ナショナリズムとは何か…それが問われる時代がやってきました
アメリカは、先の中間選挙で野党・民主党が8年ぶりに下院の過半数を制して、トランプの共和党政権にひと泡吹かせる結果となりました。今後トランプ大統領は、何かにつけて下院と対立関係になって、議会との向き合いでは厳しい状況になることが予想されます。いわゆるねじれ現象です。
日本でも衆議院と参議院の与野党勢力が逆転して「ねじれ国会」となったことが過去にありますが、私はねじれていること自体は決して悪いことではないと思っています。政治がすべて与党の思うままに運ぶより、いったん立ち止まること、異論に耳を傾ける機会がもてることはとても大切だからです。「民主主義は手間がかかる」という名言がありますが、手間がかかるからこそ、民主主義でもあるわけです。
そんな「手間がかかる」ことを極端に嫌い、ツイッターでの140文字発信を好むトランプ大統領は、中間選挙後も「アメリカ・ファースト」の姿勢をさらに強く打ち出し、自分に向けられるロシア疑惑などについては、「ウソだ」と取り付く島もありません。自分にとって都合の悪いことは「なかった」ことにするのです。そういう姿勢にノーを突きつけたのは、中間選挙で投票率が2倍にもなった若者たちでした。
私はこの現象にひとすじの光を見る思いです。なぜならば世界は今、トランプのような「自国第一主義」に席捲されようとしているからです。私なりの解釈で言えば、偏狭なナショナリズムが愛国心という名のもとに跋扈(ばっこ)している、という感じです。
国を愛するなら、倫理的な価値をおとしめる言動を慎むべき
今の世界状況を「第一次世界大戦前夜に酷似している」と指摘する歴史家が複数います。大国が自らの覇権をかけて植民地支配に乗り出し、挙句に世界規模の戦争へと発展した、あの戦争です。我も我もと「自国第一主義」を掲げて、「自分さえよければ」の価値観で押し進む今とそっくりだとの指摘です。
そんななか、フランスのマクロン大統領は、まさに第一次世界大戦終結100周年の記念式典で、トランプ大統領やプーチン大統領らを前にこう訴えました。
「自分の国の利益が最優先で他国など気にしないというなら、それはその国で最も大事なもの、つまり倫理的価値観を踏みにじることになる」。
マクロン大統領はトランプやプーチンに比べれば、うんと若い指導者です。にもかかわらず彼は堂々と、アメリカやロシアの「自国第一主義」を批判し、偏狭なナショナリズム(国家主義)は愛国心への裏切りだと言ってのけたのです。
マクロン大統領の言いたかったことは簡単です。国を愛するなら、その国の倫理的な価値をおとしめるような政策や言動を慎むべきだということです。これにはトランプ大統領も相当居心地が悪かったらしく、その後の式典行事を欠席して、ひんしゅくを買いました。
国を愛することと、偏狭なナショナリズムに囚われることとは明らかに違います。今、日本は韓国との関係性で難しい局面に立たされています。もう終わったと思っていた(実際に条約を結んで解決をみた)戦争中の問題が、韓国側によって蒸し返され、賠償責任を求める判決が韓国最高裁で下されたからです。
日本側は「ありえない」と反発し、他方、韓国では同じような訴訟が相次いで起こされています。ここでもナショナリズムが顔をのぞかせます。ムン大統領はひと言もこの訴訟に触れず、沈黙を守っています。韓国内のナショナリズムを刺激し、自らの政権人気を落とすことを気にしているからです。日本は同じ轍を踏まず、国を愛するなら、この国の品位をおとしめるような解決方法を取ることを慎まなくてはなりません。
真のリーダーの、真の国家観が問われています。つまり「ナショナリズムとは何か」を問われているのです。
※本記事は2019年1月7日時点での情報です。
- TEXT :
- 安藤優子さん キャスター・ジャーナリスト
- BY :
- 『Precious2月号』小学館、2019年
- EDIT :
- 本庄真穂