がんサバイバーという言葉を知っていますか?

サバイバーは「生存者」を意味する英語(survivor)ですが、今現在がんと闘っている方や、すでに治癒した方も含めて、がんを経験した人=「がんサバイバー」と呼ばれています。「国立がん研究センターの推計によると、日本では年に約100万人が新たにがんと診断されているなか、働く世代(20歳〜64歳)のがん患者が増加し、全体の3割に上るともいわれています」(日本対がん協会会長 垣添忠生氏)。

乳がんサバイバー・藤森香衣さん
乳がんサバイバー・藤森香衣さん

凛とした美しさとやわらかな笑顔が印象的な藤森香衣さんも、そのひとり。モデルという華やかな仕事の裏で、乳がんと闘ってきました。手術を終え、この春で丸4年。今の思いを教えてくれました。

――― 藤森さんが、異変に気づいたきっかけは何だったのでしょうか?

藤森香衣さん(以下、藤森) 2011年の夏ごろ、右の脇にしこりのような違和感を感じました。その、小さくてやわらかいグミのような”異物”が気になって、近くの乳腺科で検診を受けました。このとき石灰化は見受けられず、お医者さんは「乳がんになりやすいのは40代になってから。1年半後にまた来ればいいですよ」と言ってくれたんです。でも、しばらくすると少しずつ大きくなっているような気がしたんですね。気になって別の病院で検診を受けた結果、「0期の非浸潤がん*」との診断結果でした。

*乳腺の中の「乳管」や「腺葉」の中にがん細胞がとどまっている段階のがん

脳裏に焼きついた友人の言葉が検診を後押ししてくれた

――― 初期の段階での発見だったのですね。

藤森 そうなんです。実は初めてしこりを感じた少し前、当時まだ20代だった大切な友人が、乳がんで亡くなりました。彼女からがんの話を聞いたときには、すでにかなり進行していて。お母さんでもあった彼女は、がんと闘いながら「もっとみんなにも検診を受けてほしい」。そう、何度も言っていました。その言葉が検診へ後押ししてくれたと思います。

――― ご友人の思いを継いで、検診に足を運んだのですね。医師から、がんだと告げられたときにまず頭に浮かんだことは、なんでしたか?

藤森 お仕事のことでしたね。この先どうしよう…と。まず事務所に連絡しなくちゃ、と不思議と冷静だった気がします。でも、ひとりになると不安な気持ちが押し寄せて、涙が止まらなくなりました。

――― それから、どのような日々を過ごされたのでしょうか?

藤森 告知された病院では、手術はしていなかったんです。なので、「手術を受けたい病院に紹介状を書くよ」と言われたのはいいのですが、何から調べたらよいのか、何を基準に選んでいいのかさえわからなくて。ありがたいことにこれまで大きな病気をしたことがなかったので、なおさら。初期段階だったこともあり、まずは予約の受付をすることからでした。このときが12月の初め。私は必死に病院や病気について調べたり、気になる病院には実際の雰囲気を見に行ったり。仕事も続けていましたし、目まぐるしい日々でした。そして同時に、とにかく孤独な気持ちでした。はっきりとした診断が出ていないこともあり、周りにも言いだせなくて。もし、伝えたとしても余計な心配をかけてしまう気がして。年末に向けて華やかになる世間とは反対に「なんで私だけ?」と、本当に苦しかったです。不安な気持ちに押し潰されそうになっても、ただただ耐えるしかなかったんです。やっと取れた病院の予約日は、翌年1月の初旬でした。

インタビューに答える藤森香衣さん
インタビューに答える藤森香衣さん

――― そうだったんですね。そうして迎えた検査。診断結果は…。

藤森 いざ検査を進めてゆくなかで、先生からいろいろな説明を受けました。0期とはいえ、手術のためには精密検査をしなければならなかったんですね。詳細な検査結果の画像を見せてもらうと、右脇のしこりのほかに、右胸に二つ石灰化しているしこりがしっかりと写っていました。それはとても小さかったですし、自分で触ってもまったく気づいていないものでした。それを見たら、もう怖くて。「(部分切除などにより)胸を残してください」とは言えなかったです。その場で、「先生、全部取ってください!」と伝えていました。

――― 右乳房の全摘出をすることになったことで、同時再建手術の道が開けたのですね。

藤森 そうですね。いろんな条件がそろって、私は全摘出と同時再建手術という方法に行き着きましたが、それがベストなのかどうかは、その場ではもちろんわかりません。診断が進んでいく中でだんだんと手術の方法が見えてくるので、”先が見通せないという不安”はつきまとっていましたね。手術日まで4か月。今思えば、あっという間なんですが、その時は「こんなに放っておいて大丈夫なの?」と焦りました。でも、今しこりが3つあること、手術日が決まり、何をするかがわかったということもあり、腹が据わったような感覚もありましたね。

――― 見通しが立ったことで、よい気持ちの変化があったのですね。その間、お仕事も続けられていたんですよね?

藤森 手術日の数日前まで、お仕事をしていました。心配はかけまいと、事務所以外の仕事場では病気を伏せていたので、後から「あのときってもう? よく言わないで耐えられたね」と、周りのモデル仲間には言われましたね。正直、感情には波があって「大丈夫!」って思えるときもあれば、ひどく落ち込むこともありました。ただ、手術予定日の翌月、ハワイでのチャリティランに出場する!と決めていたんですね。お仕事をしたり、走ったり、このころには病気のことを話せる親しい友人との温泉旅行や、がんサバイバーの先輩に話を聞いてもらったり。それらはすべて、前向きな気持ちを持つうえで大きな力になりました。

後編へと続く

PROFILE
藤森香衣(ふじもり かえ)
11歳からモデルを始め、広告を中心に活動。出演したCMは70本を超える。2013年4月、乳がんにより右乳房を全摘出。がんについての知識を広めるため、講演やイベントなどを通じがんについての啓発活動を行っている。2016年よりNPO法人C-ribbons代表理事。
この記事の執筆者
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クレジット :
構成/八木由希乃