「ウォッカ・マティーニ、ステアせず、シェイクで」そのドライマティーニを飲んだ瞬間、だれもが戦慄を覚えるに違いない。
体の中心に蒼い炎が走り、鋭利で純粋なアルコールが細胞に染みこんでいく。酔いの感覚が体内の奥底から緩やかにやってくる。イタリアのアマルフィのレモン特有のワックスの効いた強い残り香は、自分の中にある野性的な本能と冷徹な官能を呼び覚ます。ジェームズ・ボンド所縁のドライマティーニが飲みたいなら、創業1908年、ロンドンのセント・ジェームズにあるホテル「デュークス ロンドン」内の「デュークス・バー」に行くしかない。ここは007の原作者イアン・フレミングがかつて愛したバーとして知られている。
しかし、このドライマティーニを特別なものにしているのは、このホテルのマスターバーマン、アレッサンドロ・パラッツィ氏に他ならない。「シンプリシティ」を信条としている彼のドライマティーニは、これ以上はあり得ないほどにシンプルだ。
有名なボンドのドライマティーニ
材料はウォッカまたはジン、「デュークス ロンドン」限定のドライヴェルモット、レモン、ただそれだけだ。「ジンになさいますか、それともウォッカに?」
まず、アレッサンドロからドライマティーニに関する究極の質問がある。この質問に対する答え如何で、貴方が真の紳士か否か、露呈してしまう。
ロンドンのみならず世界中から顧客が訪れる
「フレミングがボンドをつくった時代にはすべてに紳士としてのルールがありました。たとえば朝はライトカラーのスーツ、夜はダークカラーのスーツを着用しなければならなかった。カクテルは限られた階層のエリートだけが飲むものであり、労働者階級はパブでビールを飲んでいました。マティーニはドライジンを使用し、シェイクせず、ステアだけ。飲む時間もランチかディナーの前と決まっていました。紳士はディナーの後はヴィンテージポートかコニャックを飲んでいた。このように着こなしから飲食に至るまですべてに規範がありました。フレミングは小説の中で自分の分身であるボンドには敢えてルールを破らせたのです」
こうして例の有名なボンドのドライマティーニが生まれた。
社会の規範が強固であった英国で、今までの常識に囚われず、自分のスタイルを貫くジェームズ・ボンドに当時の読者は喝采を送った。そんな彼の自由で洒脱なスタイルの象徴のひとつがウォッカ・マティーニだった。
さて、正統な英国紳士を気どりジンでいくか、敢えて規範を破ったボンドに倣い、ウォッカでいくのか。
アレッサンドロのつくったメニューには20種類近いドライマティーニと共に彼の言葉が記されている。酒飲みの罪悪感を和らげる「1日1杯のマティーニは医者を遠ざける」で始まるメニューはこの言葉で終わる。「世の中には従うべきルールがすでに多すぎる。だが、あなたのマティーニはそうであってはならない」
- TEXT :
- MEN'S Precious編集部
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- PHOTO :
- Luke Carby
- WRITING :
- 長谷川喜美