【目次】

【第37回のあらすじ】

さて、前回放送では四国の長宗我部元親(磯部寛之さん)が降伏し、天正13(1585)年7月、五摂家筆頭の近衛家の養子になって関白に任じられる…と、とんでもないことをやり遂げてしまった秀吉。翌月、四国・西日本を中心とする大規模な領地再配分(国割り)をします。その意図は、織田家以来の大名を畿内から遠ざけ、羽柴家の一門衆と家臣によって畿内と大和という足場をガチガチに固めることでした。

それまでのように自力で勝ち取った領地を認めるのではなく、「関白秀吉が全土の土地を預かり、各大名へ分け与える」という新しい主従関係を全国に示したのです。「領土の分界や所有権を握るのは関白秀吉である」という、中央集権的な秩序を確立。政治的・軍事的再編というわけですね。これが太閤検地や、のちの全国的な国割りの基礎となります。

(C)NHK
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このときに蜂須賀正勝(高橋努さん)は阿波一国を授かりますが、それは息子に与えていただき自分は隠居すると言い出しました。四国攻めで傷を負い、思うように働けなかった己が歯がゆかったのでしょう。川並衆だった正勝は秀吉・秀長に持ち上げられるようにして家臣になり、共に天下一統を目指してきた、羽柴兄弟にとっていちばんの盟友。荒くれ者で涙もろく、がさつなようで心優しい正勝は、これより半年後、病によって世を去ります。

今回のサブタイトルは「秀長の国」。それまで納めていた紀伊・和泉に加え、大和一国を与えられ、郡山城を居城としてよき国を、なわけですが…。

当時の大和国は秀吉が「最も厄介じゃ」と言っていたように、東大寺や興福寺、春日大社といった有力社寺による荘園制度が強く残っていた地域。農民には通常の米や麦による年貢だけでなく、多種多様で不透明な過重負担を課し、社寺が一国を意のままにして莫大な利益を得ていました。前国主の筒井氏は興福寺の衆徒。ずぶずぶの関係であることは明らかですね。

この悪しき枠組みを打ち壊して国の経営を健全に再生させ、大和を新しい国づくりの手本としたい――これが秀吉の狙いです。

さて、この『豊臣兄弟!』第37回でも抜群の存在感を見せてくれたのが、興福寺の超生臭坊主、一乗院の磐覚を演じた坂口涼太郎さんです。前回放送で秀吉を養子に迎える近衛龍山を演じた前野朋哉さん同様、『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』に続く大河ドラマ出演です。しかも坂口さんは9月25日に放送が終わったばかりの朝ドラ『風、薫る』でも、りんや直美が学んだ帝都医大病院の外科助教授・藤田邦夫役を怪演! 坂口さんの場合、どんな作品でも怪演という表現が当てはまってしまいますが、今回の磐覚も“顔芸”がすごかった~。

坂口さんは「興福寺にある私が好きな仏像のお姿や表情をお芝居に全部詰め込みました」とインタビューに答えています。今後は羽柴が大和全土を治め、政や商いも一切を取り仕切ると秀長に宣言され、怒りにプルプル震えていた磐覚がとったポーズ、筆者は見逃しませんでしたよ。左手はよく見えませんでしたが、胸のあたりまで上げた右手は親指と人差し指で輪をつくる来迎印(らいごういん)を結んでいました。これは阿弥陀如来特有の印相で、人々を極楽浄土へ導くサイン。磐覚に(坂口さんに)にその意図があったかは不明ですが。

(C)NHK
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さらに今回放送後のSNS界隈をざわつかせていたのが、秀長と慶(吉岡里帆さん)夫婦の娘・末(池端杏慈さん)の侍女を演じた信川清順さんと、庄屋の石川清兵衛役として登場した伊藤健太郎さん。信川さんは2作前の『光る君へ』で主人公・まひろ(吉高由里子さん)の娘の乳母を、伊藤さんは若武者・双寿丸を演じていたため、「平安時代からワープしてきた!」などと話題になりました。

(C)NHK
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今回は、大和郡山城のリニューアル工事における、主導権についての小競り合いを収めた慶の差配もお見事でした。家臣の男どもは慶にメロメロですね。


【いよいよ次回登場!秀吉が重用した天才絵師、狩野永徳】

秀吉の大坂城の内装は金地の障壁画で埋め尽くされていました。これらは、室町時代から江戸末期に至るまで約400年もの長きにわたり、日本絵画界のトップとして君臨し、勢力を維持し続けた日本史上最大の絵師集団、狩野派によるもの。特に秀吉が重用したのは、天才と称された4代目狩野永徳(かのうえいとく)です。

大坂城、聚楽第(じゅらくだい)、伏見城、方広寺といった巨大な城郭や邸宅を次々と造営した秀吉でしたが、その内部装飾の指揮を一身に託されたのが永徳。彼は秀吉の次から次へと増える要望に応え続け、得意の金碧障壁画を描きまくり、過労で47歳の若さで急逝しているほどです。ちなみに「描く」といってもひとりで描くわけではなく、プロ絵師集団である狩野派の仕事のほとんどは、いわゆる工房制作。

次回の予告で、片岡鶴太郎さん演じる狩野永徳が登場しました。鶴太郎さんは『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』で、妖怪画の第一人者・鳥山石燕を演じましたね。実際に画家としても活躍する鶴太郎さん、本作で絵筆をとるシーンがあるかどうか…楽しみです。

第38回より(C)NHK
第38回より(C)NHK

次週以降の予習として、豊臣家と狩野派との関わりと、永徳のバックボーンをさくっと解説しましょう。

■権力者と「日本一の絵師集団」

織田家・豊臣家と狩野派は、安土桃山時代における「権力者と御用絵師集団」という、日本美術史上最も密接で時代を象徴するパートナーシップを結んでいました。信長亡きあと天下人となった秀吉と、その補佐役として手腕を振るった秀長が推し進めた、巨大造営事業を絵画面で全面的に支えたのが、天才絵師・狩野永徳率いる狩野派というわけ。

金箔を贅沢に敷き詰めた背景に、巨木や巨岩、獅子や鳳凰などの力強い動植物を豪快なタッチを用いて描き、画面からはみ出すほどのダイナミックな構図。この「金碧障壁画」というジャンルは、秀吉が自身の権威を内外に示すのにピッタリだったのでしょう。

■無茶な納期に応える「組織力」

永徳による構図や主要な線描を下絵に、門弟たちが「金箔貼り」「背景」「主題」などを手分けして一斉に進めるという、高度なライン作業を確立。また、岩や波、松、獅子など、よく用いられる(依頼主が好む)モチーフの描き方には手本(型)があり、均一なクオリティで制作できる仕組みがありました。

これによって、秀吉の「ひと月でつくってちょ」といった無茶ぶりにも応えられたのです。

■熟知していた「権力者の好み」

狩野派は、室町幕府の御用絵師として中国の伝統的な「水墨画」と、日本固有の絵画様式である「やまと絵」を融合させてきた流派の家柄。秀吉のキンキラ好みも、朝廷向けの洗練された絵画も、どんな要望もお手のものでした。

■そもそも「狩野派」とは?

初代は京都で室町幕府の御用絵師となった狩野正信(1434~1530)ですが、彼の時代はまだ個人絵師にすぎませんでした。正信の息子・元信は、宋元絵画(中国絵画)の巨匠たちの作風をもとに一定のスタイルを確立。血族や弟子たちにその技を叩き込むことで、狩野派は個人経営を脱し、良質なレベルを保った絵画作品を大量生産できる絵師集団へと発展しました。

元信の妻は朝廷の絵画制作を任じられていた土佐派の長・土佐光信の娘。元信は土佐派が独断としていたやまと絵の画風にも食い込み、中国画を規範とする漢画(水墨画)へとレパートリーを拡大。狩野派を「絵画制作の総合百貨店」へと成長させました。

元信の息子で永徳の父にあたるのが、狩野派3代目を継いだ狩野松栄。本人は家督を継ぐ気はない気楽な三男坊でしたが、長兄が早世、次兄は他家へ養子に出ていたようで、にわかに3代目を継ぐことに。それゆえ自身の成功より、幼少期から才能を見せていた息子・永徳の教育と売り込みに熱心だったよう。元信にしても息子より孫の永徳への期待がハンパなく、永徳が足利将軍にお目見えしたのはわずか10歳のことでした。

この永徳がどのように信長や秀吉というふたりの天下人に仕えていくのか、そして代表作『唐獅子図屛風』とは? さらなる解説に、乞うご期待!


【次回『豊臣兄弟!』第38回「和を以て、大和をなす」のあらすじ】

ひっ迫する大和国の財政を根本から建て直すため、秀長(仲野太賀さん)は城下町・郡山の商いを活性化しようとする。だが、既得権益を守りたい奈良の豪商たちは郡山への移転を拒否。秀長は、郡山で新たに店を開いた筆屋の才蔵(間宮祥太郎さん)の商いを成功に導き、それを起爆剤に各地から商人を呼び込もうと考える。

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一方、大坂では、秀吉(池松壮亮さん)が帝の許しを得て新たな「氏」を得ることになり、何と名乗るべきか勘案していた。

※『豊臣兄弟!』第37回「秀長の国」のNHK ONE配信期間は2026年10月4日(日)午後8:44までです。

この記事の執筆者
美しいものこそ贅沢。新しい時代のラグジュアリー・ファッションマガジン『Precious』の編集部アカウントです。雑誌制作の過程で見つけた美しいもの、楽しいことをご紹介します。
WRITING :
小竹智子
参考資料:『NHK大河ドラマ・ガイド 豊臣兄弟! 後編』(NHK出版)/『大河ドラマ「豊臣兄弟!」完全読本』(産経新聞出版)/『デジタル大辞泉』(小学館)/『日本国語大辞典』(小学館)/『もっと知りたい狩野永徳と京狩野』(東京美術) :