【目次】

【前回のあらすじ】

「好きだからさ!」――蔦重(横浜流星さん)に放った歌麿(染谷将太さん)のこのひと言――筆者は早とちりして「えええ~っ、歌麿ついに蔦重に告白!?」と心臓がバクバクしました。蔦重の妻・てい(橋本愛さん)の気持ちを代弁しての台詞なのですが、「世の中、好かれたくて、役に立ちたくて、てめぇを投げ出す奴がいんだよ、そういう尽くし方をしちまう奴がいんだよ。いい加減わかれよ、このべらぼうが!」いやいや、これはまさに、ていを代弁する体(てい)で告白してますよね。

残すところあと2話という第46回放送に大勢の前で本音をぶちまけ(その真意が伝わったかはさておき)、かたくなに蔦重を拒否っていた歌麿の気持ちもほどけ、ふたりの仲違いも雪解け。下絵を預かっていた「歌撰恋之部(かせんこいのぶ)」の仕上がり具合を前に「どうだった…色、とか」とおずおずと尋ねる蔦重、目元口元をほころばせながら「彫りも摺りも、俺が指図したのかと思ったよ」と歌麿、安心してうれしそうな蔦重。このやり取りを見守る、ていのオトナなことといったら!

さて、前々回の第45話「その名は写楽」で、『べらぼう』での謎の絵師・写楽はチーム制作であると判明しました。しかも「平賀源内が描きそうな役者絵をつくる」という使命をもって。当時活躍していた絵師や戯作者がアイデアをもち寄り、描きますが、蔦重の鬼のダメ出しが続きましたね。「コレ!」という確固たるビジョンが示されないままダメ出しされ続けるつらさって…経験ありませんか?

第45話より。(C)NHK
第45話より。(C)NHK

そして、蔦重が答えを見つけたのは、やはり歌麿の絵なのでした。「婦人相学十躰」でリアルすぎて反故にされたあの絵のことをもち出し、今度はあのくらい顔の特徴を際立たせて役者を描いてほしい、というわけです。先生方総動員のドリームチームに歌麿という最後のピースがはまり、“謎の絵師・写楽”がようやく誕生と相成りました。

『べらぼう』でどのように写楽の役者絵が完成していったのか。ここにも蔦重の仕事人としての勘やひらめきが生きています。それはドリームチーム総出で芝居の稽古を見学し、各々が描いた絵から、目は政美の、あごは重政、眉は…というように、パズルのように絵を組み立てるというもの。そしてのちに写楽を代表する作となる「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」の、懐から出した小さな手、迫ってくるような大きな顔といった描写は、勝川春朗(くっきー!さん)の「ド~ン、キュッキュ」が決め手でした。

そもそもこの役者絵は「謎の絵師、写楽は平賀源内」というウソの噂を流すための商品。蘭画を習得していた源内ですから、この浮世絵にも蘭画風を取り入れたいところです。

当時の浮世絵は平面表現であった一方、蘭画をはじめとする西洋画には、近くのものは大きく、遠くのものは小さくという遠近法が用いられていました。「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」は、顔の大きさに対してパッと開いた手が小さいといわれますが、まさにこれが蘭画風の「ド~ン、キュッキュ」だったのです。あえて手を小さく描いて顔がぬっと突き出ているように見せ、江戸兵衛が「金を出せ!」と迫る様子に、さらなるリアリティを加えたというわけ。史実をベースにドラマ化するというおもしろさ、醍醐味に満ちたシーンでしたね。

三代目大谷鬼次の江戸兵衛 出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム)(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-471?locale=ja)
三代目大谷鬼次の江戸兵衛 出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム)(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-471?locale=ja)

しかも、「東洲斎写楽」という画号の名付け親はなんと松平定信(井上祐貴さん)。仕上がった絵を見て、これは江戸の誉だとご満悦で、「江戸」を意味する「東洲」を用いて「名に東洲斎を付けよ」というわけです。最終盤に来てのさまざまな伏線回収と共に、脚本のオリジナリティに改めて平伏なのでした。

さて、一橋治済(生田斗真さん)の恐ろしさのバロメーターは、今回で振り切ったのでしょうか。つぶれた浄瑠璃小屋に源内が潜んでいるとおびき出すつもりが、毒まんじゅうで逆転された…かに見えて、最後に登場したあの男はいったい誰!? 本当にあと2話で終わるの? 大丈夫『べらぼう』!?


【時代を写す浮世絵の本領発揮!「役者絵」はこうして描かれた】

前回の第46回「曽我祭の変」で異彩を放ったのは、「ぐにゃ富」こと歌舞伎役者の中山富三郎。この女形を演じた坂口涼太郎さんが、写楽が描いた「初代中山富三郎の宮城野」にあまりにも似ていて、写楽が坂口さんを見て描いたかと思うほどでした。坂口涼太郎さんといえば、姿も演技も独特で超個性的な役者さん。まさに「ぐにゃ富」にぴったりでしたね。

初代中山富三郎の宮城野 出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム( https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-484?locale=ja)
初代中山富三郎の宮城野 出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム( https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-484?locale=ja)

さて、浮世絵の二大ジャンルといえば、「美人画」と「役者絵」です。役者絵は「歌舞伎絵」とも呼ばれ、芝居小屋で上演される歌舞伎の演目にちなんだもの。蔦重がプロデュースした写楽の役者絵は、歌麿の美人画と同じく無背景の大首絵(上半身を描いたもの)でしたが、そもそも役者絵は芝居のワンシーンを描くのが常でした。映画『国宝』の大ヒットにより歌舞伎自体にも関心が集まっている今、「江戸の役者絵」についての雑学をお届けしましょう。

■菱川師宣の「見返り美人」の時代は舞台全体を

“浮世絵の祖”と呼ばれる絵師・菱川師宣(ひしかわもろのぶ/1618?~94年)の時代から、浮世絵の二大ジャンルは「美人画」と「役者絵」でした。師宣が生きたのは17世紀ですから、蔦重たちが江戸の出版界を賑わせていたころから100年ほど前のこと。

見返り美人図 出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム (https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-60?locale=ja)
見返り美人図 出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム (https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-60?locale=ja)

そのころの役者絵は舞台全体を描くもので、肉筆画、あるいは版本を中心に制作されました。木版画の浮世絵は庶民の楽しみのためのものでしたが、肉筆画は制作費用も高額になるため受注製作。歌舞伎の舞台とそれを楽しむ人々を描いた、風俗画のようなものでした。

■小屋の看板は破棄されても、一枚絵はお茶の間へ

大坂の女形役者だった父と共に江戸に下ってきたのが、絵師の鳥居清信(1664~1729年)。芝居小屋の看板制作を家業とした鳥居派の初代ですが、なんとその系譜は今も続いています。現在の歌舞伎座の看板絵は、9代目当主となる鳥居清光さんによるものなんですよ。

江戸時代の小屋の看板絵は興業が終われば捨てられてしまうものでしたが、看板制作の一方で鳥居派は一枚物の役者絵も手掛けていました。この大量生産できる木版画の役者絵は、気軽な浮世絵としてお茶の間で楽しまれました。

また、演目が変わればすぐに新作が制作され、興業中に人気の役者やシーンはどんどん商品化されました。このスピード感は現代のSNS投稿に似ているかもしれませんね。人気が出れば多くの絵師に描かれるので、役者にとっても励みになったに違いありません。評判や公演日程に合わせて急いでつくり、安い値で庶民に届けるために「細判(ほそばん)」という小さな判型でも制作されました。

■北斎の師匠・勝川春章が「役者絵」を似顔絵に

前回放送ではいい仕事をした勝川春朗(のちの北斎)。その師匠である勝川春章(1726~92年)は、役者を似顔(にがお)で描くことを本格的に始めた絵師です。それまでの画一化された役者絵とは方向性を異にしました。しかも、多色摺り木版画である錦絵が役者絵には普及していなかったなか、春章は細判でもフルカラーの錦絵にこだわり、役者ファンは多少高価でも「推しの素敵な絵なら…」と買い求めたのです。春章以降、役者絵は似顔で描かれることになり、“似てはいても美化される”ことが役者本人もファンも喜ぶ、商品価値の高い浮世絵でした。

それに反して蔦重が仕掛けたのは、役者の顔の特徴や表情をデフォルメし、歌舞伎を知らない人にも絵としておもしろがってもらえる品。芝居小屋に行かずともお茶の間で楽しめるこの役者絵を、「謎の絵師・東洲斎写楽」を用いて勝負をかけ、見事大当たり!…と言いたいところですが、実はそうでもなかったのです。歌舞伎の素人にはおおいにウケた写楽の役者絵ですが、「ぐにゃ富」のように、役者本人や役者ファンには不評だったよう。

それが証拠に、28図でデビューした写楽も、以後この手の役者絵はトーンダウンし、全身像や背景入りのキメポーズなど、従来型の役者絵を描いています。写楽のこの飛び切りべらぼうな役者絵の評価が高まったのは、近代になってからのことなのです。

■ギリシャに写楽の肉筆画が!

寛政6(1794)年5月。都座『花菖蒲文禄曽我(はなあやめぶんろくそが)』、桐座『敵討乗合話(かたきうちのりやいばなし)』、そして河原崎座『恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)』に取材した28図で衝撃のデビューを果たしたものの、たった10か月でその画業を終えた…と思われてきた写楽。

ところが、ギリシャのコルフ島にある国立コルフ・アジア美術館で、2008年に日本の研究者が行った学術調査により、写楽による肉筆の扇面画が発見されたのです。これは写楽が活動を終えたとされていたのちの、寛政7(1795)年5月に描かれたものとみられ、従来の写楽研究に衝撃を与えました。写楽の正体が誰であれ、あるいは誰でもないチーム制作であれ、どのような経緯で描かれたものなのか——? ちなみに、この扇面画に「蔦重」の落款(らっかん)はありません。

※現在、写楽は阿波徳島藩のお抱え能役者「斎藤十郎兵衛」である、という説がもっとも有力とされています。


【次回 『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』 第47回「饅頭(まんじゅう)こわい」あらすじ】

定信(井上祐貴さん)や平蔵(中村隼人さん)たちの仇討ち計画は、治済(生田斗真さん)に気付かれる。治済は毒まんじゅうで大崎(映美くららさん)を死に追いやり、定信や蔦重(横浜流星さん)たちも追いつめられる。

(C)NHK
(C)NHK

一時的に店を閉めた蔦重(横浜流星さん)だったが、定信のもとを訪ね、将軍・家斉(城桧吏さん)を巻き込んだ驚きの策を提言する。仇討ち計画は再び動き出し、定信は、体調を崩していた、清水重好(落合モトキさん)の元を訪ねる…。

※『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第46回「曽我祭の変」のNHK ONE配信期間は2025年12日7日(日)午後8:44までです。

この記事の執筆者
美しいものこそ贅沢。新しい時代のラグジュアリー・ファッションマガジン『Precious』の編集部アカウントです。雑誌制作の過程で見つけた美しいもの、楽しいことをご紹介します。
WRITING :
小竹智子
参考資料:『NHK大河ドラマ・ガイド べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~ 完結編』(NHK出版)/『江戸の人気浮世絵師 俗とアートを極めた15人』(幻冬舎新書)/『浮世絵の歴史 美人絵・役者絵の世界』(講談社学術文庫)/『教えてコバチュウ先生! 浮世絵超入門』(小学館)/『浮世絵の歴史』(講談社学術文庫) :