歌に生き、恋に生きたひとであった。
観衆を圧倒した「ベルカント」唱法
貧しいギリシア移民の娘としてニューヨークに生まれ、20世紀最高のソプラノ歌手「プリマドンナ アッソルータ(究極のプリマドンナ)」と呼ばれたマリア・カラス。だが『ノルマ』『トスカ』『椿姫』などで知られる、彼女の偉大な声の絶頂期はわずか10年足らずという短いものであった。
幼少の頃からの長きにわたる厳格な訓練、天賦の才能をもってしても、アリストテレス・オナシスと恋に落ちてからの生活の不摂生や、得意とした「劇的」な「ベルカント」唱法を続けた結果、声の寿命を縮めてしまったのだ。
当時はアクロバッティクな歌唱法として敬遠されていた「ベルカント(装飾技巧を入れたドラマティックな唱法)」を好んで演目に入れ、それまで通俗的とされていた「ベルカントオペラ」に、登場人物の心理描写に深く踏み込んだ巧みな演技力で、ドラマティクな見せ場をつくり、観衆を圧倒し、熱狂させた。ヴィスコンティやゼッフィレッリなどの強力な後押しもあったが、ベルカントオペラを芸術の域に高め、それまで廃れていた『メディア』や『ランメルモールのルチア』などが本格的に復活したのも、マリアの登場があってこそである。ベルカントオペラの最高の演じ手であった。
ギリシアの海運王との恋物語
そして、マリアの人生もギリシア悲劇さながらのドラマと陰影に彩られていた。
どれほど名声を得ようとも、光り輝く栄光の傍らには、奈落の縁が黒々と口を開けて待っているという、オペラの激しい場面転換のような人生。幸せに満ちたりた日々のあとには、地獄のような苦しみを味わうことになった。母親や兄弟の裏切りや家族との絶縁、最初の夫メネギーニの金銭にまつわる裏切り、生涯愛し続けたオナシスも、晩年には再び逢瀬を重ねたとはいえ、マリアとの交際中にジャクリーン・ケネディと結婚。マリアは捨てられた女としてパパラッチに付け狙われる羽目に陥った。
とは言え、オナシスはマリアの運命の人であった。彼女の人生をマリア・カラス物語と名付けるならば、彼女を大輪のバラのようにキラキラと輝かせたスポットライトは、ギリシアの海運王アリストテレス・オナシスとの恋物語である。当代きってのプリマドンナと一代で成り上がったモンスターのような大富豪との恋。双方に夫、妻子があったことから、ことさらニュースバリューは大きくなった。
ヴェネチアで催された華やかなパーティで出会ったとき、オナシスはマリアに向かって「我々は世界で最も有名なふたりのギリシア人です」と自己紹介し、マリアが「貴方は何でいちばん有名なのかしら」と答えたと言われる。オナシスと踊ったあとマリアは「彼の感触になぜか魅了されるように思えて、私は心の中で警鐘を鳴らした」と書き留めている(『マリア・カラスという生きかた』音楽之友社)。その宵は、マリアにとって忘れられぬものとなった。オペラ界という嫉妬や確執が渦巻く狭い世界で純粋培養されてきたマリアにとって、初めて接する、開放的でゴージャスな社交界の雰囲気は、この上もなく魅惑的で、あっという間に惹きつけられていた。
オナシスのマリアへの誘惑は、あふれる財力と色恋の手練手管をもってすれば、赤子の手をひねるほど簡単なことであった。当初は、世界的な名声を持つ同郷の既婚の女性を愛人にしたいという、ある意味マリアのブランド力に対する興味だった可能性も大きい。マリアのあらゆる滞在先には「ギリシア人より」とだけ自筆で書かれたカードが付いた赤いバラの花籠が欠かさず送られてくるようになり、それとともに宝飾品やチンチラのコートが送られてくるのに、さほど時間はかからなかった。
だが、ふたりは宿命の恋に落ちてしまった。オナシスは離婚し、マリアも大きい代償を払い離婚した。だが、結婚を望んだマリアに対し、オナシスは首を立てに振らなかった。そして、ジャクリーンにプロポーズ。
「オナシスなしでは、私はつまらない人間です。私が女になるのは彼の目の中でだけ」(『マリア・カラスという生きかた』音楽之友社)。筆舌に尽くしがたい辛酸をなめさせたと同時に、天にものぼる幸福感を与えたオナシスは、歌姫としての人生だけであったマリアに、女としての喜びと悲しみを与えた存在だったと言えよう。
比類なき才能と情熱的な恋に生きた伝説のディーバ。今もなお、私たちの心を惹きつけてやまないのは、その声に秘められた喜びや悲しみ、幸せを追い求めた切なさが永遠の命となって、心を揺さぶるからではないのだろうか。
- TEXT :
- 藤岡篤子さん ファッションジャーナリスト
- BY :
- 出典/『マリア・カラスという生きかた』著=アン・エドワーズ 岸 純信=訳 音楽之友社
- クレジット :
- 文/藤岡篤子 構成/吉川 純