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市谷加賀町の場所は?「最寄り駅」と「地図」
市谷加賀町があるのは新宿区。市谷加賀町1丁目と2丁目があります。東側の市谷加賀町1丁目には、台地に入り組む谷地沿いに大日本印刷の工場などがあります。市谷加賀町の南側には防衛省があり、スケールの大きな建物に囲まれているエリアです。
市谷加賀町の「最寄り駅」
市谷加賀町内には駅はありません。最寄り駅は、原町にある都営大江戸線の牛込柳町駅。そこから徒歩で6分程度です。JR中央・総武線、東京メトロ南北線・有楽町線などが利用できる市ケ谷駅は、徒歩11分程度の距離にあります。
市谷加賀町の西を通る外苑東通り沿いには頻繁に都営バスも通っているので、そこから新宿駅や渋谷駅に出ることもできます。
市谷加賀町の「地図」
神山町の「歴史」と「由来」
市谷加賀町の「歴史」
市谷加賀町2丁目で、4千年から5千年前の縄文人の骨や土器が発見されました。ここには、古くから集落があったそう。江戸時代になると、市谷周辺には多くの武家屋敷がつくられました。この周辺には、今でも寺や神社、歴史的な由来をもつ町名や坂がたくさん残っています。市谷加賀町のお隣、市谷本村町にある防衛省は尾張徳川家の上屋敷でした。
市谷加賀町の「由来」
江戸時代に、この地域に加賀屋敷があったことが由来です。加賀屋敷は寛永18年(1641年)に加賀国金沢藩の清泰院に下賜された屋敷の俗称です。清泰院とは、加賀百万石金沢藩主・前田光高に嫁いだ水戸藩主・徳川頼房の娘のこと。明治4年にひとつの町となり、以来町名は変わっていません。
市谷加賀町の「魅力」
■1:大日本印刷を中心に緑地が広がる
市谷加賀町1丁目には大日本印刷の本社があります。その周りには大日本印刷の再開発により、「市谷の杜」という四季豊かな緑地ができました。敷地内には、本作りの文化施設「市谷の杜 本と活字館」があります。印刷、製本までのプロセスを展示し、参加型ワークショップなども行っています。
■2: 歴史や文化のある街並み
市谷加賀町は、民俗学者柳田國男(1875~1962年)が20年ほど過ごしていたという地域です。柳田國男は、 農商務省の官僚となったあと、大審院判事柳田直平の養嗣子となり、市谷加賀町に入居しました。そして、 初期三部作『後狩詞記』『石神問答』『遠野物語』を著しました。江戸時代から歴史をもつこの周辺地域には多くの文人が暮らしていたといいます。
■3:南傾斜地で街区も規制され整った街並み
このエリアは直行の道路基盤をもち、整った街並みが広がっています。南傾斜地なので日当たりも良好。エリアの西側は敷地分割が進み、戸建て住宅や低層マンションが建ち並んでいます。全体的に、広く開放的な街並みです。
和テイストの建物やマンションなどが多く、江戸時代にあったお屋敷町の雰囲気を感じることができる市谷加賀町。市ケ谷駅が利用できるので交通アクセスもよく、暮らしやすい場所といえるでしょう。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- AC,EIKO YANAGIBORI
- WRITING :
- 柳堀栄子