その男はダンディだが目つきは鋭く、どこ
か人を寄せ付けない雰囲気だ。 
 名門といわれるこのバーはカクテルの質の
高さで名がとどろいている。男は氷の浮かぶ
グラスを、ゆっくりといつくしむようにまわ
し、誰かと話してみたい様子だ。俺は思い切
って声をかけた。 
「失礼ですが、それは何というカクテルです
か?」 
 男は俺を見て「ラスティネイル、錆びた釘
……俺みたいなものさ」と照れたように微笑
した。バーテンダーが遠慮がちに「ウイスキ
ーとドランブイが一対一、強いです」と添え
る。肩のあたりに孤独を感じるこの男にはふ
さわしいようだ。 
 こんどは俺が聞かれた 
「あなたお子さんは?」 
 娘が一人、まだ小さいと答えると、そうで
すかと誰かを思いだす目だ。 
「親御さんは?」 
 父は死んだが、少しぼけた母は元気と言う
と、黙って遠くに目をやり、それきり会話は
途切れた。 
 バー入口に現れた男二人が、小声でバーテ
ンダーを呼び、何ごとかささやいた。戻った
バーテンダーが男の耳に口を寄せると、黙っ
てうなずいた。 
 そうしてゆっくりと残った酒を味わい終え、
立ち上がってコートを着てボタンをかけ、ソ
フト帽をかぶり、勘定を済ませると俺に言っ
た。 
「ちょっと旅に出ます、二年か三年。またこ
こで会いましょう」 
 それから入口で待つ二人に目を送り、挟ま
れて出て行った。俺はバーテンダーに、今の
二人は何を言ったか聞きたかったが、客のプ
ライバシーは話さないはずだ。 
 俺は思った。二人は刑事だろう。彼は逮捕
を待っていたのだろうと。驚いた様子がない
のはここに居ると電話をしたのかも知れない。
 さらに思った。彼は出所した後の最初の一
杯はこのバーに決め、それでまた会いましょ
うと言ったのだと。

ラスティネイル Rusty Nail

モルトウイスキーをベースにしリキュール「ドランブイ」とスコッチウイスキーを合わせたカクテル。比率は1:1、1:2などバーテンダーの個性が現れる珍しいカクテルでもある。甘みがあり、アルコール度数が非常に高く、まるでいぶし銀のようだ。

この記事の執筆者
1946年生まれ。グラフィックデザイナー/作家。著書『日本のバーをゆく』『銀座の酒場を歩く』『みんな酒場で大きくなった』『居酒屋百名山』など多数。最新刊『酒と人生の一人作法』(亜紀書房)
PHOTO :
小倉雄一郎