クルマですら電気に切り替わっていく時代にあって、機械式腕時計は奇跡的に不可侵の領域だ。手巻きの『スピードマスター』=いわゆるムーンウォッチはその象徴的な存在である。もしこれ以外のすべてがクオーツ制御で動力は電気になったとしても、この時計だけはゼンマイ動力の手巻きであり続けるだろう。だとすればムーンウォッチの存在と継続は、機械式腕時計がなくならないことの保証でもある。アポロ11号が月に降り立ち、『スピードマスター』をベルクロのストラップで宇宙服の袖に巻いた飛行士がレゴリスを踏んだときに、それは決定的となったのである。
月面着陸という伝説を刻むクロノグラフ
アメリカは言うまでもなく、結果が手段を正当化するプラグマティズムの国だ。その原則が、月面で装着された唯一の腕時計を神化する。世界初のクオーツ腕時計が世に出る5か月前に記された「人類の大きな飛躍」の足跡が根拠なのだ。さらに翌年、アポロ13号は電気系統オールダウンという未曽有のトラブルから、その腕時計を一番の頼りに生還を果たす。凄惨な結末の予感を「名誉ある失敗」に止めた腕時計は、変更の必要がない永遠の古典となった。
「オメガ」はその古典を、さまざまに変奏し進化させることを「伝統」としている。今回のマスタークロノメーター認定のムーブメントへの換装は、目覚ましい技術的ジャンプだ。さらにその最新バージョンをセドナゴールドで作ったモデルは、月での実用性というロマンティックなドレスコードに重ねた華麗な姿に、思わず見惚れてしまう。じつは最初のゴールド製ムーンウォッチは、アポロ11号の飛行士に贈呈されたもので、復刻版が近年になって登場してもいる。公職にあったため受け取れなかった当時の米大統領の分は「オメガ」の本社に保管されていて、小生も訪問時にみることができた。晩節を汚して辞任したその男の手にわたらなかったことも、ゴールド版のプラスに評価されるべき伝説だろう。
蒸気機関車もアナログレコードも姿を消していく中で、機械式時計はなくならない。ゴールド製のムーンウォッチは、それが正しいことを証明する。あえて貴金属で装う月の腕時計は、もはやプラグマティズムを圧し、超越しているように映るのである。
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- TEXT :
- MEN'S Precious編集部
- BY :
- MEN'S Precious2021年秋冬号
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- PHOTO :
- 戸田嘉昭(パイルドライバー)
- WRITING :
- 並木浩一(時計ジャーナリスト)
- EDIT :
- 堀 けいこ