フランスのベルエポックとか米国のフィフティーズだとか、過去のある時代を極端に理想化することによって現実から逃避することを英語で「ゴールデン・エイジ・シンドローム」と呼ぶのだそうだ。

ずきっ。近い。ぼくが妄想したり、酔って話すことなんかそうとうこの症候群に近い。もともと現実逃避は得意中の得意だし……。まあ〈ある時代〉という部分はあたらないかな。時代も場所もバラバラで、男がいる風景のときもあれば、女のそれのときもある。そしてその多くは、かつて見惚れた映画のワンシーンだったりするから、ぼくの場合はせいぜいが「ゴールデン・シーン・シンドローム」だろう。

『日の名残り』に見る英国紳士のオーセンティック

ツイードはスリーピースが当然だった時代

たとえば、いまの時期なら、秋風荒ぶ英国のカントリーサイド。古城の書斎で物憂げに『ザ・タイムズ』を繰る貴族の男と、お茶を運んでくる執事。ときは二つの大戦の狭間1930年代。そんな世界に飛んでいきたい。金髪長軀のダーリントン卿を演じるはジェイムズ・フォックス、執事役はアンソニー・ホプキンスだ。1993年公開の秀作『日の名残り』である。

本人がアッパークラス出身のフォックスは1930年代既に凋落の坂を下っていた貴族階級の残照のようなものをまさに体現していた。ヘリンボン・ツイードのスーツなんざ、たまらなかったね。

いまツイードというと、ジャケットとかブルゾンとかアラカルトで着るのが普通だろうが、この頃はスーツ、それもスリーピースのほうが常識だった。年間平均気温が10度に欠けようという国だから、その上からツイードのコート、さらにツイードの帽子を被ることもあり。

毎朝、朝食を済ますと、ダーリントン卿はツイードスーツに身を改める。客があろうとなかろうと、領主にとって屋敷はオフィスでもあるからだ。足元はきりりと茶のオクスフォード。このあたりの折り目正しい日常が昔の貴族らしくて、ぼくは好きだ。

現代のスリムな、悪く言うと窮屈なテイラーリングと違い、ダーリントン卿のスリーピースは悠々としている。胸から裾にかけてのラインは生地のながれのままに緩やかなドレープとなり、トラウザーズの股上は深く臍辺にまで及び、ウエストコートと完璧な一体感を生み出している。美しい。吉田茂が、白洲次郎が憧れたカントリー・ジェントルマン・スタイルとは、まさにこれなのである。

物語では、ナチスの謀略とは露知らず、英国の平和と自らの名誉をかけて会談に臨むダーリントン卿。その貴族的なスタイリングが光彩を放てば放つほど結末に胸を痛める、ぼくのゴールデン・シーンなのである。

『日の名残り』
カズオ・イシグロの原作をもとに、美しい映像で定評のあるジェイムズ・アイヴォリー監督が映画化。貴族のもとで働く執事(アンソニー・ホプキンス)の揺れ動く老年の恋心と悲哀を描く。(ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント)
※2011年秋号取材時の情報です。
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イラスト :
ソリマチアキラ
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