往生際悪く、いつまでもアマルのアラ探し?
長らく“独身主義者”を名乗ってきたジョージ・クルーニーが、あっさり結婚してしまった時、じつは私自身かなりのファンであったから、思い切り裏切られたような気持ちになった。“推し”の結婚に際して陥る「ロス」の心理状態が、初めて理解できたし、もっと言えば、生まれて初めて人の結婚にケチをつけてたくなったほど。
しかしそういう時に、結婚相手が”ケチのつけようのない相手“だった時の、二重の悔しさ虚しさもその時体験した。
もはや説明するまでもないけれど、ジョージ・クルーニーが信念を曲げてまで生涯を共にしようと思ったのは、レバノン生まれの有能な弁護士。アマル・クルーニー。オックスフォード大学とニューヨーク大学で法律を学んだ国際法と人権の専門家。しかもそのキャリアが信じられないほど、美しくエレガントな女性である。
正直、結婚してしまってからも、私はバッカみたいだけれど、その人のアラを探した。実際にこんな論調の報道も存在した……人権弁護士と言ったって、彼女もハイブランドのドレスに目がない“出たがり”ではないかと。結婚当初はウルトラミニのドレスが好きな微妙な服選びなど、上品なイメージを裏切る部分もあって、それにジョージ・クルーニーも辟易しているのではないかと。
でもそんなアラ探しは徒労に終わる。そういった奇抜なオシャレにも、当の夫は「彼女ってクレイジーだろ?」と、死ぬほど自慢の妻を見つめながら、嬉しそうに笑う。実際に今もアマルは、その仕事ぶりよりもファッション好きパーティー好きで 取り上げられる方が多いが、そういう報道にも本人は怒りを見せたりはしない。「私は人間として“型”にはめられるのが嫌い。弁護士が愉快な人間であったって構わないでしょ?」と語っており、まさにグウの音も出ない、そうした二面性も含めて、何もかも持っている完璧な人なのだ。
ケチをつけられないどころか、もはやひれ伏すしかない人……だからこそ、ジョージ・クルーニーと出会った時、35歳でよくもまぁ未婚のまま、しかもフリーのままでいたものと、それが奇跡的にも思えるほどだった。
30カ月以上は続かなかった、ジョージ・クルーニーの奇妙な女性遍歴
つまりそれは運命だったのだ。2人の出会いは共通の友人による紹介であったと言うが、二人が間違いなく恋に落ちることを、友達とは言え完全に想定していたからこそ、ジョージ・クルーニーが両親とともに過ごす別荘にアマルを連れて行くという、特別な紹介となったのだろう。当然のように泊まりがけ、だから一晩中語り合ったというが、話が深まれば深まるほど、アマルがジョージにとって、理想も理想の女性であり、独身主義も返上するほど虜になることまで、その友人は知っていたのだろう。
ジョージ・クルーニーはもともと一風変わった女性遍歴を見せてきた。28歳の時、日本じゃ無名の女優タリア・バルサムと4年間の結婚した後は、もう結婚はしないと語り、何人もの女性と短い交際を繰り返している。例えばレストランのウェイトレスをしていた女性が2人いて、うち1人は法律を学ぶ学生だったが、その出会いがレストランであったなら、安易なナンパから始まる交際が多いように見えることもいとわないわけで、それはそういうところで見栄を張らないジョージ・クルーニーのオープンな人柄を表す遍歴でもある。他にもプロレスのディーバやリアリティー番組のパーソナリティーとの交際もあった。
その独特な人選は、彼が典型的なハリウッド・セレブでありながら、ありきたりではない別の世界を求めていることを物語った。
いずれにせよ、どんな相手とも30ヵ月以上は続かないとされたのも、交際が深まってきたところで“結婚できないことに業を煮やした女性が離れていくというスタイル。そのうち何人かとは、別れたり寄りを戻したりを繰り返したが、それも女性の方から別れを切り出しても、やっぱりまた会いたくなると言う、そうしたパターンが繰り返されたからではなかったか。
やがては結婚恐怖症か、さもなければ同性愛者かという噂が出てしまう。
才色兼備にもほどがある女性との結婚は、やっぱり男の見栄か?
そんな中でのアマルとの出会い。今までのようなダラダラした交際期間はなく、瞬く間に婚約まで至ってしまう。出会った瞬間、彼女こそ共に生きていくべき人生のパートナーであると悟ったわけだ。
もちろん世の中は、こう考えた。「やっぱりねえ、才色兼備にもほどがあるこういう女性なら結婚まで行ってしまうのねえ」と。これまで、彼との結婚を望んで叶わなかった女性たちは、まさに裏切られた気持ちだっただろう。「美貌なら私だって負けないのに、社会的地位の高い女ならいいって、それはやっぱり男の見栄?」そう思ったかもしれないのだ。
でもそれ、少し違う。アマルがあくまでも"人権弁護士"だったことこそがジョージ・クルーニーにとってたまらない魅力だったはずなのだ。
あの時、離婚が増えたのは、正義感の有無が夫婦を決定的に分けてしまうから
東日本大震災の時に、離婚する夫婦が少なくなかったのは、パートナーとの大きな価値観の違いにその時初めて気がついたから……そんなふうに言われる。人として最も大きな価値観の違いとは、“正義感の有無”だからなのだ。
それこそ日常生活の中では、一人ひとりの正義感はさほど問われないけれど、未曾有の災害などがあった時こそ、自分以外の人間をいかに思いやれるか、そうした心の奥底にある正義感が試されることになる。いい人だと思っていた伴侶が、実は自分のことしか考えないタイプの人間だと知ってしまった時、一緒に生きていく意味を見失って、離婚に至る夫婦が少なくなかったということなのである。
まさに正義感が有るのか無いのか、それは職業にも年齢にも人種にも関係なく、人間を二分してしまう。そこが違うと、決定的に相入れない。少なくとも正義感のある人間は、正義感のない人間とは一緒に生きていけないのだ。
実は筋金入りの人道活動家であったジョージ・クルーニー
話を元に戻して、ハリウッド・セレブの多くは大なり小なり皆チャリティーに熱心だから、特別目立っては見えないが、ジョージ・クルーニーは実にところ無類の社会派。特に人道的活動には目を見張るものがある。アマルとの出会いの前から、単なる発言だけでなく、大量虐殺の問題などで実際に活動を重ねてきた。
また熱心な民主党の支持者としても知られ、先ごろもバイデン大統領に出馬を断念するよう進言したことが、大きなニュースとなった。それも友人だからこそ、またこれまで地道に政治的な活動を積み重ねてきたからこそできる発言だったはず。
華やかなセレブの顔もある一方で、実は硬派な活動家なのだ。そういう人が人権問題でこれまで数々の功績を残している真の正義派弁護士としてアマルと出会うのだから、それは運命を感じたどころか、神の啓示にも思えたに違いないのだ。
そしてアマルも、ステイタスより正義感から弁護士になった人
アマルは、大学卒業後に超一流法律事務に就職し、有名なクライアントを数多く抱える一方で、刑事事件などの無料弁護も引き受けてきた。そして自ら、巨額な報酬が得られる案件より、無報酬の事件のほうに意識が向くと語っている。実際に周囲が驚くほどの低収入の仕事も自ら望んでやったともいうし、危険を伴うようなテロ犯罪の調査にも積極的に関わっている。実に勇敢で懐の大きい女性なのだ。
内戦中のレバノンに生まれ、母親は政治ジャーナリストという生い立ちも大きく影響しているのだろう。弁護士をめざした理由もステイタスを求めてのものではなかったはず。体の中に社会性が宿っている人なのだ。
現在、コロンビア大学のロースクールで人権問題を教える立場にもあるのは、その分野では誰もが一目置く存在である証。ハリウッド女優顔負けのゴージャスな美貌と,仕事の実績はどこから見ても結びつかないが、彼女のウィキペディアを覗けば、関わった事件の事例と自ら書いた著書の内容が延々と続く。単に有名なだけではない、また単に大成功した高収入の弁護士ではないのである。
歴史的にもめったにない崇高な結婚?
そういう2人の出会いはある種、崇高なものだったというべきだろう。ジョージ・クルーニーも、もしもアマルが単に"ゴージャスな美人弁護士"だったとしたら、結婚まではしなかったかもしれない。筋金入りの正義感を持っているからこそ、共に生きていきたいと考えた。誰かのため、世のため人のために自分の才能を使いたいという、志を同じくする“似たもの同士”で。その結果生まれたのが、夫婦で立ち上げた「正義のためのクルーニー財団」。そんなふうに、2人して一緒に“人としての高み”に上がれる夫婦は、歴史的にもそうは現れない。
そこまでの素晴らしい結婚だったのだと、年数を重ねるほどにしみじみと感服せざるを得ない。あの時「独身主義者だって言ったじゃない?」なんて、多少とも恨んだりしてごめんなさい。やはりこの人たち、単なるセレブ・カップルとは次元の違う、不世出のベスト・カップルなのである。別れたりしたら許さない。
- TEXT :
- 齋藤 薫さん 美容ジャーナリスト
- PHOTO :
- Getty Images
- WRITING :
- 齋藤薫
- EDIT :
- 三井三奈子