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鈴木保奈美×Cartier
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パンテール
パンテール

「Discours」=ディスクールとはフランス語で、
言葉で表現する、という意味。
この連載では、女優・鈴木保奈美さんが
カルティエというメゾンの奥深き世界へと
毎回旅をし、感じたこと、発見したことを、
自らの文章で綴ります。

パンテール
パンテール

vol.1 「“パンテール”と呼ばれた女」 文・文字/鈴木保奈美

鈴木保奈美×Cartier
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ざらりとした獣の毛がふくらはぎを掠めた気がして、現実に引き戻された。いつの間にか微睡んでいたのだ。床の上に何冊も積み上げられた、分厚い書物の隙間に横たわって。
カルティエの資料をいく日もかけて読み込んでいる。金色でタイトルが型押しされた、ずっしりと重い深紅の布貼りの背表紙。すべすべの紙に印刷された鮮やかなカラー写真。メゾンの華やかな歴史や、王侯貴族の逸話。宝飾技術の発展。価値観。芸術性。企業としての、社会的な取り組み。途方に暮れそうな膨大な資料の山に決死の覚悟で分け入っていくと、やがて、アラジンのランプを擦ったときのようにふうわりと薄紫色の煙が立ち上り、一人の女性の姿が現れる。小柄でショートカットで、微かな笑みをたたえている。足元に、しなやかな獣を従えている。あなたは誰?
彼女に関する評伝は驚くほど少ない。いや、驚くことではないのだろう。歴史上の女性の人生は、常に関わった男たちとの関係性でしか語られない。誰の娘として生まれ、誰の妻となり、誰の母となったか。そのかわり、波間にぽっこりと顔を出した時の記録しかないのだから、水面下の物語を、こちらは自由に想像することができる。彼女の面影に取り憑かれたわたしは、散らばった情報をかき集め、どこにも書かれていない物語で点と点をつないでいこうと試みる。

手書きメモ
手書きメモ
鈴木保奈美×Cartier
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1914年から始めよう。サラエヴォ事件が起きて第一次世界大戦が始まった年。宝塚少女歌劇団が第一回公演を行い、東京駅が開業した年。ココ・シャネルがドーヴィルで新しいタイプの婦人服を売りまくっていた年。この年のパリに、ふたつの「ラ・パンテール」が存在した。
ひとつは、文字盤の周りを「スポッツ モチーフ」、つまり豹柄で装飾した腕時計。豹柄ったって、大阪のおばちゃんを想像しちゃあいけない。ダイヤモンドとオニキスでできているのだから。この時計はカルティエがネコ科の動物をモチーフにした最初の作品だといわれている。
アフリカの植民地へ豪勢な狩猟に出かけた貴族たちの戦利品である毛皮や牙や、いっそ生きた獣そのものを、博覧会で庶民が見られるようになった時代。エキゾチックで物珍しくて好奇心と征服欲を満たす、最新流行だったのだろう。いつの世紀もイケイケなご時世には、人はネコ科の野性に惹かれるものなのだ。
そしてもうひとつが、あの女性だ。ベルギーの、レース職人の娘。名はジャンヌ・トゥーサンという。恋人とパリにやってきた。友人たちは彼女を、「ラ・パンテール」と呼んでいた。

鈴木保奈美×Cartier
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予感は、あった。爵位のあるこの恋人とは結婚はできないだろう。身分の違いを若さと情熱で乗り越えられるほど、貴族社会は甘くはないと、わたしは知っている。そんなこと誰でも知っている。アムールと結婚は別のものだ。それより、この街を見てよ。人間が、経済が、芸術が、ものすごい勢いで変化している。その真っ只中でわたしたちは、最新のモードに身を包み、オペラや展覧会に出かけ、最高のレストランで最高の知性と会話をし、ありとあらゆるセンスを磨いた。若くて利発で美しくて、無敵な二人だった。そうして彼の興味が新しい女性に移り、ひとつの恋愛が終わった。それだけのことだ。男の経済的な支えを失ったら自分の生活がどうなるか、そんなことを気にするのは流儀じゃない。そうね、ユトリロを産んだシュザンヌ・ヴァラドンのように、画家のモデルをするか洗濯女にでもなるか。その時はその時だ。わたしはなんとでもやっていける。

手書きメモ
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鈴木保奈美×Cartier
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けれどそんなふうに潔くしなやかな「ラ・パンテール」を、男たちが放っておくはずもない。ルイ・カルティエもその一人だった。それが1914年のこと。

フランス語の名詞には男性名詞と女性名詞がある。テーブルも本も林檎も、パソコンでさえ、男性のle、あるいは女性のlaという冠詞を振り分けられる。動物を表す言葉にも同じことが起こる。ネコ科の動物はたいてい男性名詞だ。le lion(ライオン)、le tigre (トラ)、le jaguar(ジャガー)といった具合に。そのなかで、ただパンテールだけが、la panthère という女性名詞として表される。なぜ? 何か法則か謂れがあるの?とフランス語の教師に問うても、ううん、知らないわ、なんとなくじゃないかしらね?と苦笑するばかりだ。
カルティエが用いるネコ科パターンは、必ずしも豹の毛皮の柄というわけではない。トラの縞に近いものもあるし、これはどちらかというとチーターなのでは?と思わせる模様もある。にもかかわらず、フェリン(これはネコ科の動物の総称であるが)をモチーフにしたデザインを、la panthèreと呼ぶことにした。それがたとえ男性用の時計だったとしても、腕に巻き付くのは女性名詞のラ・パンテールだというわけだ。フランス人て、本当に粋なことを思い付く。

鈴木保奈美×Cartier
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わたしが先か、あなたが先だったのか。たぶん同時だったのだと思うことにしている。この時代にこの街に、存在するべくして存在した二頭のパンテールが出会うのは、あまりにも必然だ。なにか面白いことが起きる気がする。わたしの予感は当たる。野心などない。ただ、美しいものを、新しいものを創って人々を驚かせたい。装うことの悦びを、アール・ド・ヴィーヴルを人々に届けたい。思いのままに生きたいだけなのだ。

手書きメモ
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鈴木保奈美×Cartier
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予感の通り、ジャンヌ・トゥーサンとルイ・カルティエが結婚することはなかった。アムールと結婚は別物なのだ。けれど二人は最強のパートナーとなり、ルイはジャンヌをカルティエのハイジュエリー最高責任者に指名した。1933年、フランスの女性が参政権を手にするより10年以上前のことだ。このセンセーショナルな人事に、世間は、男たちは否定的な見方をしただろうか? どうやらそうではなかったようだ。なぜならジャンヌは誰もが称賛する美意識の持ち主で、先見の明とウィットに満ち、率直で陽気な愛すべき女性だったから。ついでに少々ワーカホリックでもあった。そうして彼女は誰かの妻や誰かの母として語られるのではなく、ジャンヌ・トゥーサンの物語を生きた。

どんな声で笑っていたのだろう。どんなスピードで歩いていたのだろう?聞きたいことが、教えてほしいことがたくさんあるのに。気づけば窓の外では陽が傾き、栖へ帰る鳥たちのシルエットが流れる。翳りを帯びた部屋のどこかに、わたしはさっきの獣の気配を探す。

今回使用したのは、リング『パンテール ドゥ カルティエ』[WG×エメラルド×オニキス×ダイヤモンド]¥7,458,000・ネックレス『パンテール ドゥカルティエ』[PT×エメラルド×オニキス×ダイヤモンド]¥33,660,000・時計『パンテール ソンジューズ』[WG×ダイヤモンド×エメラルド×オニキス×サファイア、クオーツ]¥27,192,000※すべて参考価格(カルティエ)ドレス¥322,300(ラルフローレン〈ラルフ ローレン コレクション〉) 靴/私物

パンテール
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vol.2 「選択の意味、2本の時計タンク─」 文・文字/鈴木保奈美

鈴木保奈美×Cartier
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「ピアノとバレエ、ふたつのお稽古には行けないのよ。どちらかひとつ、選びなさい」
 5歳のわたしに母はそう言った。アパートの窓から、ふたりで薄曇りの景色を眺めていた。ブロック塀の向こう側を往来する人の気配がした。わたしの背の高さからは、扇形に切り取られた穴越しの、灰色のズボンの裾しか見えていなかった。器用な祖父が、自分でセメントを練って積み上げたコンクリートブロック。
母の問いをどう受け止めていたのか、その記憶はまったく無い。とにかく、5歳のわたしはピアノを選んだ。おそらく人生で初めての、選択。
あの時バレエを選んでいたら、と考えることがある。バレリーナになっていた?そんなはずはない。でも少なくとも、バレエを選ぶような女、になっていたことだろう。ピアノだって、中学に上がってすぐやめてしまって、今のわたしはソナチネアルバムだって弾けやしない。それでもあの時ピアノを選んだのが自分で、ピアノと過ごした何年かがあったことは確かだ。

鈴木保奈美×Cartier
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あの日からずっと、選んできた。目が覚めて初めに口にするのはコーヒーか、アールグレイか。スピーカーから流れるのはジャズか、クラシックか。身にまとう香りは薔薇かラベンダー、それとも白檀か。真珠とダイヤ、どちらで耳たぶを飾ろうか。バカンスは南の島へ、それともオーロラの見える北の地へ?
海辺の高校を選んだこと。心理学の授業がある大学を選んだこと。運転免許とパスポートを同時に取ったこと。煙草を吸わないと決めたこと。恋愛を始めたこと。終えたこと。膨大な、すべての選択が、わたしをここへ連れて来た。わたしはわたしが選んできたものたちでできている。

その男は丁寧に撫でつけたグレイの髪をかすかに傾けながら、白手袋をはめた細長い指で2本の時計を差し出した。選びなさい、と。寸分の違いもないように見える2本。何を、どう選べというのだろう。そして、ああ、この時計は、と思い当たった。写真を見たことがある。19世紀半ばから現代に至る、カルティエの歴史が記された大きな重い本の、あのページだ。
正方形よりほんの少し縦長の文字盤に、レイルウェイ式分表示目盛、その外側に時刻を表すローマ数字。文字盤の左右を2本の並行なラインで挟んでいるのは、戦車を真上から見たフォルムなのだという。だからこの時計の名は、「タンク」。1919年、第一次世界大戦が終結したばかりの、戦勝気分に沸くパリで売り出された。プラチナのケースにサファイアのリュウズ、黒い革ベルトというモノトーンの姿は、全くもって21世紀的だ。いやむしろ、現代の「タンク」が時空をひょいと飛び越えて素知らぬ顔であのページに滑り込んでいたのか。

手書きメモ
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鈴木保奈美×Cartier
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ああ、わかった。新しいものとアンティーク、
どちらかの価値を選べと言うのでしょう。それなら。
「いいえ、マダム」グレイの髪の男が柔らかく微笑む。
「この2本はいずれも最新の、2021年のモデルです」

鈴木保奈美×Cartier
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「2本の「タンク」のうち、片方は従来のクオーツ式の時計です。そしてもう片方は、ソーラービートを採用しています。文字盤で光を受けて発電するのです。16年間はメンテナンスが不要です。16年。「タンク」の100年を超える歴史を考えれば、驚く数字ではありません。カルティエのアイコンである「タンク」のデザインにソーラービートを組み込むために、画期的な技術が開発されました。テクノロジーのためにデザインを変えない。それがカルティエの矜持です。結果、この2本は我々プロにもほとんど見分けることができません。そうそう、この時計のストラップはリアルレザーではありません。欧州で大量に廃棄されるリンゴをはじめとした植物由来の素材で作られています。その制作過程においても、皮革を使用する場合と比べると、エネルギーや水の消費量において…」

ラグジュアリーとサステイナブルは矛盾しないということか。ならば何故、デザインを変えずに二種類の時計を作るのだ。現代において、ラグジュアリーなものをつくり続ける意味はどこにあるというのか。

「ええ、マダム」彼の言葉は熱を帯びる。
「我々の新しい技術によって、欧州大陸中のリンゴを救出できるなどということはもちろんありません。カルティエが提唱するのは、デザインのサステイナビリティです。100年前と同じデザインが、今も、そして100年後も最新の顔を持つ。そうやって一つのものを長く使っていただくことが、サステイナビリティへのアプローチだと考えるのです」"

手書きメモ
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鈴木保奈美×Cartier
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そして彼はこう言い足した。
「彼女なら、どちらを選ぶと思われますか?」
彼女。パンテールと呼ばれた、あのひと。

鈴木保奈美×Cartier
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確かなものを選ぶには、自分の中に深く潜っていくことだ。鼻腔をくすぐり、喉元を滑り降りて脈打つ内臓へ。肉体の中心に深く沈み込んで、静かに神経を研ぎ澄ませる。満たされるものは何か。欲してやまぬものは何か。答えがみつからなくてもかまわない。それなら今は必要がないということだ。
視線を落とした先に、うっすらと浮かぶ青い血管と尖った尺骨。爪は短い。陽に灼けて、節は硬い。この手首に纏わせたいのはどちらの時間だろう。選ぶのはわたしだ。選ばないことさえ自由だ。
自由という言葉に行き当たった時、しなやかな獣が視界の端を横切った気がして振り返る。
「あなたはあなたが選んだものでできている」あのひとの、声。残像は2秒後に空気に溶ける。

今回使用したのは、この秋新登場の『タンク マスト』。文字盤のローマンインデックスから取り入れた光によって充電される光発電ムーブメント=SOLARBEAT™を搭載。また、ストラップはリンゴの廃棄物などからつくられる植物由来のノンレザー。従来のクオーツ・リアルレザーストラップの『タンク マスト』とデザインはまったく変わらず、同価格で販売。時計『タンク マスト』[スティール、ケースサイズ:縦33.7×横25.5㎜]¥325,600[予価]・イヤリング¥742,500・リング¥169,400(カルティエ)コート¥97,900(マーガレット・ハウエル〈バブアー・フォー・マーガレット・ハウエル〉)ブラウス¥106,700(三喜商事〈バンフォード〉)パンツ・靴/私物

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Staff
撮影/浅井佳代子
スタイリスト/犬走比佐乃
ヘア&メイク/福沢京子
構成/喜多容子(Precious)
WEB制作/イクシアネクスト
  • 文中の表記は、PT=プラチナ、WG=ホワイトゴールドを表します。
  • 掲載商品の価格は、すべて税込みです。

© Cartier
Vincent Wulveryck, Collection Cartier © Cartier
Cartier Documentation Paris © Cartier
Vincent Wulverick © Cartier 2014