惜しまれつつテレビ東京を退社して約半年。いつだって「現場」を大切にする彼女がPrecious初登場! これまでのキャリアとこれからの展望を語ります。

今回は、独占インタビューの〈前編〉をお届けします。

独占インタビュー|キャスター・大江麻理子再始動!

キャスターの大江麻理子さん
 

落ち着いた物腰とソフトな語り口。知的で品のある姿が印象的な一方で、ガハハと愛嬌たっぷりに笑い、初めてのことでもひるまずトライ、ときには負けず嫌いの一面も…。そんな飾らないキャラクターでバラエティから報道番組まで幅広く活躍、老若男女問わず愛された元テレビ東京キャスターの大江麻理子さん。

2025年6月末、約24年勤めたテレビ東京を退社し、以降、公の場に姿を現すことがなかった大江さんが、Preciousに初登場。アナウンサー、キャスターとして積み重ねてきたキャリアについて、退社の理由、元職場への想い、そして現在の暮らしからこれからのことなど、じっくりと語っていただきました。まさにプレシャス世代ど真ん中の大江さんは今、何を想い、どんな未来を見据えているのでしょうか。

素晴しい先輩たちからどれだけの愛をもらったんだろう?

キャスターの大江麻理子さん
ジャケット¥264,000・ブラウス¥44,000(ジュンアシダ)、ピアス¥990,000・リング¥880,000(内原ホールディングス〈クリヴェリ〉)

「人生で大切なことのほとんどは、テレビ東京時代に教えていただきました。素晴らしい先輩たちに、知識も経験も人脈も、ときには美味しいものもご馳走になって。先輩たちが積み重ねてきたものを、惜しみなく与えていただきました。いったい、どれだけの愛をもらっていたんだろう…」

テレビ東京での24年間を振り返って、今思うことを教えてください、という問いに、こう答えた大江麻理子さん。

「ニュースの裏側を知りたい。その現場に立ってみたい。それが報道を目指した理由です」

「もともと、テレビ局の採用試験を受けたのは“報道”に関心があったからです。小学生のとき『水滸伝』にはまってから中国に興味をもち、大学時代、中国で語学研修を受けました。その期間中に北朝鮮が日本の方向へ弾道ミサイルを発射したんです。日本中が大騒ぎになるなか、滞在していた北京では、まったくそのニュースは報道されませんでした。へえ、同じ事象でも、国によって報道のされ方がこんなにも違うのかと驚きました。では、ニュースは誰がバリューを判断し、どうつくっているのだろう? ニュースの裏側を知りたい。できるならその現場に立ってみたいと思ったのが報道を目指すきっかけでした」

2001年テレビ東京へ入社後はアナウンス部へ配属。さまざまな番組に携わり、ひとつひとつ結果を残すことで次の仕事に繋げていくなか、2003年、テレビ東京を代表する情報バラエティ番組『出没!アド街ック天国』の2代目秘書という大役を任される。続く2007年には『モヤモヤさまぁ~ず2』の初代アシスタントに就任。

「大先輩たちに囲まれてプレッシャーと不安しかないなか、司会の愛川欽也さんが『なんでも思ったことを言ってごらん。あとは俺がどうにでもするから』と言ってくださったんです。その言葉は今でも忘れません。バラエティ番組では、臨機応変に対応する能力や、相手の話を聞いて繋げていく力など、多くのことを学びました。のちに報道番組でも欠かせなかったスキルですね」

一方で、報道の仕事で専門性を高めたい、という希望も抱き続けていたという。

「報道もバラエティも、ときにはスポーツも担当する日々は刺激的でした。まさに“置かれた場所で咲きなさい”を各所で実践していた感じです。ただ、いずれ入社時の希望である報道に専念するときがきたら、きちんと役に立てるよう準備をしておこうと思っていました。来た波にちゃんと乗れる自分でいるために、日頃から整えておこう、と」

2013年ニューヨーク支局への赴任が決定。

「テレ東といえば経済報道がメインです。金融の中心地ニューヨークで世界の経済の動きを取材したいという思いから、ずっと会社に異動の希望を伝えていました。ちょうど、FRB(連邦準備制度理事会)の議長がバーナンキさんからイエレンさんに代わり、また、日本ではアベノミクスが始動し、日銀の大胆な金融政策が世界中から注目されていた激動のとき。すべてが貴重な経験でした」

夢我夢中で働いていたところ、1年後『WBS(ワールドビジネスサテライト)』のメインキャスターに抜擢される。

「サステイナブルな働き方ができないとサステイナブルな社会にはならない」

キャスターの大江麻理子さん
 

「夢は叶ったものの、できないことだらけでひたすら自分にダメ出しをする日々。当時は月曜から金曜まで週5日、夜23時からの生放送。取材をするのが好きだったので週に何度も朝から取材に行くなど、心身にかなり負担をかけていたと思います」

3年ほどたった頃、肌荒れがひどくなり、6年目にはメニエール病を発症。

「めまいで目の前がぐるぐる回るなか、這うように会社に行って、生放送まで頑張って。終わるとまた倒れ込むように自宅へ。さすがにもう体力の限界、続けられないかもと上司に相談したところ、1か月休んでみようと提案され、2020年の1月、丸1か月お休みをいただきました」

体と心がずっと発していたSOSに気付かないで蓋をしていた、と大江さん。

「サステイナブルな働き方ができないと、サステイナブルな社会にはならないと気付いたんです。自分の経験を通して、後輩たちに“これなら働き続けられる”と思える働き方を示せたらと上司に相談しました」

コロナ禍ということもあり、緊急事態に備えて制作陣も2班に分かれ交互に出社する体制に。さらにキャスターは同じ人が出続けるという常識を覆し、大江さんも飛び石で出演するという形に変わった。

「心身の負担が軽減されたと同時に、ひとつの出来事を深く掘り下げる余裕も生まれた気がします。この経験以外にも、理想の働き方について、常に会社と話し合えたことで、『WBS』を11年も続けることができたと思っています。ただ、会社員として組織の新陳代謝を考えたとき、社員のメインキャスターが11年というのは少し長い、次の人の活躍の場をつくりたいと思うようになりました。それも、退社を考えた理由のひとつでした」

【Mariko’s History】

キャスターの大江麻理子さんのヒストリー
 
キャスターの大江麻理子さんのヒストリー写真
左/お母様と。右/七五三でおすまし顔。
キャスターの大江麻理子さんのヒストリー写真
左/学生時代に台湾で日本語の教育実習を行ったのも懐かしい思い出。右/大学卒業写真。
キャスターの大江麻理子さんのヒストリー写真
左/2011年中国の重慶で。「貧富の差を取材中に公安に拘束されました」。右/N.Y.支局員時代。NY証券取引所前にて。
キャスターの大江麻理子さんのヒストリー写真
左/『WBS』時代、ECB総裁のラガルド氏にインタビュー。右/2018年12月、日本にアメリカのマーケットを伝え続けた功績により『WBS』と『Newsモーニングサテライト』の2番組でNY証券取引所のクロージングベルを鳴らす。

※掲載商品の価格は、すべて税込みです。

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PHOTO :
須藤敬一
STYLIST :
望月律子(KIND)
HAIR MAKE :
仲嶋洋輔(Perle)
EDIT&WRITING :
田中美保、濱谷梢子(Precious)