12歳のフランキーが経験する狂った夏。カーソン・マッカラーズの自伝的なこの小説を、ちょうどインフルエンザで寝込んでいたときに、村上春樹新訳版で読んだ。熱が下がるたび、その合間に休みながら少しずつ読んだ。熱のはざまの朦朧とする時間のうちに、自分のあやふやな時代を思い出していた。
春になってゆく季節を不安に思ったこと。小学校の卒業式で周りの子たちと同じようにはしゃげず、つかめきれない不安が怖かったこと。自分なのに自分じゃないように思ったこと。この世に生まれてくることはみんな修行のためかもと感じた瞬間があって、そのときはどんよりとした夕方に押しつぶされそうだったこと。そう、つまり、きっと村上さんが言う通りなのだ。
いちばん感じたのは、「僕にはとてもこんな小説は書けないな」ということだった。もちろんそれは僕が男の作家だから、ということはある。大いにある。~略~ 女性作家にだって、この小説を読み終えて、「私にはとてもこんな小説は書けない」とため息をつく方は、少なからずいらっしゃるのではないだろうか。それくらいこの小説におけるマッカラーズの筆致の鮮やかさは、見事に際立っている。
その鮮やかさに触発されて、思い出すとも思わなかったいろんな感情が、かつて子供だった自分が抱いた恐怖や焦りや戸惑いが、つい先ほどのことのようにリアルに鮮明にいきなり自分のなかに立ち現れたのではないだろうか。
熱が下がった頭で、しみじみ思った。大人になったとしても、子供時代に抱いた痛みを失う必要はまったくない。痛みを抱くには強くならなくてはいけない。そして強くなった人だけが、本当に優しい人になる。きっとこれも本当なのだろう、と。
※この情報は2016年6月7日時点のものになります。詳細はお問い合わせください。
- TEXT :
- 小澤征良さん 作家
- BY :
- 『Precious7月号』小学館、2016年
- クレジット :
- 撮影/田村昌裕(FREAKS) 文/小澤征良