葉を借りれば、「日本ではフロックコートにシルクハットでなければ紳士的扱いを受ける事ができない。(中略)日本の固有の羽織袴の如きは野人の服装として賤民扱ひされる」という状況です。大正8年、原敬内閣の時期になってようやく、紋付羽織袴が、モーニングコートとともに、公に礼服として認められるのです。このころはさすがに西洋でも時代遅れになっていたフロックコートに代わり、モーニングコートが規定されています。

 一方、国家は一般女性に対しては、勅令としてはとくに何も制定しませんでした。ただし、宮中行事に参加する華族や上中級官吏の女性には、内達によって和装のほかに洋装の婦人服制を定めます。たとえば明治19年には、大礼服としてのマント・ド・クール、中礼服としてのローブ・デコルテ。小礼服としてのローブ・ミー・デコルテ。通常礼服としてのローブ・モンタント。しかしこの服制は現実味がなく、宮中の女官と皇族の女性のみに遵守されるにいたります。そのほかの上流階級の女性や一般の女性は、洋装の皇族に遠慮するような形で自主規制をおこない、横並びの「白襟紋付」の着物に落ち着いていきます。黒い着物に裾模様を入れるのは、喪服ではないことを表すため。下田歌子さんの「誰が極めるといふわけでもない中にきまりがつき」という名言がずばり日本的な女性の状況を表しています。

 以上、350ページの大著のエッセンスを紹介するには乱暴なまとめではありますが、日本で慣例として定着している和洋混合礼装の起源とその背景がうっすらとお分かりいただけるのではないかと思います。

 それにしても、「礼装」に対する向き合い方において、100年以上経過しても、日本人のメンタリティはさほど変化していないように見えます。男性は、たとえそれがグローバル基準とずれたものであろうと「上」が決めたらその指令に従う。「クールビズ」の時もそうでしたね。そして女性は自分だけ目立つおそれのある装いを嫌い、「上」に忖度しつつ、「分をわきまえている」ことを示すことができるような、おとなしめの横並びを求める。いずれにせよ、夫婦間の調和よりも、「隣の同性社会」を気にしながら無難に振る舞うことを重視し、そこと横並びであることに落ち着きを覚えるのが日本人なのですね。

 いやもしかしたら、日本という監視社会においては、夫婦間の調和を第一に考えるよりもむしろ隣の同性社会を強く意識するベクトルをもっていることが、長い夫婦生活を「無難に」やっていく秘訣ですよという暗黙のメッセージが、ご媒酌人やご両親の和洋混合装にこめられているのかもしれません。

この記事の執筆者
株式会社Koari Nakano代表取締役。エッセイスト/服飾史家として研究・講演・執筆・企業の顧問講師などを行っている。日本経済新聞、読売新聞ほかに連載中。ケンブリッジ大学客員研究員、東京大学非常勤講師、明治大学特任教授を歴任。著書『紳士の名品50』(小学館)、『モードとエロスと資本』(集英社)ほか多数。
公式サイト:中野香織オフィシャルサイト
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