「おめでとう」
「ありがとうございます」
 グラスを上げた相手は俺の学生時代からの
親友Kの息子だ。大学を終え、就職も決まっ
た祝いの酒に、俺はウイスキーのストレート、
彼にはハイボール。これから社会に出る男に
はこれくらいがよいだろう。
 彼は中学生間もないときに父を亡くし母子
家庭になった。Kは死を悟ると「息子をたの
む」と俺の手を握った。息子は俺によくなつ
き、二人で山に登り、長い旅行もした。人生
の話をしたこともある。
 高校も後半になったころ母から、息子が自分
を避け、悪い遊びをするようになった、どう
してよいかわからないと訴えが来た。母から
自立する時期が来たのだ。父のいないコンプ
レックスもあったのだろう。
 ある日、母に頼まれた物を届けに私の会社
に来た。彼を屋上に誘って俺は言った。
「お前を育ててくれたのは誰だ。母親を泣
かす男は最低だ」
 男が男を叱るときに長い言葉はいらない。
彼は黙って下を向いた。やがて立ち直ったら
しい。
 グラスを持つ彼は、何か花むけの言葉を待
っているようだ。では言うか。だが長い処世
訓はいらない。
「まじめにやれよ」
「わかりました」
 にっこり笑って続けた。
「ぼくに彼女ができたら見てください」
 にこにこ聞いていたバーテンダーが「その
ときはどうぞここで」と言い、三人は笑った。
 そうか、そういう日も来る。そうなれば心
配は一人息子に結婚される母だ。母に息子と
の子離れは難しいと言う。その時は男として
諭してやらなければと考え、いや俺はずっと、
親友Kの奥さんの支えになりたかったのだと
気づいた。


ハイボール  Highball

「これから社会に出る男にはこれくらいがよいだろう」という主人公の思いの中にある激励の気持ちをくみ取り、若者にはやや贅沢な12年もののブレンデッド・ウイスキーでハイボールを。ウイスキーとソーダ水の割合は1: 2.5。冷凍庫から取り出したウイスキーを使うことで、ふっくらとした膨らみのある仕上りに。スクエアカットの氷にまとわりつきながら上がっていく微細な泡が華やかさを醸す、花むけの一杯だ。バーテンダー/ BAR GOYA 山﨑 剛

この記事の執筆者
1946年生まれ。グラフィックデザイナー/作家。著書『日本のバーをゆく』『銀座の酒場を歩く』『みんな酒場で大きくなった』『居酒屋百名山』など多数。最新刊『酒と人生の一人作法』(亜紀書房)
PHOTO :
小倉雄一郎
EDIT :
堀 けいこ