長逗留しているホテルのバーで夜十時、ひ
とり酒していると女性が入ってきた。俺を見
つけてためらわず隣に座ったのは、おととい
の夜、アレキサンダーを注文した彼女となん
となく話をかわしたからだ。
 ブランデーにクレーム・ド・カカオ、生ク
リームをシェイクし、すり下ろしたナツメグ
を振るこのカクテルは、イギリス国王エドワ
ード七世がアレクサンドラ妃に捧げた、まさ
に女王のカクテル。男にはなかなか注文でき
ない。
落ち着いてそれを飲む姿は豊かな髪の彼女に
ふさわしかった。
 豊かなのは髪だけではなかった。互いに一
人で泊まる男と女。その後なるようになり、
彼女の豊かな裸身は波打った。
「はい、忘れ物」
 カウンターに置いたのはきれいに畳んだ俺
のハンカチだ。
「洗っておきました」
 これは一杯ごちそうしないわけにはゆかな
いな。
 一度でもベッドをともにした女性はみごと
に無防備に変わり、体の線を強調した薄いス
カートの腰のあたりが色っぽい。男の俺もい
まさら口説こうという気はうすれ、普通の話
ができる。
 彼女はエアラインの客室乗務員で、ここは
常宿なのだそうだ。
「すると機内で会うかもしれないな」
「特別なことはいたしません」
 体を知る客室乗務員に、型通りの口調でサ
ービスされるのはいいかもしれない。まして
到着地が同じであれば。
 今は髪をおろしているが、機内は制服に髪
形はアップと決められている。その姿も見て
みたい。次の搭乗はいつか聞いてみようか。
 ホテルバーのクローズは早く、そろそろだ。
「さてもう一杯、寝酒はごちそうするよ、
アレキサンダー?」
「そうするわ」
 彼女は片目をつぶり、忘れ物してもいいわ
よと言った。


アレキサンダー Alexander

ジャック・レモン主演の映画『酒とバラの日々』でこのカクテルを知ったという人も多い、アレキサンダー。誕生は、イギリス国王エドワード7世が、王妃アアレクサンドラに捧げたものという説が一般的。最初は女王の名に因み、アレクサンドラと呼ばれたが、いつの間にかアレキサンダーと呼ばれるように。ブランデーの豊かな芳香とともに、クレーム・ド・カカオと生クリームのまろやかさが融け合い、甘くとろけるような口当たり。最後の一杯におすすめの、まさに大人のデザート・カクテルだ。今宵はグラマラスなフォルムのカクテル・グラスで、ゆっくりと味わっていただきましょう。バーテンダー/ BAR GOYA 山﨑 剛

この記事の執筆者
1946年生まれ。グラフィックデザイナー/作家。著書『日本のバーをゆく』『銀座の酒場を歩く』『みんな酒場で大きくなった』『居酒屋百名山』など多数。最新刊『酒と人生の一人作法』(亜紀書房)
EDIT :
堀 けいこ
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