若いうちから進取の気象に溢れた人
女性という性は、明らかに時代とともに進化してきた。とりわけ日本女性の進化は目覚ましく、昭和の頃より今やはるかに洗練され、美しくなった。社会的なスキルも劇的に高まったはずだ。もちろん世の中が変わり、環境が変わり、人々の意識が変わった結果に他ならないが、こうした常識を、根底から覆してしまったのが、岸恵子さんと言う人ではなかったか。
享年93歳。老衰で亡くなられたということにも、またその年齢にも、改めて驚かされた人は少なくないのだろう。本当につい最近まで信じられないほど若々しく美しく、凛とした姿を見せていてくれたから。
いやそれ以上に今まざまざと思い知るのは、今この時代においても、90代の岸恵子さんほど進化した女性は、到底見つからないということなのである。
1932年、明治から続く家長制度の中で生まれ、父親は元教師、後に神奈川県庁に勤めている。どう考えても保守的な環境で育った人なのに、高校生の時に松竹にスカウトされて女優になって間もなく、映画会社のコントロールが効かない女優になっていた。
もちろんわがまま放題という意味ではなく、会社の方針に不満を持ち、他社の映画出演を強行、その後に松竹が他社出演を譲歩、弱冠20歳での造反を成功させているのだ。
しかし当時、時を同じくして起きていたのが、この出演強行にも関わった鶴田浩二との恋愛問題で、こちらは松竹に別れさせられたと言う。いずれにせよ、若いうちから言うべきことをきちんと主張する、進取の気象に富んだ人だったのである。
結婚でフランスへ。サルトルやボーヴォアールとの親交も
その4年後に出会うフランス人の映画監督イブ・シャンピ氏と結婚、トップ女優の座を捨ててあっさりと日本を出国。1950年代は、まだ海外への自由渡航が許されていない、観光目的ではパスポートさえ発行されなかった時代だ。結婚以前に、フランスへの移住への覚悟は大変なものだったはずである。
岸さん80代の時に出版した自叙伝の副題は、フランスの諺に引っ掛けて、「卵を割らなきゃ、オムレツはできない」。まさしく、まず卵を割ってみる人だったのだ。逡巡するより、前に進む勇敢な人だったのだ。以降はフランスと日本を往復しながら仕事を続け、「空飛ぶマダム」の異名をとったほど。この時代に世界を股にかけるなど、あり得なかったわけで、その見事な先駆けとなったこと、まず知って欲しい。
それどころか、医師でもあったシャンピ監督はパリの文化人の中心人物で、サルトルやボーヴォワール、アンドレ・マルロー、ジャン・コクトー、そしてサルバトール・ダリ夫妻などらが自宅に集って熱く議論を交わすこともしばしば。岸さんも言葉の壁に苦しみながらも、交流を深めていったという。
フランスに行く前も日英合作映画への出演を予定されていて英語を習得、結婚のきっかけとなった日仏合作映画の出演を想定してフランス語も習得していったわけで、この時代にトライリンガルとなっていたことも、今思うととてつもないこと。
結婚後に、パリの名門ソルボンヌ大学の文学部にも学んでいる。
しかし、結婚生活は18年で破局を迎える。直接的な原因は、夫が秘書と不倫をしたこと、と言われるが、よくある泥沼には全くならず、離婚後もお互いを尊敬し合うような関係にあり、岸さんは「心友」という言葉でその絆を表現している。すぐに帰国しなかったのは、国籍の問題で一人娘のディルフィーヌさんを日本に連れ帰ることができなかったため。その後もパリに留まり、のべ40年以上をパリで過ごしているが、それからの人生はまさに令和の先端をいくキャリアウーマンをヒロインにしたアーバンなドラマのよう。
社会派ジャーナリストでありつつも完璧な美貌で恋に堕ちる人
そもそも昭和の時代は「天は二物を与えず」が常識だったが、岸恵子さんはあれだけの美貌を持ちながらも、学生時代から小説家志望であったと言われる。そしてシングルになってからの様々な活動は、その夢を叶えるものであるばかりか、国際ジャーナリストとしても驚くべき活躍を見せている。
一つのきっかけは「フランス五月革命」と「プラハの春」を現地で体験したことだったとも言われるが、なんと、中東や東欧などのに紛争地域に実際に訪れ、戦争にまつわる人々の憎しみはどこから来るのか?ということを、独自の取材から伝えているのだ。
"国境なき医師団"の創始者へのフランス語でのインタビューが話題となったり、テレビ朝日の『ニュースステーション』で海外の駐在キャスターを勤めたり、完全なる現場主義だったことがわかる。だから誰ひとりそれを、女優の気まぐれとは見なかった。勇敢さも正義感も本物だったのである。ちなみに、ジャーナリストとしての代表作『ベラルーシの林檎』は、日本エッセイストクラブ賞を受賞している。
一方で、小説家としての執筆も衰えは知らず、70代での実体験をもとに、熟年男女の恋を描いた『わりなき恋』も、その恋愛相手は誰なのか?ということまでが話題になる程、いろんな意味で衝撃をもたらし、一人芝居での舞台化もされている。
この人が、生涯疲れて見えなかった理由
かくして、岸惠子さんが圧倒的に進化した女性であった理由は、例えばナイル川を取材中、45日間でたった2回しかシャワーを浴びられなかったというような硬派な社会派ジャーナリストである一方、同時に非の打ち所なく美しくエレガントな女性であり続けたことにある。どちらかに偏ることのない二面性を、ここまで完璧に保てる人が他にいるだろうか。
ましてや、90歳になるまでピンヒールにモードな服を着こなすファッショニスタでもあり続けた。まさに、知的でありながら官能的でもあるフランス女のように。ただそれもこれも、年齢に全く関係なく本能の赴くままに恋愛をし続けるためであったとも言えるのだ。
年齢を重ねてからのこの人は、不思議なほどに口角が上がり、いつも笑顔のような口元で会話をしていた。だからこの人が疲れて見えたことは一度もない。常に溌剌とし凛とし、そしてナマめかしかった。この口元はこの人の、1本筋の通ったアンチエイジングであったのだろう。なんという見事な人生! 昭和初期から令和まで、1番先頭を歩き続けた女性、そう言っても過言ではないと思うのだが、どうだろう。

- TEXT :
- 齋藤 薫さん 美容ジャーナリスト
- PHOTO :
- Getty Images
- WRITING :
- 齋藤薫

















