【目次】
- 「藤ノ木古墳」とは? 場所や築造時期などの「基礎知識」
- 「藤ノ木古墳」が大きな注目を集めた「理由」
- 石棺から発見された「ふたりの被葬者」とは?
- 国宝となった豪華な「副葬品」の見どころ
- 「藤ノ木古墳」の被葬者は誰? 有力な「説」を紹介
- 「藤ノ木古墳」を見学する前に知っておきたいこと
【「藤ノ木古墳」とは? 場所や築造時期などの「基礎知識」】
■「場所」は?
「藤ノ木古墳」は、奈良県生駒郡斑鳩町にある古墳です。法隆寺の西約350mに位置し、矢田丘陵から南に延びる緩やかな斜面に築かれています。
■「築造時期」は?
現在の墳丘(土や礫などを積み上げて築かれた墳墓の丘)は直径約50mの円墳です。築造時期は、出土した遺物や石室の構造などから、6世紀後半と考えられています。墳丘の裾からは円筒埴輪の基底部が見つかっており、築造当時は墳丘に埴輪が立てられていたとみられます。
■「特徴」は?
埋葬施設は、南側に開口する全長約14mの横穴式石室です。石室の奥には、奈良県と大阪府の境にある二上山産の白色凝灰岩をくり抜いて造った「家形石棺」が安置されています。石棺は長さ約235cm、幅約139cm、高さ約152cmという大きさで、内外面には朱が塗られていました。
こうした大型の円墳と立派な石室をもつ藤ノ木古墳は、6世紀後半の斑鳩に築かれた重要な古墳のひとつです。そして、その存在が広く知られるようになった大きなきっかけが、1985(昭和60)年から行われた発掘調査でした。
【「藤ノ木古墳」が大きな注目を集めた「理由」】
■「未盗掘」の古墳だった
1985(昭和60)年に始まった発掘調査により、それまで知られていなかった藤ノ木古墳の全容が次第に明らかになっていきます。第1次調査では、石室から多数の須恵器・土師器や、豪華な金銅製馬具などが発見されました。さらに調査は石棺内部へと進みます。石棺は内部が未調査のまま残されていたため、1988(昭和63)年にファイバースコープによる内視調査を実施。その結果、内部に水がたまっていたものの、その中に金属製品や繊維製品などが残されていることが確認されました。そして同年10月に開棺され、ふたりの被葬者と多数の副葬品が確認されたのです。
■埋葬当時の様子を伝える貴重な発見
特に重要なのが、副葬品が大きく動かされることなく、ほぼ原位置を保った状態で見つかったことです。文化庁によると、出土した副葬品は1万2000点を超え、その多くが原位置を保っていました。これは、当時の埋葬の様子や、副葬品がどのように配置されていたのかを知るうえで、非常に貴重な発見でした。
しかも、そこに残されていたのは、金銅製の馬具をはじめ、冠や履、大刀、玉類など、当時の最高水準の技術をうかがわせる品々だったのです。日本列島だけでなく、朝鮮半島や東アジアとの交流を考えるうえでも重要な資料となり、藤ノ木古墳は全国的に大きな注目を集めることになりました。
その後、藤ノ木古墳の出土品は重要文化財に指定され、2004(平成16)年には「奈良県藤ノ木古墳出土品」として国宝に指定されています。
【石棺から発見された「ふたりの被葬者」とは?】
■巨大な「石棺」には「ふたり」が眠っていた
藤ノ木古墳の石室の奥には、二上山で産出した白色凝灰岩をくり抜いて造った「家形石棺」が安置されています。石棺は長さ約235cm、幅約139cm、高さ約152cm。かなり大きな石棺ですが、その内部には、なんとふたりの人物が埋葬されていることがわかりました。埋葬されたふたりはいずれも東枕で、埋葬されたふたりはいずれも東枕でした。北側の人物は、17~25歳ほどの男性で、身長は約170cmと推定されています。南側の人物は残っていた骨が少ないものの、男性と考えられています。ただし、ふあtりの身元は特定されていません。
棺内では、北側と南側の人物それぞれに対応する装身具や鏡などが確認されており、ふたりがどのような状態で埋葬されたのかを具体的に知る手がかりとなっています。
■それぞれが身につけていた装身具
北側の人物の周辺からは、銀製鍍金の空玉(内部が空洞になった玉)からなる頸飾や、1万点を超えるガラス玉などが確認されました。特にガラス玉は、頭部から上半身にかけて玉簾状に残っており、後頭部を飾っていたものとみられています。そして南側の人物からは、一対の耳環や銀製空玉の頸飾などが確認されました。北側の人物の頸飾は三重で、玉も南側より大きなものだったとされています。
また、北側の人物の頭部付近には3面の鏡、南側の人物の頭部付近には1面の鏡が置かれていました。棺の両側には大刀などの刀剣も配置されており、ふたりの周囲には、身につけていた品だけでなく、さまざまな副葬品が納められていたことがわかります。さらに、足元には2足の金銅製履や冠、大帯なども確認されています。これら副葬品の多くが、ほぼ埋葬当時の位置を保った状態で見つかったことは、当時の葬送の様子を考えるうえでも貴重です。
ただし、ふたりがどのような関係にあり、なぜ同じ石棺に葬られたのかについては、考古学的な結論は出ていません。このふたりが誰なのかについても、これまでさまざまな説が提示されており、藤ノ木古墳が注目を集める大きな理由のひとつになっています。
【国宝となった豪華な「副葬品」の見どころ】
■金銅製の馬具
藤ノ木古墳の副葬品のなかでも、とりわけ注目されているのが、石棺の外から見つかった金銅製の馬具です。馬具は3セット分が確認されており、そのなかでも最も豪華なセットには、鞍や鐙、馬の口に装着する轡、飾り金具など、さまざまな部品がそろっていました。なかでも目を引くのが「鞍金具」です。金銅製の金具には、鬼神や象、龍、獅子、鬼面、鳳凰、兎など、さまざまな意匠が透かし彫りや浮き彫りで表現されています。さらに、縁には植物を図案化したパルメット文や龍文なども施されています。
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館は、この鞍金具について、当時の東アジアでも類をみない技巧と装飾を凝らした「超一級品」と評価しています。細かな金属加工によって多彩な動植物や神獣を表現した馬具は、藤ノ木古墳を代表する出土品のひとつです。
■冠や履などの装身具
石棺の内部からは、被葬者が身につけていたと考えられる品々も見つかりました。北側の人物の足元からは金銅製の冠と飾履が、南側の人物の足元からは金銅製の飾履と大帯が確認されています。冠や履、筒形品には、魚や鳥、船などを表現した「歩揺(ほよう)」と呼ばれる小さな飾りが取り付けられていました。歩揺は揺れることで動きが生まれる装飾で、冠や履などをいっそう華やかに見せてくれます。
また、銀や金銅でつくられた装身具、色とりどりのガラス玉なども多数出土しています。なかには、銀製鍍金の空玉やガラス玉を連ねた頸飾などもあり、当時の高度な金工技術や装飾文化がうかがえます。
■刀剣や金属製品
石棺の内部には6振の刀剣が確認され、北側の人物のそばには大刀と剣、南側の人物のそばには4振の大刀が置かれていました。なかでも注目されるのが、金や銀、ガラスなどで華やかに装飾された大刀で、被葬者の高い身分や権威をうかがわせる副葬品です。
このほか、4面の銅鏡や金属製品、ガラス製品、繊維類なども出土しています。こうした石室内・石棺内の出土品は、1988(昭和63)年に重要文化財に指定された後、2004(平成16)年に「奈良県藤ノ木古墳出土品」として一括で国宝に指定されました。金銅製の馬具や冠、履、装飾大刀など、当時の高度な技術によってつくられた品々がそろっていることから、古墳時代後期の工芸技術や東アジアとの交流を考えるうえでも、非常に重要な資料となっています。
【「藤ノ木古墳」の被葬者は誰? 有力な「説」を紹介】
■「崇峻天皇」説
藤ノ木古墳の被葬者については、古くからさまざまな人物の名前が候補として挙げられてきました。そのひとつが「崇峻(すしゅん)天皇」です。「なぜ、法隆寺や聖徳太子と関係の深い場所に、崇峻天皇の名前が出てくるの?」と思う人もいるかもしれませんね。実は、崇峻天皇は聖徳太子の叔父にあたる人物です。崇峻天皇の父は欽明天皇で、聖徳太子の父・用明天皇も欽明天皇の皇子。つまり、崇峻天皇と用明天皇は兄弟であり、崇峻天皇は聖徳太子の叔父にあたるというわけです。
藤ノ木古墳は法隆寺の西約350mに位置し、東約700mには聖徳太子の斑鳩宮があったとされます。このように、藤ノ木古墳が聖徳太子ゆかりの地域に築かれていることに加え、江戸時代には古墳が「ミササギ山」と呼ばれ、崇峻天皇の陵墓とする伝承もありました。こうした立地や伝承などを背景に、崇峻天皇を被葬者とする説が考えられてきました。
ただし、現在の研究では、藤ノ木古墳を崇峻天皇の墓と断定することはできません。『日本書紀』によると、崇峻天皇は592年に蘇我馬子の手先によって暗殺され、その日のうちに「倉梯岡陵」に葬られたとされています。崇峻天皇の陵墓は、現在、奈良県桜井市にある『倉梯岡陵』が有力視されていますが、藤ノ木古墳との関係を裏付ける決定的な証拠は見つかっていません。
■「穴穂部皇子」などの皇族説
もうひとつ注目されてきたのが、穴穂部皇子など、6世紀末の皇族を被葬者とする説です。藤ノ木古墳からは、金銅製の冠や履、豪華な馬具、装飾された刀剣など、極めて質の高い副葬品が見つかっています。また、石棺にはふたりが埋葬されていました。こうしたことから、被葬者は当時の政治や外交に深く関わった身分の高い人物だったと考えられています。
穴穂部皇子は欽明天皇の皇子で、崇峻天皇の兄にあたる人物です。ただし、穴穂部皇子を藤ノ木古墳の被葬者とする説についても、決め手となる直接的な証拠があるわけではありません。奈良県立橿原考古学研究所附属博物館では、被葬者の候補として、穴穂部皇子のほか、宅部皇子、紀氏、平群氏、膳氏などの名を挙げています。いずれも、当時の政治や外交において重要な役割を担った人物や氏族です。
■なぜ「誰なのか」がわからない?
藤ノ木古墳からは、被葬者を特定できる名前などは確認されていません。そのため、豪華な副葬品や古墳の立地、築造された時期などを手がかりに、さまざまな人物が候補として考えられてきました。特に興味深いのは、同じ石棺にふたりが埋葬されていたことです。北側の人物は20歳前後の男性、残っていた骨は少ないものの男性と考えられていますが、ふたりの関係も明らかになっていないため、被葬者をめぐる謎は現在も残されたままなのです。
【「藤ノ木古墳」を見学する前に知っておきたいこと】
■「石室の入口」からガラス越しに見学できる
藤ノ木古墳は、墳丘の外からその姿を見るだけでなく、石室の様子を実際にのぞくこともできます。ただし、石室は常時自由に入れるわけではありません。普段は入口に設けられた扉の窓ガラス越しに、石室や石棺を見るスタイルになります。
石室内を間近で見学できる機会として、春と秋には「石室特別公開」などが行われています。2026(令和8)年は5月16日・17日に春季特別公開が行われました。この特別公開では石室内に入ることができますが、見学時間は限られています。2026(令和8)年春季特別公開では、石室前で約8分の紹介映像を見た後、10人程度ずつ入室し、石室内の見学時間は1~2分程度とされていました。
一方、「藤ノ木古墳特別見学」という別の見学機会もあります。こちらは、ふるさと納税で5万円以上を寄附し、お礼の品として「藤ノ木古墳を限定見学!」を選択した人を対象としたもの。見学時間は約20分で、2026(令和8)年10月以降も日程が設定されています。
■出土品を見るなら「斑鳩文化財センター」へ
藤ノ木古墳を訪れるなら、古墳だけでなく、近くの「斑鳩文化財センター」もあわせて見学したいところです。同センターでは、国宝「奈良県藤ノ木古墳出土品」の主なもの60点の精巧なレプリカを常設展示しています。実物の出土品は保存・公開上の制約がありますが、レプリカなら金銅製の鞍金具などを間近で観察できます。
特に注目したいのが、前述した金銅製の鞍金具です。複雑な文様を間近で見ると、鬼神や象、龍、獅子などが細かな金属加工によって表現されていることがわかります。古墳の現地で石室を見たあとに出土品のレプリカを見ると、「この小さな古墳から、こんなに豪華な品々が出てきたのか」と、発掘調査のすごさも実感しやすくなります。
■「法隆寺」と一緒に訪れるのもおすすめ
藤ノ木古墳は、法隆寺から西へ約350mという近い場所にあります。古墳を見学したら、法隆寺や斑鳩宮跡など、聖徳太子ゆかりの史跡とあわせて巡ってみるのもいいですね。
藤ノ木古墳が築かれた6世紀後半から、聖徳太子が斑鳩に移り住んだ飛鳥時代にかけて、この地域では宮や寺院が築かれ、政治や文化の重要な舞台となっていきました。藤ノ木古墳そのものだけでなく、「なぜこの場所に、これほど豪華な古墳が築かれたのか」と周辺の歴史にも目を向けると、これまで見てきた被葬者の説や東アジアとの交流についても、より興味深く感じられるはずです。
***
藤ノ木古墳は、豪華な副葬品やふたりの被葬者など、6世紀後半の古墳文化を知るうえで貴重な発見が詰まった古墳です。一方で、「このふたりは誰だったのか」「なぜ同じ石棺に葬られたのか」など、今も明らかになっていない謎も残されており、古代史への想像をかき立てる遺跡でもあります。実際に古墳を訪れて石室を眺め、斑鳩文化財センターで出土品のレプリカを見てみると、1500年近く前の人々が、そこで生き、着飾り、悩み、笑っていた姿まで、リアルに感じられるかもしれませんよ。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- 参考資料:『日本国語大辞典』(小学館) /『デジタル大辞泉』(小学館) /『日本大百科全書 ニッポニカ』(小学館)/『国史大辞典』(吉川弘文館)/『日本歴史地名大系』(平凡出版) /『角川日本地名大辞典』(角川書店)/橿原考古学研究所付属博物館「大和の遺跡」(https://www.kashikoken.jp/museum/yamatonoiseki/kofun/2018_fujinoki.html) /国指定等文化財データベース「奈良県藤ノ木古墳出土品」(https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/00010613?utm_source=chatgpt.com) /奈良県「藤ノ木古墳」(https://www.pref.nara.lg.jp/ikasu-nara/bunkashigen/main10561.html?utm_source=chatgpt.com) /斑鳩町「令和8年度史跡藤ノ木古墳春季石室特別公開について」(https://www.town.ikaruga.nara.jp/0000003045.html?utm_source=chatgpt.com) /斑鳩町「藤ノ木古墳特別見学」(https://www.town.ikaruga.nara.jp/0000000461.html?utm_source=chatgpt.com) :

















