今月のアスリート王子:越川優選手(36歳)…バレーボール選手、プロビーチバレーボール選手

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平野敬久/アフロ

ビーチバレーへ華麗なる転身を遂げた越川優選手が、再びインドアへ! その胸中はいかに?

 バレーボールの“元祖プリンス”が今夏、新たな一歩を踏み出した。2008年、北京五輪で全日本のエースとして活躍し、2017年からビーチバレーに転向して東京五輪を目指していた越川優選手が、再びインドアに戻ったのだ。

「3年計画で東京五輪を目指しましたが、新型コロナウイルス感染症の影響を受けて、五輪を目指すための環境を整えることが難しくなりました」(越川選手)。

 新天地として選んだのはV2リーグのヴォレアス北海道。コロナ問題のあおりを受けての決断だが、「目標は来シーズンのV1昇格に貢献することです」と、越川選手の表情はやる気に満ちて明るい。

 華やかな戦歴のもち主だ。小4でバレーボールを始め、中学で頭角を現すと、高校は金沢市の実家を離れて長野県の岡谷工業へ。1年で高校3冠に輝くと、2002年には史上最年少となる17歳で全日本に選ばれた。

 さわやかイケメンのイメージからは想像もつかないほどのド根性のもち主でもある。日本男子にとって16年ぶりの五輪出場だった2008年の北京五輪の予選ラウンド第3戦で、越川選手は左膝を負傷してしまったが、トレーナーから痛み止めをもらってプレーを続行。その夜、選手村に帰ってからMRI検査を受けると半月板損傷の重傷であることが判明した。ドクターには「手術しないとダメだね」と言われたが、翌日、監督に直談判して強行出場を申し出た。監督は越川選手の熱い思いに応えて、残りの試合も先発で起用した。

 北京五輪後の2009年秋にイタリア2部のパドヴァに移籍したが、またしても同じ箇所を負傷して再手術。しかし、ここでも不屈の魂を見せた越川選手は、見事にパドヴァの契約延長を勝ち取り、2010〜2011年に1部昇格に貢献。イタリア最後のシーズンとなった2011〜2012シーズンは1部でプレーした。

 3年間過ごしたことで、イタリア語は得意。「3年目には審判とイタリア語でケンカしていましたね」と笑う。

 体重や体脂肪の増減を自在に行うなど、自己管理が徹底していることで知られている。第1期インドア時代の体脂肪は10%前後。ビーチバレー転向後はさまざまな気象条件に対応する身体的なタフさを求めて15%に増やしたが、インドアへのカムバックで再び体重と体脂肪を減らす予定だという。ジャンプの着地で膝や腰への負担が大きいからだ。

 故郷の金沢をこよなく愛している。好きな食べ物は「かぶら寿司」と「えびす」。「おせち料理に入っていて、子供の頃から大好きです」と語る姿を見ていると、平和で幸せな日本の正月の光景が目に浮かぶようだ。

 さて、インドアに戻った越川選手だが、「ビーチバレーもやめるつもりはありません。インドアのシーズンオフの時にはビーチの大会に出るつもりです」と語っている。二刀流で輝く姿にも期待したくなる選手だ。

Athlete data

越川 優選手
バレーボール選手、プロビーチバレーボール選手
(こしかわ ゆう)1984年6月30日、石川県金沢市生まれ。小学校4年生でバレーボールを始め、金沢市立野田中学校から長野県岡谷工業高等学校に進み、1年生のときに春高、インターハイ、国体の3冠を達成。高校3年生だった2002年に史上最年少で全日本入りを果たした。高校卒業後にはサントリーサンバーズに入り、Vリーグ新人賞を獲得。3年目の2005〜2006年にVリーグMVPに輝いた。2008年の北京五輪に出場した翌年の2009年に、イタリアのパドヴァに移籍して3シーズンプレー。2012年の帰国後はJTサンダースに入り、全日本キャプテンも務めた後、2017年にビーチバレーに転向した。趣味はカフェ巡りで、コーヒー豆を取り寄せて自分で挽いて淹れるのも好き。好きなアーティストは「ゆず」「いきものががり」「あいみょん」。好きなYouTubeは「カジサックチャンネル」。身長189cm
矢内由美子さん
スポーツライター
(やない ゆみこ)取材歴25年のスポーツライター。オリンピック種目などをカバー。日本スポーツプレス協会会員。
この記事の執筆者
TEXT :
Precious編集部 
BY :
『Precious10月号』小学館、2020年
美しいものこそ贅沢。新しい時代のラグジュアリー・ファッションマガジン『Precious』の編集部アカウントです。雑誌制作の過程で見つけた美しいもの、楽しいことをご紹介します。
WRITING :
矢内 由美子(スポーツライター)
EDIT :
宮田典子(HATSU)、喜多容子(Precious)