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東京タワー完成の日とは?】

末広がりの三角形を基本構造とする、美しい東京タワー。戦後日本の復興と高度経済成長の象徴でもあるこの鉄塔は、昭和33(1958)年の12月23日に完工式が行われました。それにより、12月23日が東京タワー完成(完工)の日とされます。


いつ、なぜ建てられた?】

東京タワーの正式名称は「日本電波塔」。いわゆるテレビ塔です。

テレビ、冷蔵庫、洗濯機が、「高度経済成長の三種の神器」と呼ばれた戦後の日本。テレビには電波を中継する塔が不可欠だったため、放送事業者がそれぞれ個別に自前の電波塔から電波を送出していました。しかし、急速に需要が高まったためアンテナの指向性や景観の乱れなどの問題が浮上。そこで電波塔を一元化する計画が立ち上がったというわけです。昭和32(1957)年に日本電波塔株式会社が設立され、工事期間は同年6月29日から翌年の12月23日までの1年半。すでに決まっていた昭和34年初頭の開業に合わせ、異例のスピードで工事が行われ、あの美しい塔は完成したのです。

設計は「耐震構造の父」と称される内藤多仲(たちゅう)氏と日建設計。内藤多仲氏は東京タワーだけでなく、電波塔の設計を多く手掛けたため「塔博士」とも呼ばれています。


なぜ高さは333メートルになった?】

東京タワーは東京都港区のほぼ中央に位置する芝公園内にあります。ここは以前は増上寺境内の一部だった場所。敷地2118平方メートルに高さ333メートルで立っています。

■エッフェル塔を追い越せ!

設計にあたってモデルとされたのがパリのエッフェル塔。約300メートルのエッフェル塔を超える高さ333メートルの東京タワーは、当時世界一高い自立式鉄塔」となり、日本の戦後復興と経済成長の象徴となりました。東京圏全域に電波を届かせるための高さと予算、納期との兼ね合い、そして覚えやすい数字、というさまざまな兼ね合いから333メートルが選ばれた、ともされています。

■地震や台風にも負けない構造

地震や台風の多い日本に300メートルを超える鉄塔を立てるには、強度を保ちつつ軽量化する必要がありました。エッフェル塔は約7,300トンなのに対し、それより高い東京タワーは、なんとほぼ半分の約4,000トンで完成! さすが「耐震構造の父」の設計ですね。

採用された「トラス構造」は、主に三角形の部材を組み合わせて形成されるもの。軽量ながら非常に高い安定性を保つので、高層建築に多く用いられる構造です。最大のメリットは、強度と軽量性の両立。三角形の組み合わせが負荷となる力を分散させるのだとか。また、各部材が互いに支え合う構造は、地震の揺れを和らげる役割も担うというわけ。

平成23(2011)年の東日本大震災発生時、東京は震度5弱を観測しましたが、東京タワーはトラス構造の威力を発揮。大きな損傷はなく、高い耐震性が実証されました。

■1万枚以上の図面と手計算

東京タワーの設計には、構造計算だけで約3か月かかったといわれています。その図面は1万枚以上に及んだとか。さらに驚くべきは、そのすべてが手計算によるものだったということ!


東京タワー建設の裏側|技術と人の物語】

鉄筋コンクリートを一部使用した、鉄骨造りの東京タワー。平成24(2012)年に開業した東京スカイツリーは約4年をかけて建設されているので、その50年以上も前に東京タワーが1年半で完成したというのは驚きですね。そこには、戦後の復興を願う日本人の希望と情熱、技術のすべてが注ぎ込まれました。

■建築物ではなく工作物

東京タワーは当時の建築基準法では制限のある構造物だったため、官庁との調整を行い、当時の規制の枠組みをクリアするために『電波塔(工作物)』としての扱いで建設されました。

■施工会社とエンジニア、作業職人の連係プレー

施工の元請けを担った竹中工務店は、全体の工程管理や設計の実現に重要な役割を果たしました。トラス構造の施工技術に長けた竹中工務店が適任だったのですね。しかし技術力だけでなく、施工管理や品質管理、安全体制やチームワークなど、竹中工務店がさまざまな面でプロジェクトの成功に寄与したといわれています。また、鋼材や構造物の製造を担当した企業の役割も大きく、三菱重工業と松尾橋梁がその中心的存在として知られています。

施工に関わった各企業の技術者たちは、各方面の専門分野から集結。設計、施工管理、品質管理など、さまざまな役割を担う技術者が連携し、一丸となってプロジェクトに取り組みました。多くの企業・団体、人々の連携と情熱により、想定以上の高い品質が確保され、工期内に工事を終えることができたのです。

■月明かりの下で…

東京タワーの建設に携わった職人は延べ22万人、費用は28億円だったそう。工程の進行に合わせて夜間作業が実施されることもあり、昼夜を問わない作業の実施により1年半で完成を見たわけです。当時の作業員の回想として、「月明かりの下での作業は特に印象深かった」と伝えられているそう。星空を見上げながら「こんなに高いところで働けるなんて」と感動を覚えた人もいたようです。

■鳶職人による28万回の「命がけのキャッチボール」

この歴史的現場で働いていた鳶職人は、「鳶の世界に黒崎あり」とうたわれた黒崎建設の精鋭部隊。設計も作業もアナログだった時代、鉄骨と鉄骨を繋ぐために使用されたのは棒状の部品リベット(鋲)でした。地上で約800度に熱したリベットを長い鉄鋏で挟んで高所にある作業場へ投げ、上で待ち構えている職人が鉄のバケツでキャッチ、すぐに鉄骨の穴にリベットを差し込んでハンマーで一気に打ち付けて接合…と、まさに命がけ! 高所で風にあおられながら、職人同士の信頼を頼りに進められたこの作業は28万回続いたのだそう。

多い時には60人もの鳶職人が高所で作業をしていましたが、彼らは命綱なしの伝統的な手法で高所作業を行い、鉄骨と部材を繋ぐこのリベット作業は『死のキャッチボール』として語られることもあります。


スカイツリー完成後の役割とは?なぜ今も特別なのか】

150メートル地点のメインデッキと、250メートルのトップデッキをもつ東京タワー。昼間の良天候時には関東平野が一望でき、富士山の姿も眺められます。一方の夜間は、東京の夜景が見事! 昼夜問わず人気の観光スポットでもあります。2024年9月4日には、開業以来の来場者数が1億9,000万人を突破しました。2億人突破も間もなくでしょう。

■スカイツリーと東京タワー

都心に高層ビルが林立したことで起きた、東京タワーからのテレビ電波が届きにくくなるという現象を解決するため、より高い電波塔である東京スカイツリーが完成したのが平成24年です。以降、下記のように役割分担をしています。

・東京タワー:FMラジオ電波の送信、予備電波塔(地上デジタル放送が送信できなくなった際などのバックアップ)

・東京スカイツリー:地上デジタル放送の送信

  • 展望台からの絶景提供という点ではどちらも人気の観光スポット。東京スカイツリーは商業施設「東京ソラマチ」をもつほか、気象観測や雷観測など、最先端の研究施設としても活用されています。また、災害時の防災カメラや備蓄倉庫、生活用水の提供など、防災拠点としても、重要な役割を担います。

  • ■記憶の中の東京タワー

  • 東京タワーは戦後復興の象徴として、昭和を描いた映画やドラマで、たびたびシンボリックに扱われています。その一部をご紹介します。

  • ・映画『ALWAYS 三丁目の夕日』:2005年公開のシリーズ第1作は、まさに東京タワーが完成した1958年ごろの架空の町、夕日町三丁目が舞台。東京タワーの建設が人々の生活に活力を与え、未来への夢を育む様子がVFX(ビジュアル・エフェックス)で描かれました。

  • 続編、続々編でも東京タワーは物語の重要なシーンの背景に登場。東京タワーが昭和という時代を象徴する重要なシンボルとして、人々の心に深く刻まれていたことがうかがえます。

  • ・映画『ゴジラ』:ゴジラといえば毎回東京タワーを破壊――というイメージをもっている人もいるのでは? 実は『ゴジラ』の第1作は、東京タワーがまだ影も形もない昭和29(1954)年です。ゴジラが初めて東京タワーを破壊したのは、平成15(2003)年公開の『ゴジラ×モスラ×メガゴジラ 東京SOS』。なんと27作目にして、でした。

  • それ以前、昭和39(1964)年の『三大怪獣 気球最大の決戦』で、キングギドラが首都圏上空を飛び回る際に東京タワーの上半分を崩壊する、ということはありましたが…。モスラの幼虫が繭をつくり、ギャオスが巣を張ったのも東京タワーでしたね。


東京タワーが象徴しているものとは?】

最新技術と伝統工法、団体や業界を超えた絆や人々の信頼のもとに完成した東京タワー。それは世界に誇るものであり、当時の国民に一体感をもたらしました。東京タワーは戦後復興のシンボルであり、高度経済成長の象徴として、希望の灯だったのです。そして、開業以来、親しみをもって人々が長め、訪れる名所でもあります。映画、ドラマ、小説、ミュージックビデオ、広告などに文化的アイコンとして登場さまざまなメディアに登場し、文化的アイコンとしてあり続ける東京タワー。役割は変わっても、日本の「成長」や「希望」を象徴するものであることに変わりはないでしょう。

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一定の高さ以上の建物に用いられる航空法により、「インターナショナルオレンジ」と呼ばれる橙色と、白の2色に塗り分けられた東京タワー。夜間には180個のライトで照らされますが、冬は暖かみのあるオレンジ、夏は涼しげなホワイトを基調として輝きます。また、毎正時にはトップデッキ上部の「ダイヤモンド・ティアラ」とメインデッキ上部の「ダイヤモンド・チョーカー」が、ピュアホワイトの光で2分間煌めきます。プロモーションなどで特別ライトアップが催されることもあり、ニュースなどでその姿を見ることもあるでしょう。12月23日の東京タワー完成の日の夜は…何か起こるでしょうか?

この記事の執筆者
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参考資料:『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)/『デジタル大辞泉』(小学館)/東京タワーHP( https://www.tokyotower.co.jp/ )/大山建設HP( https://oyama-kensetsu.jp/ )/竹中工務店HP( https://www.takenaka.co.jp/ ) :