1874年、第7代マールバラ公爵の末裔ランドルフ・チャーチルの息子としてウィンストン・チャーチルはは生まれる。士官学校卒業後、軽騎兵第四連隊へ任官するが、彼が第四連隊を選んだ理由のひとつは、「軍服が綺麗だったから」。新任の将校時代でも朝から風呂の後にマッサージを受け、豪奢な夕食の後には毎日カードを楽しんでいたというから、贅沢な嗜好は若かりし頃から身体に染み付いていたことが容易に想像できる。

肌が弱かったので、子供の頃から下着も絹しか身に着けていなかったが、青年時代の写真を見ると意外や端正
な顔立ちと中肉中背の好男子であった。

第二次世界大戦を終了させたウィンストン・チャーチル

若い頃より一流を好んだ

写真:Mary Evans Picture Library/アフロ
写真:Mary Evans Picture Library/アフロ

政治家として下院に初当選したのが25歳の時。1911年には海軍大臣となり、無限軌道車の戦車の開発に奔走するが、この頃から徐々に恰幅がよくなる。そこで身体に合わせて注文したのが、ジャーミンストリートの「ターンブル&アッサー」のシャツ。生涯一度も他のシャツにそでを通さなかったといわれるほどの溺愛ぶり。トレードマークのポルカドットの蝶タイも第二次世界大戦中、防災服として彼が着たベルベットのサイレンスーツも同店のもの。

この頃、彼の一流好みは終始一貫していた。サヴィル・ロウの「ヘンリープール」で仕立てたスーツと「ジ
ェームズ ロック」のホンブルグ帽に身を包み、エドワード7世から贈られたステッキがお決まりのスタイル。特注サイズのハバナ葉巻をふかし、ポル・ロジェのシャンパンをいつも手元に。

戦時中でも「贅沢は慎もう、だが、楽しみは別だ」(『チャーチルの強運に学ぶ』PHP研究所刊)との言葉を残しているが、これこそかつて世界を征服した英国人ならではの発想であり、ジョンブル魂の真髄。

彼がよく見せた2本指のサインは、ピースサインではなく「Victory=勝利」の頭文字。戦争の勝利への意欲のための合図だったといわれているが、そんな愛くるしい表情の裏に隠されたチャーチルの鉄の意志が、英国を勝利に導いたのだ。

※2011年冬号取材時の情報です。

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MEN'S Precious編集部 
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MEN'S Precious2011年冬号より
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PHOTO :
唐澤光也(パイルドライバー) 
WRITING :
小暮昌弘
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