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プロフィール


名前:ロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro)

出生地:アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク市

生年月日:1943年8月17日

1965年に端役でスクリーンデビュー。1974年公開の『ゴッドファーザー PART II』、1976年公開の『タクシードライバー』、1978年公開の『ディア・ハンター』、1980年公開の『レイジング・ブル』など、多くの映画に出演。アカデミー賞やゴールデングローブ賞など権威ある賞を複数回受賞しているほか、トライベッカ映画祭の創設にも関わっている。2016年には、大統領自由勲章を授与された。

私生活では、1976年に女優のダイアン・アボットと結婚。ふたりの間にもうけた息子に加え、ダイアンの連れ子である娘を養子に迎えたが、1988年に離婚。1995年には、モデルのタウキー・スミスとの間に婚外子として双子の男女が誕生している。1997年に女優のグレイス・ハイタワーと再婚し、息子と娘をもうけたが、破局・復縁を経たのち2018年に離婚したと報じられた。

「若いころ」「昔」の写真10選

まずは、ロバート・デ・ニーロの若かりしころの写真を10枚厳選してピックアップ。

1981年ごろ(38歳ごろ)リオデジャネイロにて撮影

1984年ごろ(41歳ごろ)メリル・ストリープとのツーショット

1989年9月(46歳)ロマン・ポランスキーとのツーショット

1991年5月(47歳)第44回カンヌ国際映画祭

1995年3月(51歳)アル・パチーノとのツーショット

1998年2月(54歳)ベルリン国際映画祭

2000年10月(57歳)ジョルジオ・アルマーニとのツーショット

2001年12月(58歳)ニューヨークで開催されたディナーイベント

2002年5月(58歳)第1回トライベッカ映画祭

トライベッカ映画祭は、ロバート・デ・ニーロ、ジェーン・ローゼンタール、クレイグ・ハトコフによって創設された映画祭。前年の2001年9月に発生したアメリカ同時多発テロ事件で甚大な被害を受けたニューヨークの復興を願い、インディペンデント映画を多くの観客に届けることを目的としている。
トライベッカ映画祭は、ロバート・デ・ニーロ、ジェーン・ローゼンタール、クレイグ・ハトコフによって創設された映画祭。前年の2001年9月に発生したアメリカ同時多発テロ事件で甚大な被害を受けたニューヨークの復興を願い、インディペンデント映画を多くの観客に届けることを目的としている。

2003年6月(59歳)アメリカン・フィルム・インスティチュートの講演

「映画」代表作10選

続いて、ロバート・デ・ニーロが出演した主な映画を10タイトル、写真つきで解説します。

『ゴッドファーザー PART II』(1974年)

人気映画シリーズの第2弾で、マフィアのボスとして権力を拡大していくドン・ヴィトー・コルレオーネを演じた。本作での演技は高く評価され、アカデミー賞・助演男優賞を受賞した。

あらすじ:マフィアとして生きる父と息子、ふたりの視点が同時進行で語られる構成。父ヴィトーの跡を継ぎ、コルレオーネファミリーのボスとなったマイケル(アル・パチーノ)。ファミリーを守るために戦うが、マイケルの想いもむなしく、マフィアの抗争に巻き込まれていく。

『タクシードライバー』(1976年)

ベトナム戦争から帰還した元軍人、トラヴィス・ビックルを演じた。本作は第29回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールに選出され、デ・ニーロもアカデミー賞・英国アカデミー賞・ゴールデングローブ賞でそれぞれ主演男優賞にノミネートされた。

あらすじ:戦争によって重度の不眠症を患い、なかなか定職に就けないトラヴィス。なんとかタクシー会社の運転手として働くことになったものの、会社になじめず生活も荒れていた。ある日、選挙事務員として働くベッツィー(シビル・シェパード)と出会うが、これが彼の人生を大きく変えるきっかけとなる。

『ニューヨーク・ニューヨーク』(1977年)

太平洋戦争から復員したサックス奏者、ジミー・ドイルを演じた。本作のテーマ曲は主演のライザ・ミネリが歌い、のちにミネリの友人であるフランク・シナトラがカバーして大ヒットとなった。

あらすじ:太平洋戦争終結によって復員し、再びサックス奏者に戻ったジミー。偶然立ち寄ったパーティーで出会った美しき歌手・フランシーヌ(ライザ・ミネリ)に一目惚れし猛アタック。やがてジミーとフランシーヌは同じ楽団に所属するが、気が短くプライドが高いジミーの性格が災いし、ふたりの運命は大きく変わっていく。

『ディア・ハンター』(1978年)

ベトナム戦争を基に描いた作品で、ペンシルベニア州の製鉄所で働くロシア系移民、マイケルを演じた。本作はアカデミー賞やニューヨーク映画批評家協会賞で作品賞を受賞したが、ベトナムや共産主義国からは批判された。

あらすじ:ベトナム戦争への召集が決まったマイケル、ニック(クリストファー・ウォーケン)、スティーブン(ジョン・サヴェージ)の壮行会が行われる。ニックとスティーブンは婚約者を残して戦地に駆り出されることとなった。無事に帰還することを願った3人だが、現地でベトナム人民軍に捕らえられてしまう。

『レイジング・ブル』(1980年)

実在のプロボクサー、ジェイク・ラモッタを演じた。本作は非常に高く評価され、多くの権威ある賞を受賞。デ・ニーロ自身も、アカデミー賞とゴールデングローブ賞で主演男優賞を受賞した。

あらすじ:コメディアンとして活躍していたジェイクは、かつてミドル級で世界王者に輝いた元プロボクサーであった。デビュー戦以降、無敵とまで言われた彼も、初めて“判定負け”の屈辱を味わう。荒んだ生活を送るなか、当時15歳だったビッキー(キャシー・モリアーティ)との出会いが、彼の運命をさらに変えることとなる。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)

1920年代のニューヨークに住むユダヤ系移民、ヌードルスを演じた。本作は、セルジオ・レオーネ監督の代表作かつ遺作としても知られる。

あらすじ:ヌードルスは、仲間と共謀して酔っ払い相手にスリを決行するが、マックス(ジェームズ・ウッズ)に妨害され失敗に終わる。ヌードルスとマックスは対立するが、やがて友情を築くことになる。その後、殺人罪での服役を終え出所したヌードルスの前に現れたのは、勢力を拡大したマックスだった。

『ミッドナイト・ラン』(1988年)

ゴールデングローブ賞のミュージカル・コメディ部門で作品賞・主演男優賞にノミネートされた人気作品。賞金稼ぎとして生きる元刑事、ジャック・ウォルシュを演じた。

あらすじ:麻薬王の恨みを買い冤罪を着せられた元刑事・ジャックは、賞金稼ぎで生計を立てていた。ある日、ジャックは保釈後に逃走した横領犯・ジョナサン(チャールズ・グローディン)の捜索を依頼される。横領の“被害者”であるマフィア・セラノ(デニス・ファリーナ)がジョナサンの命を狙っていることを、ジャックはまだ知らなかった。

『ケープ・フィアー』(1991年)

1962年公開の『恐怖の岬』のリメイク。弁護士への復讐に燃える暴行犯、マックス・ケイディを演じた。

あらすじ:14年前、少女に暴行を加えたとして有罪判決を受け服役し、晴れて出所したマックス。彼の精神は、公選弁護人のサム(ニック・ノルディ)に対する復讐心で満ち溢れていた。サムと家族に嫌がらせを始めたマックスは、やがて嫌がらせ程度では済まない凶悪な行為に及んでしまう。

『アナライズ・ミー』(1999年)

ロサンゼルスで行われたプレミア上映会に出席するビリー・クリスタル、リサ・クドロー、ロバート・デ・ニーロ。
ロサンゼルスで行われたプレミア上映会に出席するビリー・クリスタル、リサ・クドロー、ロバート・デ・ニーロ。

ニューヨークを拠点とするマフィア、ポール・ヴィッティを演じた。共演相手のビリー・クリスタルは、製作総指揮としても関わっている。2002年には、続編となる『アナライズ・ユー』が公開された。

あらすじ:ニューヨークで名を馳せるマフィアのポールは、プリモ(チャズ・パルミンテリ)との対決直前にパニック障害を発症。精神科医・ベン(ビリー・クリスタル)が主治医となるが、わがまま放題のポールのせいで結婚式まで台無しにされてしまう。そんな状況下でも、ベンはポールの病の原因を突き止める。

『世界にひとつのプレイブック』(2012年)

第37回トロント国際映画祭で行われたプレミア上映会に出席するロバート・デ・ニーロ、ブラッドリー・クーパー、デヴィッド・O・ラッセル監督。
第37回トロント国際映画祭で行われたプレミア上映会に出席するロバート・デ・ニーロ、ブラッドリー・クーパー、デヴィッド・O・ラッセル監督。

マシュー・クイックによる同名の小説が原作。ブラッドリー・クーパー演じる主人公パットことパットリック・ソリターノ・ジュニアの父、パットリック・ソリターノ・シニアを演じた。

あらすじ:躁うつ病を患い、8か月間の入院生活を送っていた高校教師・パット。自宅で妻ニッキー(ブレア・ビー)と同僚教師の不倫現場を目撃したショックから、浮気相手に暴行を加えてしまう。パットは再び措置入院となり、ニッキーへの接近禁止令が原因で離婚。しかし、パットはニッキーのことを諦めきれなかった。

「元妻/子ども」の写真10選

ロバート・デ・ニーロは2回の結婚歴があります。最初の妻は、1976年に結婚した女優のダイアン・アボット。長男ラファエルをもうけたほか、ダイアンの連れ子であるドレナを養子に迎えましたが、1988年に離婚しました。

ふたりめの妻は、1997年に結婚した女優のグレイス・ハイタワー。長男エリオットをもうけた直後の1999年に一度別れたものの離婚はせず、復縁後の2011年に娘が誕生。しかし、2018年に離婚が報じられました。1995年には、当時交際していたモデルのタウキー・スミスとの間に婚外子として双子の男女をもうけています。ここで、ロバート・デ・ニーロと元妻ふたり、そして女優として活躍している養子ドレナとの写真をご紹介します。

1975年ごろ 最初の妻ダイアン・アボット

1976年ごろ ロサンゼルスでのデート中

2002年 ダイアンの連れ子である養子のドレナ・デ・ニーロ

トライベッカ映画祭期間中のパーティーに親子で出席。
トライベッカ映画祭期間中のパーティーに親子で出席。

2015年11月 第19回ハリウッド映画賞の授賞式

2017年4月 ディナーパーティーにドレナと出席

2012年1月 ふたりめの妻グレイス・ハイタワー

2012年5月 ロンドンで行われたイベントに夫婦で出席

2013年2月 カメラの前でキスを交わす光景

2015年4月 トライベッカ映画祭でのパーティー

2018年6月 第72回トニー賞の授賞式

この年にふたりの夫婦関係は破綻し、離婚協議に入った。
この年にふたりの夫婦関係は破綻し、離婚協議に入った。

「男前遍歴」10選

若き日々から近年に至るまでのロバート・デ・ニーロの男前遍歴を、10枚の写真にまとめました。

1980年ごろ(37歳ごろ)ニューヨークにて撮影

1991年5月(47歳)第44回カンヌ国際映画祭

1995年9月(52歳)ドーヴィル・アメリカ映画祭

2000年11月(57歳)『ザ・ダイバー』より

2001年10月(58歳)ゴッサム・インディペンデント映画賞の授賞式

2004年5月(60歳)第3回トライベッカ映画祭のオープニングイベント

2009年4月(65歳)第8回トライベッカ映画祭

2010年10月(67歳)『昼下がり、ローマの恋』のキャスト発表時

2015年6月(71歳)スパイク・ガイズ・チョイス・アワードの授賞式

2020年2月(76歳)インディペンデント・スピリット賞の授賞式

「現在」の写真10選

最後は、ロバート・デ・ニーロの現在の姿をとらえた写真10枚で締めくくります。2022年は、『アムステルダム』『Savage Salvation(日本では未公開)』に出演。2023年には『キラーズ・オブ・ザ・フラワー・ムーン(原題)』が公開予定となっており、現在もベテラン俳優として精力的に活動しています。

2022年6月(78歳)『ゴッドファーザー』公開50周年記念上映会

2022年6月(78歳)『ヒート』プレミア上映会

1995年にロバート・デ・ニーロとアル・パチーノが出演した同名映画の続編として製作された。
1995年にロバート・デ・ニーロとアル・パチーノが出演した同名映画の続編として製作された。

2022年6月(78歳)ロンドンのホテルで行われた鏡開き

左からノブ・マツヒサこと松久信幸、ロバート・デ・ニーロ、イアン・リビングストン。松久は、世界各地でレストランやホテルを経営するシェフ・実業家。
左からノブ・マツヒサこと松久信幸、ロバート・デ・ニーロ、イアン・リビングストン。松久は、世界各地でレストランやホテルを経営するシェフ・実業家。

2022年7月(78歳)ビリー・クリスタルとのツーショット

2022年9月(79歳)『アムステルダム』プレミア上映会

2022年9月(79歳)メリル・ストリープとのツーショット

2022年9月(79歳)テキサス大学オースティン校でのスピーチ

2022年11月(79歳)ブロードウェイ『ピアノ・レッスン』の舞台裏

左からジョン・デヴィッド・ワシントン、ダニエル・ブルックス、サミュエル・L・ジャクソン、ロバート・デ・ニーロ。
左からジョン・デヴィッド・ワシントン、ダニエル・ブルックス、サミュエル・L・ジャクソン、ロバート・デ・ニーロ。

2022年11月(79歳)『Savage Salvation』プレミア上映会

2022年11月(79歳)メドウ・ウィリアムズ、ミラー・ガーフィンケルと共に

この記事の執筆者
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