地方出張の仕事を終えて赤煉瓦のバーに入
った。
小さな店内に立つ髪のほとんどない老バー
テンダーは、白シャツ、 黒蝶タイに赤いター
タンチェックのベストがよく似合う。 無難な
ものを注文して見渡すと、 英国風の立派な酒
棚の他はいたって質素だが、 カウンター端に
活けた真っ白な花束三つが華やかだ。
問わず語りに彼は話した。自分は貧しい家
に生まれ、 ホテルのボーイから始めた。 まじ
めに勤めて料飲部に配属されバーテンダー修
業。 そのホテルの閉鎖で独立してここを開い
た。 地味にやっているうちに良いお客さんが
通ってくれるようになった が、八十歳を過ぎ
て立ち仕事はつらくなり閉店を決めると、 い
くつも花束が届き、こうして飾っている。
酒棚の隅に大切そうに置かれた額入りの白
黒写真は、 三十歳ほどの聡明な感じの女性だ。
「あれは?」
「姉です」
幼い時に父はどこかに消え、 母は苦労して
姉と自分を育ててきたが病死。 歳の離れた姉
は懸命に働き、高校だけは行かせてくれた。
「よい縁談もあったが、 私を一人前にするま
ではと断ったこともあったようです」
そして自分が自活するのを見届けるように
独身のまま亡くなったと いう。「自分は姉に
育てられました」の言葉が重い。
私は何か得意なものをと注文した。
ではと並べたのはブランデー、オレンジキ
ュラソー、ペルノー。
「ドリーム、うちの店名でもあります」
姉はいつも「どんな時でも夢を持ち続けな
さい」 と言っていたのでそれを店名にし、 こ
のカクテルは特に大切にしていると言う。
カシャ、カシャ、カシャ。
ゆっくりかみ締めるように振るシェイカー
は姉への想いのようだ。 バー「ドリーム」の
閉店後、 あの写真は老バーテンダーの部屋に
置かれるだろう。
ドリーム Dream
ブランデーをベースにオレンジキュラソーとペルノーを合わせたカクテル。ペルノーは薬草系リキュールのひとつで、複数のハーブやスパイスからつくられている。ハッとするような爽やかな香りは、オレンジキュラソーとの相性は抜群だ。
- TEXT :
- 太田和彦 作家
- PHOTO :
- 小倉雄一郎