「パスポートの写真でさえ見事な美しさであった」(『In Vogue─ヴォーグの60年』平凡社)と言われる、60年代を象徴するスーパーモデルのジーン・シュリンプトン。

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スィンギングロンドンを体現する存在

小枝のような身体で世界的なミニ旋風を巻き起こしたツィッギーやビートルズが登場するもっと前に、ロンドンには「ブリティッシュインベンション(英国の侵略)」の先駆けとなった怒れる若者達がいた。なかでもスーパーモデルの草分けジーン・シュリンプトンは、スィンギングロンドンを体現する存在であった。

あの米『ヴォーグ』の編集長ダイアナ・ブリーランドは、彼女を初めてニューヨークの編集部に迎えたとき、突然の雨に遭い、ずぶ濡れでメイクも落ちている姿にも関わらず、「英国が来た!」「ほれぼれする」(『トップモデル─きれいな女の汚い商売』文春文庫)と叫んだという。

修道院付属の厳格な学校を卒業した16才のジーンは、特徴的なカーブを描くとびきりの眉とどこから撮っても美しい顔立ちで、ロンドンの町を歩けばフォトグラファーや映画監督などから声をかけられる秘書志望の少女であった。

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時代は’60年代。ロンドンは世界のユースカルチャーの震源地として注目を浴びていた。階級制度が根強く残る土地柄で、労働者階級に属する若い世代が競うようにサブカルチャーで頭角をあらわしていた。音楽シーンではポップやロックの台頭、ファッションフォトでは旧来の足を揃えたポーズから動きのある生き生きした写真へと新しい価値観が形成され、下克上にも似たカルチャーの体制崩壊があっという間に起き、そこに新たな時代の旗手が生まれつつあった。

恋人であったフォトグラファー、デヴィッド・ベイリーと。 ©Getty Images

ジーンの恋人であり、二人三脚で『ヴォーグ』などを中心に活躍したフォトグラファーのデヴィッド・ベイリーも、新世代のスターであった。「女の子が好きだからだよ」(『トップモデル─きれいな女の汚い商売』文春文庫)という理由で、専門教育も受けず、ストロボさえ知らずこの職業を選び、あれよあれよという間に売れっ子フォトグラファーになっていったのは、『クィーン』や『バザー』など英国の雑誌業界が隆盛を極めていたことと、彼がハンサムでたくましく、まさに労働者階級の新たなストリートカルチャーを感じさせたこともあるだろう。

またジーンとデヴィッドの恋人同士が醸しだす親密な空気感を写真に投影することによって、フォトグラファーとモデルの新しい関係の典型となり、二人はその意味でも60年代のアイコンであった。米『ヴォーグ』のために撮り下ろされた、チャイナタウンの電話ボックスでの写真をはじめ、今見ても新鮮で画期的な写真が続々と誕生した。

『In Vogue─ヴォーグの60年』。電話ボックスでの写真が右上に。

ミニスカートを最初に世界に認知させたジーン

ロンドンのこの時期を象徴するファッションと言えば「ミニスカート」だが、最初にミニを世界に認知させたのはツィッギー、と思う読者も多いだろうが、実はジーンであった。

まだ保守的な「大人」が時代のトップにいた文化の移行期であったが、ジーンの取った行動は、大人を震かんさせるに価するものであった。オーストラリアのメルボルンの競馬場で開催されたファッションショーに招待されたジーンは、正装とはほど遠い膝上10センチのミニドレスに、手袋もストッキングも帽子もないというスタイルで登場。おまけに男物の大きな腕時計をはめていた。その姿に観客はあっけにとられて、釘付け。

「ミニスカート事件」と呼ばれたこの騒動は、翌日のあらゆる新聞で報道された。保守派からは猛烈に批判され、メルボルンの市長の妻は「行儀の悪い子供」と反発した。だが、その影響力には、時代の寵児だからこそのみなぎるパワーがあった。

ミニは若者から圧倒的な支持を受け、これに飛びついたマリー・クワントはジーンが着たドレスを商品化し、自分の「バザー」ブティックで販売、巨万の富を得て名をなした。

この事件が起きた1965年は、ジーンのモデルとしてのピークと言ってよかった。アメリカのレブロンやマックスファクターなど大手化粧品会社がジーンを起用し、デヴィッド・ベイリーだけではなく、リチャード・アヴェドン、アービング・ペン等の巨匠との仕事も増え、『ハーパースバザー』や『ニューズウィーク』の撮影もした。1時間120ドルという当時最も高額なモデル料で仕事をするようになっていた。さらに’70年代初頭には日本のジュン&ロペのCMにアヴェドンとともに出演したりと、広範囲に仕事を広げてゆく。

俳優のテレンス・スタンプとは、デヴィッドとの破局の後に交際。©Getty Images

その後、デヴィッドと別れ、ジーンは1979年にフォトグラファーのマイケル・コックスと結婚。デヴィッドは映画監督になると宣言し、21才のカトリーヌ・ドヌーブと結婚を決意。それを機にポップファッションとの決別として、自分が撮影したポートレートを36枚選び抜き、写真集『ボックス オブ ピンナップ』として売り出した。ジーンや同時代のモデルのシリア・ハモンド、ビートルズ、ローリングストーンズなどを被写体にしたこの写真集は、ロンドンカルチャーの黄金時代を築いた若者達への挽歌にも似ていた。

TOD'S 2016/17秋冬広告キャンペーンに選ばれたジーン。

今再び、TOD’Sのキャンペーンフォト等でファッション界の熱い視線を浴びるジーン、そしてデヴィッド。圧倒的な燃え上がるようなストリートカルチャーへのオマージュか、それともアイコン伝説の復活か。もう二度と来ないあの興奮や無軌道な情熱。時代の主役であったジーン・シュリンプトンは、今は夫とともに、静かにホテル経営をしているという。

この記事の執筆者
1987年、国際羊毛事務局婦人服ディレクターとしてジャパンウールコレクションをプロデュース。退任後パリ、ミラノ、ロンドン、マドリードなど世界のコレクションを取材開始。朝日、毎日、日経など新聞でコレクション情報を掲載。女性誌にもソーシャライツやブランドストーリーなどを連載。2000年より情報用語辞典『イミダス』でファッション分野を執筆。毎シーズン2回開催するコレクショントレンドセミナーは、日本最大の来場者数を誇る。好きなもの:ワンピースドレス、タイトスカート、映画『男と女』のアナーク・エーメ、映画『ワイルドバンチ』のウォーレン・オーツ、村上春樹、須賀敦子、山田詠美、トム・フォード、沢木耕太郎の映画評論、アーネスト・ヘミングウエイの『エデンの園』、フランソワーズ ・サガン、キース・リチャーズ、ミウッチャ・プラダ、シャンパン、ワインは“ジンファンデル”、福島屋、自転車、海沿いの家、犬、パリ、ロンドンのウェイトローズ(スーパー)
クレジット :
文/藤岡篤子 出典/『In Vogue─ヴォーグの60年』著=ジョージナ・ハウエル 訳=小沢瑞穂 平凡社、『トップモデル─きれいな女の汚い商売』著=マイケル・グロス 訳=吉澤康子 文春文庫 構成/吉川 純(LIVErary.tokyo)