【目次】

【実朝忌とは?— 源実朝の命日を偲ぶ日】

■「いつ」?

「実朝忌」は、鎌倉幕府第三代将軍源実朝の忌日(命日)である旧暦1月27日です。

■「何をする」日?

源実朝は歌人としても知られた人物で、「実朝忌」には鎌倉の寿福寺で、歌人たちによる追悼会が催されます。


【源実朝とはどんな人物?】

源実朝は、武士として鎌倉幕府の3代将軍でありながら、繊細な歌人でもあった人物です。ここでは、基本的なプロフィールを簡潔にまとめて紹介します。

■Profile

生年:1192年(建久3年)
没年:1219年(建保7年)
肩書:鎌倉幕府 第三代将軍
父:源頼朝(初代将軍)
母:北条政子
頼朝の次男。源氏将軍家の正統な後継者として生まれ、将軍の地位に就いています。

■将軍としての実績

・頼朝の嫡男である第二代将軍・頼家追放ののち、若干12歳で第三代将軍に。武士として初の右大臣に
・実際の政治は、母・北条政子や、執権・北条氏が主導
・自身は争いを好まず、温和で内省的な性格だった
父・頼朝とは対照的な性格で、武士の頭領よりも文化人としての気質が強い将軍だったとされています。

■歌人・文化人としての実績

・歴代将軍なかでも、特に有名な和歌の名手
『万葉集』『古今和歌集』をはじめ、古来の和歌を研究して独自の歌風を大成
・勅撰和歌集『新古今和歌集』に入集
・私家集『金槐和歌集(きんかいわかしゅう)』を著す
『新古今和歌集』の撰者のひとりでもある藤原定家に師事。万葉調の歌人としても高い評価を受けています。

■悲劇的な最期

実朝は1219(建保7)年、鶴岡八幡宮での右大臣拝賀の帰り、頼家の子・公暁(くぎょう) によって28歳(満26歳)の若さで暗殺されてしまいます。この事件により、源氏の正統は絶え、源氏将軍も3代で断絶することとなります。

歴史上の評価としては、将軍であっても実権は弱く、政治よりも和歌や管弦(=音楽)に親しみ、「鎌倉幕府の終章を生きた悲劇的な人物」として語られることが多い人物です。


【『金槐和歌集』とは?】

『金槐和歌集』とは、源実朝の私家集(個人の和歌集)で、『鎌倉右大臣家集』とも呼ばれています。「金」は「鎌」の偏(へん)であることから、鎌倉を指します。「槐」は大臣を意味します。つまり、「金槐和歌集」とは、鎌倉右大臣の家集。鎌倉右大臣は源実朝ですから、すなわち実朝の私家集という意味になるのですね。

成立は1213(建暦3)年以前とされ、収録された句は500~700首といわれています。将軍という立場の人物が残した私家集としては、日本文学史上きわめて特異な存在です。清新な感覚で陰翳に富む青年の心の姿を伝える秀歌も多く、のちに賀茂真淵や正岡子規、斎藤茂吉、小林秀雄らに称揚されました。


【現代に生きる実朝の言葉 — 人気の和歌とその解釈】

実朝の歌は技巧に走らず、繊細で優しい心と鮮烈な感性をそのまま言葉にしたような万葉調のものや、京の貴族が好んだ雅な内容のものも多くあります。自然や動物、人に対する目線が柔らかで、海を題材とした雄大な歌も有名ですね。代表的な歌をご紹介しましょう。

世の中は 常にもがもな 渚こぐ
あまの小舟の 綱手かなしも
(小倉百人一首)
(意味:今、自分が生きている世界が、こんな風にいつまでも変わらないでいてほしいものだ。波打ち際を漕いでゆく漁師の小舟が、舳先(へさき)にくくった綱で陸から引かれている、ごく日常的な情景までが切なくいとしい)

箱根路を 我が越えくれば 伊豆の海や
沖の小島に 波の寄る見ゆ

(意味:険しい箱根の道を越えてくると、眼下に雄大な伊豆の海が開けている。沖の小島(初島)に波が寄せているのが見えるよ)

大海の 磯もとどろに よする波 
われて碎けて さけて散るかも

(意味:大海の岩もとどろくように寄せる波 割れて砕けて裂け散っているよ)

山は裂け 海は褪(あ)せなむ 世なりとも
君にふた心わがあらめやも

(意味:もしもこの世の山が裂け、大海が乾いて干上がったりしたとしても、あなた(後鳥羽院)を裏切ろうと思うことなど、絶対にありません)

古寺の くち木の梅も 春雨に 
そぼちて花も ほころびにけり 

(意味:古寺の朽ちた梅の木が春の雨にしっとりと濡れ、花もほころんでいるようだ)

昨日まで 花の散るをぞ 惜しみこし 
夢かうつつか 夏も暮れにけり 

(意味:つい昨日まで桜が散るのを惜しんでいたら、夢か現(うつつ)か、既に夏が終わろうとしている)

将軍といえば、時の権力者です。とはいえ実権は北条氏が掌握し、実朝は“お飾りの将軍”だったともいわれています。実朝の歌には、こうした思うに任せない無常観や孤独と共に、生来の優しさやみずみずしい感受性が表現されています。とりたててポジティブではなく、かといってネガティブでもなく。不安や孤独、疲れた心を、ありのままに呟いているような素直さが、「現代のわたしたちにも刺さる」と言われる所以かもしれません。


【実朝忌に訪れたい場所:鶴岡八幡宮やゆかりの地】

■寿福寺(鎌倉市)

寿福寺は実朝の父・頼朝の死の翌年に、母・北条政子が開いた鎌倉最古の禅宗寺院です。現在、実朝の墓と伝わる五重塔がやぐらに安置されています。やぐらとは、鎌倉時代の横穴墓=供養墓で、静かに往時を偲べる場所でもあります。「実朝忌」には歌人たちによる追悼会が催されますが、境内は一般には公開されておらず、山門から中道までの参道と、本殿(仏殿)の背後にある墓地のみとなっています。

■鶴岡八幡宮(鎌倉市)

実朝が暗殺された場所として知られる、鎌倉幕府ゆかりの大社です。例年夏には「実朝祭(実朝の生誕を祝う催し)」など関連行事が開催(2026年は8月6日〜9日)され、実朝公の遺徳をしのぶとともに、短歌会が催されます。石段や境内を歩きながら、実朝最期のドラマを感じられますよ。

■鎌倉歌碑巡り(鎌倉市内)

鎌倉には実朝の和歌を刻んだ歌碑がいくつも点在しており、散策しながら訪ね歩くのがおすすめです。たとえば、鎌倉海浜公園坂の下地区(三角地)には、前述した「世の中は 常にもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも」の歌碑が建っています。実朝の文学的魅力を鎌倉の風景と共に体感してみてはいかがでしょうか。

■伊豆山神社(熱海市)

伊豆山神社は、古来、「伊豆山大権現」または「走湯大権現」とも称され、源頼朝が崇敬した神社として知られています。実朝はこの地に詣でる途中や帰路で歌を詠んだとされ、前述の「箱根路を〜」も、雄大な伊豆の海を見た時の感動を呼んだ歌とされ、初島が見える場所に歌碑が残されています。このほかにも、熱海市内には実朝の歌を刻んだ歌碑が複数設置されています。

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2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で源実朝を演じたのは、俳優の柿澤勇人(かきざわはやと)さん。繊細で優しいだけでなく、和歌や蹴鞠などの文化を通じて朝廷とのコミュニケーションを図る、知性や賢さを備えた実朝を好演されていました。

「実朝忌」には、実朝ゆかりの地を訪れてみるのもいいですが、静かに彼の歌を味わってみるのもおすすめです。実朝の歌には、権力に翻弄された将軍としての孤独、そして自然へのまなざしや人間の情感が繊細に込められています。技巧に走らず、心情をそのまま写したような素朴さと深みが、多くの人の心を捉えてやまない理由でしょう。実朝忌には、彼のゆかりの地を訪ねるもよし、静かな時間の中でその歌に触れてみるもよし。800年前の声が、今を生きる私たちにそっと寄り添ってくれるかもしれません。

この記事の執筆者
Precious.jp編集部は、使える実用的なラグジュアリー情報をお届けするデジタル&エディトリアル集団です。ファッション、美容、お出かけ、ライフスタイル、カルチャー、ブランドなどの厳選された情報を、ていねいな解説と上質で美しいビジュアルでお伝えします。
参考資料:『日本国語大辞典』(小学館) /『デジタル大辞泉』(小学館) /『日本大百科全書 ニッポニカ』(小学館) /熱海市「熱海ゆかりの実朝の歌」(https://www.city.atami.lg.jp/kosodate/shogaigakushu/1011165/1006016/1009091/1012018.html) /短歌の教科書「【源実朝の有名和歌20選】鎌倉幕府第3代将軍!!和歌の特徴や人物像•代表作などを徹底解説!」(https://tanka-textbook.com/minamotono-sanetomo/) /鎌黒観光公式ガイド「ぼんぼり祭[夏越祭/立秋祭/実朝祭](鶴岡八幡宮)」(https://www.trip-kamakura.com/event/234.html) /三浦半島日和(https://miurahantou.jp/minamoto-no-sanetomo-pilgrimage/) :