鎌倉在住11年のエディター・佐藤久美子が、鎌倉や湘南などの海街で暮らす素敵な「あの人」を訪ね、その暮らしぶりやPreciousな生き様について伺います。

初回は、陶芸家の岡崎裕子さんに会いに、横須賀にあるアトリエ兼ご自宅まで伺いました。

イッセイミヤケのプレスとして働いていたOL時代に一念発起。陶芸の産地・笠間での修業に飛び込んだ岡崎さん。独立から11年を迎え、2/15~24まで2年ぶりとなる青山プレインピープルでの個展を開催します。

これまでどのように作陶に向き合ってきたのか? 作品にも表れる、そのお人柄や日々の暮らしに触れてきました。

家での時間を、器で豊かにしたい

私が陶芸家の岡崎裕子さんに初めてお会いしたのは、2018年の春。逗子でのとあるホームパーティでした。オフホワイトのリネンワンピースに、ジーン・セバーグのような愛らしいベリーショート。ひらり、という擬態語は彼女から生まれたの?? と思うほどの圧倒的な爽やかさを覚えています。その第一印象のままに、樹齢100年の大楠に抱かれた、横須賀のアトリエで迎えてくださいました。

岡崎裕子さん
――岡崎さんが陶芸家を志したのは、23歳のとき。ファッションブランド「ISSEY MIYAKE」で広報として働き、3年がたったころの2000年。日本を代表する世界的デザイナーである三宅一生さんの直属のプレスに抜擢されたことがきっかけだったとか。

岡崎裕子さん(以下、岡崎さん) 初めて直にお仕事をご一緒したのは、ちょうどA-POCというプロジェクトを、三宅さんと藤原 大さんが立ち上げた時期。担当プレスにしていただき、毎日がドキドキでしたが、すごく近いところで三宅さんのクリエイションに触れさせていただきました。生地づくりから、デザインの現場、フィッティングにも立ち会って、ブランドのストーリーを共有していただいたというか。元々はデザイナー志望だったので、大きな刺激を受けて自分も何かをつくる人間でありたいと、湧き上がる思いが抑えきれなくなってしまって。でも、ファッションは資本が大きな世界ですから、数多くの人が携わる中で先導をきる大役は、私にはとうていできないだろうと思ったんですね。

――何をつくるべきか。思いめぐらしてたどり着いたのが、「器」だったと。

岡崎さん 洋服と同じように、日常の中に入り込めるところがいいなぁと。ちょっと特別で、使うことで気持ちが切り替わるようなもの。食卓で日常使いできて、その人のスイッチになるような器がつくりたいと思いました。

――今でこそ、「好きを仕事にしたい」と、若くして会社員から転身する人は少なくありませんが、陶芸に限らず、作家はひと握りの人しか世に出られない厳しい世界。会社を辞めるという選択に迷いはなかったのでしょうか。

岡崎さん 多少の不安はあったと思います。ただ、人々が洋服にお金をかけていた時代から、だんだん家のこと、インテリアや食卓まわりに関心が向かっている気風がありました。家での時間を豊かにする、手軽なプラスチック製よりもきちんと手仕事の器を使う…そういう流れが来るだろうと。ファッションのお店でライフスタイルの提案として食器を置くようになったり、フランスからアスティエが入ってきたのもこの時期でしょうか。

華やかなファッションプレスから、「何者でもない自分」に

 陶芸家になろうと決意したものの、「実はまったく陶芸経験のないズブの素人だった」と笑う岡崎さん。美大を出たわけでもなく、陶芸産地につてがあるわけでもない。残された道は「弟子入り」だけ。そんな状況で目指したのが、江戸時代から続く歴史ある陶芸産地、茨城県の笠間でした。見知らぬこの地で古い平屋を借り、陶芸家・森田榮一さんの陶房に通いながら、約5年の修業生活を過ごすことになります。

陶房内には作品がずらり。完成までには最低でも2か月かかります。手板にのせた器を運ぶ力仕事もお手のもの。
――決して楽ではなかったであろう修業時代。華やかな世界へ戻りたいと思ったことはありませんか?

岡崎さん ある種の華やかさの頂点を垣間見て、満喫させていただきましたから。身の丈以上で、少し疲れてしまった部分もあったのかもしれません。お金のない生活をつらいと思うかどうかは、人と比べて差を感じるかどうかだと思うんです。横を見渡せば、弟子というのはみんな家賃2万円くらいの家に住んで質素な生活をしていますので、劣等感もなく。ただ、都内の実家にはあまり近寄らないようにしていましたね(笑)。20代を謳歌するきらびやかな同級生と会ってしまうと、惨めな思いをするかもしれないし、陶芸家の弟子という「何者でもない自分」を、人に説明する難しさもあったので。

――たしかに、昔の友人ってたいてい「今、何してるの?」と聞いてきますし、何気なく自分も言ってしまう気がします。いい話でもそれなりに気を遣うし、そうではない話ならなおさら。

岡崎さん そうなんです。うーん、粘土をこねてるよ…と言われても、都会で働いておしゃれをしておいしいものを食べて、という友人たちは困っちゃいますよね(笑)。そんなわけで、5年間ひっそり静かに過ごしていました。

――その鍛錬の時間というのは、ご自身の精神面に影響した部分もありましたか?

岡崎さん 淡々と自分の目の前のことをする。ひたすら土と向き合い、家に帰って粗食を食べ、文庫を読んで、寝る。心をすり減らす人づきあいもない。そこに感情の起伏はなく、うれしい気持ちもイヤな気持ちも、とにかく波がないんですね。師匠のお手伝いがきちんとできるようにならなくては、という焦りはありましたが、何もできない己を知ることで、ごまかしや自己顕示欲もそぎ落とされ、穏やかで健やかな時間だったように思います。

使い込まれた道具たち。

焦らずに、創作と子育てのバランスをはかる

 修業期間を終え、独立したのは30歳のとき。東京に戻ってから出会ったパートナーとの結婚も重なりました。横須賀・芦名にある曾祖父母伝来の土地を譲り受け、アトリエを併設した住まいを構えることに。

作品はアトリエ内の窯で焼き上げる。
――独立して11年間で、印象的だった転機はありますか?

岡崎さん やはり子どもが生まれたことが大きいですね。妊娠中は、自分が入れ子というか、子どもの器になったという意識が芽生えて。器は内側を優しく包み込むものである、という感覚が強くなりました。そのあたりの展覧会から、器の内側にばかり装飾するようになりましたね。今でもその傾向はあるかもしれません。

――お仕事と子育ての両立で、意識されていることはありますか?

岡崎さん ふたりの娘を育てながらですと、やはり作品づくりに使える時間が少なく、展覧会の数は減ってしまいました。でも、ここで焦るよりは、今は仕事と家庭は半々くらいでと判断しています。子どもが7歳と3歳になった今でも、学校や幼稚園スケジュールと日々にらめっこ。園の先生方やママ友はもちろん、地域のファミリーサポートやシッターさんにも助けていただいて来ました。それも、長く見積もってあと5年くらい。ここを過ぎれば、心おきなく創作に集中できるときが来るはずなので。

――広報のご経験は、スケジュールの見立てや展覧会での交渉ごとにも活きていらっしゃるのでは? 2018年には、フランスのジャパンエキスポに出展されていますね。

岡崎さん 国内では店番として立つ、という機会がなくなってきていたのですが、ジャパンエキスポへはひとりで行っていたので、もちろん売り子も自分で。私のフランスのイメージは、ふだんは丈夫でシンプルなお皿を使って、ゲストがいらしたら家から受け継いでいる、リモージュなどブランドのフルセットを使う…という感覚だったので、マダムから若い男性まで、家庭で私の器をデイリーに使いたいとお求めくださる人の多さに、市場が開けるワクワク感がありました。
海外での挑戦はなかなか頻繁にできることではないですが、現地のギャラリーともご縁があり、娘たちも一緒に行けるタイミングになったらまたぜひ、行きたいと思っています。

花びらをモチーフにしたPETALシリーズ。パリのポン・ヌフ橋のそばにあるMizen Fine Art(ミゼンファインアート)では、公募展で同シリーズの建水が選ばれている。

続けることで見せていく

40歳という節目に、一度くらいは立ち止まって人生を見つめ直したい。巷ではそんな声を見聞きします。アラフォーの身としては「わかるわかる!」とうなずきたくなるのですが、一方で、ひとつのことを続けて極める人に憧れている側面も。岡崎さんは、まさに「続ける人」。

岡崎裕子さん
――陶芸の道に入られてこれまで、休みたいな、やっぱり辞めたいなと思われたことはあるのでしょうか。

岡崎さん 私自身はまだ、陶芸と距離を置きたいと思ったことはなくて。自分にとっては向いていたのかなとは思います。ただ、やってみて向いていなかったとか、やっぱり他のことをしてみたいというのはごく自然なこと。私はたまたま20代のうちにやりたいことに気づいて決断でき、現状維持できているだけで。ここから先どうなるかはわからないですよね。

――影響を受けている方はいらっしゃいますか?

岡崎さん まずは三宅(一生)さん。私が退職を報告に行ったときに、「仕事がイヤで辞めたいなら引き留めようと思ったけれど、ものづくりを志す若者を止めることはできない。応援するので頑張ってください」と言ってくださったんです。しかも、ご自身が持っていたルーシー・リー(世界的に著名な陶芸家)の本に、応援メッセージを書いて譲ってくださって。その本を抱きしめて笠間で5年間過ごしたようなものです。もらってしまったからには、途中で帰れない!って(笑)。

 そして、やはり師匠である森田榮一さんと奥様。いくら仕事を手伝っているとはいえ、どこのだれとも素性のわからない私を、半分家にあげるように弟子入りさせてくださったわけですから。送り出してくださったり、育ててくださった方たちに、「続けることで見せていかねば」という気持ちで、ここまでやってこられたのだと思います。

横須賀と横浜を行き来しながら、二拠点生活

2018年、長女の小学校入学を機に、家族の生活のベースを横須賀から横浜へ移した岡崎さん。しばらくは娘さんの通学のしやすさを優先し、自身は横須賀・芦名のアトリエに車で通勤するスタイルに。離れたからこそ気づくことも多いのだとか。

窓から庭の緑を望む、気持ちのよいアトリエ
――今はどのような生活サイクルなのでしょう? あらためて感じる横須賀の魅力はありますか?

岡崎さん 週4日は横須賀に通って仕事をし、週末は夫と子どもも一緒に滞在しています。横浜は便利で史跡があって、刺激も学ぶところも多い。魅力的だなと感じます。ただ、やはり湘南の豊かな自然と、10年住んで築き上げた人とのつながりは、代えがたいですね。

週末は近くの海や山を散歩したり、川遊びをしたり、ご近所の友人と集まったり。10年住んで当たり前になっていたものが、離れてみたことでビビットに感じますし、すごくありがたみが増しています。あとは、お野菜はなるべく三浦や葉山の直売所で買って、横浜に戻るように。『すかなごっそ』や『葉山ステーション』によく立ち寄ります。鮮度と味わいが違いますね。

――都会からドライブがてら遊びに来る方にもおすすめですよね! ご近所でお気に入りのお店も教えていただきたいです。

岡崎さん 葉山の『SUNNY & SONS』というお菓子のアトリエです。ホームページからの完全オーダー制で、予約なしでケーキやクッキーを購入できるオープンアトリエは月に2日ほど。季節によって素材や抜き型も変えていて見た目にも楽しく、本当においしくて。とてもスペシャルだなと思います。娘を通じて友人になる機会をいただいて、ガレット・デ・ロワのフェーヴ(※)を毎年つくらせていただいています。親子遠足で仕事の依頼を受けるという(笑)。それもまたローカルならではのつながりですね。

※お菓子に忍ばせておみくじ的に楽しむ陶器製の飾り。フランスでは幸運をもたらすと言い伝えられる

豊かさは、何気ない日常にこそある

座右の銘は、「八風吹不動」八風吹けども動ぜず。心を惑わすことに遭遇しても、常に平常心を保つという意味

 2017年、岡崎さんはもうひとつの大きな転機を経験されています。乳がんの発覚、そして治療。人間ドックを受けていたにもかかわらず、たまたま妊娠と授乳でマンモグラフィ検査が3年ほどあいていた、その隙間での罹患でした。

――私が初めてお会いした1年ほど前は、まだ治療を終えて間もないころですね。ベリーショートにそのようなご事情があったとは。

岡崎さん 今は日常に戻って元気に暮らしています。治療を経て思うのは、病というのは思いがけず降りかかることで回避できないもの。病気だったと話すと、実は今こういうことを抱えていて…と打ち明けていただくことが増えました。つらいのは決してがんだけじゃなく、40代になるとほぼみなさん何かしら抱えているのではないかと。

――本当に。身近な人からも体調について報告を受けることがグッと増えてきました。他人事ではありませんね。

岡崎さん がんになるとお仕事を辞めてしまったり、病気とだけ向き合うという選択をする方は多いと思うのですが、今は治療が良くなっていて、がんと共存する社会が身近に来ているなと実感しています。私自身、抗がん剤の治療中に入院せずに仕事も生活も普通にできましたし、娘たちのお弁当も毎朝つくることができました。もちろん薬との相性もあって個人差はあるのですが、最近はいい吐き気止めもあります。ただ、まだ社会の認識は追いついていないと感じます。

――ご自身の公表は、そんなもどかしさもあったからでしょうか。がんを取り巻く社会は誰しもにとってごく近いところにあり、行政も企業も医療従事者も当事者とその家族も皆で対策を考えていくことで、罹患者が普通に受け入れてもらえる社会にするべき、という考えで始まった、『CancerX』という団体の活動もスタートされています。

岡崎さん はい。渦中にいるときは、自分も公表できませんでした。人から普通に扱ってもらうことで、その瞬間は病人じゃなくいられる。それはありがたかったのですが、病気を伝えても正しい知識をもって見守って頂ける社会が理想だと思いました。日本では毎年約100万人が新たにがんと診断されている時代で、その数は、毎年生まれる子どもよりも多くなっています。がんになっても治療を終えた後の人生が続いていく方は多い。娘たちが成人するころには、少しでも環境を変えられたらとの思いで取り組んでいます。

――では、最後に。岡崎さんにとっての豊かな人生とは? そして2年ぶりの個展への思いをお聞かせください。

岡崎さん 今の私にとっては、毎日そのままの日常を過ごせることが、豊かさですね。そして、お客さまと顔を合わせて作品をお持ち帰りいただく瞬間というのは、本当に幸せだなと思います。今回は、新しい釉薬をつくりました。お砂糖がけをしたような、しっとりした風合いで、温かみのある作品に仕上げています。在廊している日もありますので、お手に取ってどう使うかをイメージしてくださる場に、立ち会えましたらうれしいです。

新作の『Sugar Glazed』平皿。左から¥22,000、¥20,000、¥20,000(すべて税別)
花器。中央は、岡崎さんの代表作トンボのモチーフ。左から¥20,000、¥18,000、¥20,000(すべて税別)
PETALシリーズのボウル。¥20,000、¥35,000、¥40,000(すべて消費税別)

Yuko Okazaki Exhibition ~ Sugar Glazed ~

期間2019年2月15日(金)~24日(日) 10:30~20:00(最終日は19:00まで)
場所/青山プレインピープル
住所/東京都港区南青山5-3-5(表参道駅A5出口から徒歩5分)

アトリエの前の岡崎裕子さん
岡崎裕子さん
陶芸家
(おかざき ゆうこ)1976年東京都生まれ。1997年株式会社イッセイ ミヤケに入社、広報部に勤務。3年後退職し、茨城県笠間市の陶芸家・森田榮一氏に弟子入り。4年半の修行の後、笠間市窯業指導所釉薬科/石膏科修了。都内の陶芸教室で勤務した後、2007年神奈川県横須賀市にて独立。トンボや植物のモチーフをあしらったマットであたたかみのある質感の器にファンが多い。著書に『器、手から手へ』(主婦と生活社)。
公式サイト
この記事の執筆者
1980年兵庫県神戸市出身。津田塾大学国際関係学科卒業後、2003年リクルートメディアコミュニケーションズ(現・リクルートコミュニケーションズ)入社。結婚情報誌のディレクターを経て、2010年独立。編集、ライターとして活動。インタビューをメインに、生き方、働き方、恋愛、結婚、映画、本、旅など幅広いテーマを担当。2008年より東京から鎌倉へ移り住む。ふたりと一匹(柴犬)暮らし。
PHOTO :
菊池良助
EDIT&WRITING :
佐藤久美子