オリンピックに女神降臨。あの平和メッセージを聞いただろうか?
2026年ミラノ・コルティナ冬季オリンピックの開会式。
「平和とは、単に紛争がないことだけを指すのではありません。人種、肌の色、信条、宗教、性別、階級、カースト、その他いかなる社会的背景による違いに関わらず、すべての人が繁栄できる環境を創り出すことです」
これは、反アパルトヘイト(人種隔離)の指導者ネルソン・マンデラ氏の言葉を引用したものだとされるが、なぜこの人がそこにいて、その印象的なスピーチをしたのか? 世界中が息を飲んだはずだ。
凛とした佇まい、毅然とした言葉の運び、そして信じられないほどの美しさ……彼女は一体誰? まるで女神のよう。もう50代だなんて、それこそ奇跡。そういう驚きの声が世界中で湧き上がった。
マライア・キャリーも然りだが、イタリア開催のオリンピックで、イタリア出身ではない世界的なスターがメインの ポジションで複数登場するとのは意外であったが、そこは逆にイタリアのゆとりなのだろう。
「すべての道はローマに通ず」という言葉があるけれど、異なる手段や方法があっても、最終的には同じ目的地や結論にたどり着く、つまりあらゆるものが中心部に向かっているという意味で、だからあえてイタリア人ではない大物を起用したと言うことか?
いずれにしても 、シャーリーズ・セロンがその大役を担った事は、決して不思議なことでは無い。なぜなら彼女は、国連平和大使としての20年近いキャリアがあり、単なるシンボルとしてではない、非常に活動的に積極的に様々な運動に関わっている。
特に、女性への暴力撤廃に関わる運動は有名で、自らが設立した慈善団体を通じて、啓発キャンペーンや資金調達なども行っている。またHIV/エイズ問題にも長く取り組み、アフリカの若者たちへのHIVの予防教育のプロジェクトに取り組んだりもしているのだ。
実は彼女も南アフリカ出身。まさにネルソン・マンデラ氏と同じルーツという関係性もあったのだろうが、アパルトヘイトの国で生まれ育ったことも彼女の強い正義感や、差別に対する嫌悪に大きく影響しているのだろう。生い立ちにおいても、暴力的な父親を母親が殺害すると言う悲惨な経験もしており、そういう意味でも何かこの人には切実な思いがあるに違いない。
こうしたオリンピックの場に出てきても全くもって女神に見えるのはそういう理由もあるのだ。いずれにせよ、平和への願いに100%嘘のない、衒いのないメッセージを語れる、数少ないカリスマの1人であるのは確かなのだ。
ちなみに彼女は2人の養子をとっているが、奇しくも1人はトランスジェンダー。今は完全に、その子を女性として、長女として扱っている。神様はそういう意味でも見事な采配をする。何かこの人は大きな使命を背負った人なのだと思わざるを得ないのである。
ジェス・ベゾスの盛大な結婚式を批判したのはなぜなのか?
以前、「この人はなぜ結婚しないのか?」というテーマで、シャーリーズ・セロンをこのコラムで取り上げたことがある。まだ40代前半だった頃。もちろん現在も独身で、結婚に全く意味を感じないという発言もしている。
かつて結婚をほのめかしていた時も、同性結婚が州で認められるまで自分も結婚しないと言い、結果的に入籍には至らなかった。
自分の結婚と、社会的差別と戦うことが同じ精神性の中で成立する、そういう女性がこの世にいたのだと驚かされたものだった。
しかも最近、大きな話題となったアマゾン創業者ジェフ・ベソスと元キャスターのローレン・チャンティスの豪華すぎる結婚式に対して、苦言を定したことも注目されている。結婚に対する価値観は人それぞれ。他者の結婚式を批判すると言うのはどんな場合であっても避けるものだが、彼女はトランプ大統領の移民性政策を批判する意味で、大統領を支持するジェフ・ペソスの結婚式に参加することが、そうした政策をサポートすることにならないか?とする批判を展開している。反発も恐れずに。
ただ彼女はそれだけを言いたかったのではない。今この喪失感の大きい時代に、なぜあのような馬鹿騒ぎをするのかというニュアンスもあったはず。
世界的なセレブを200名以上招待し、2億ドルをかけた言われる盛大さ。なぜそこまでの結婚式をしなければならなかったのか? 冷静になって考えるとシャーリーズ・セロンの言い分が、何か静かに心の中に染み渡ってくる。苦しみを抱える人がこれほど多い時代は、過去にもなかったかもしれないほど。そんな時代に、この極限的な幸せの誇張を見せられることはやはり相当な違和感だ。平等の国アメリカでこんな格差の象徴のような結婚式があって良いものか、そういう意味だったのだろう。
同じレベルの価値観を共有できる男はなかなかいないから
本当の意味での"平等と平和"を願う思いの強さ、何も恐れない勇敢な発言、鉄の女と言ってもいいほどの意思の強さ。結婚をしないのも、並みの男ではとても太刀打ちできないから、という見方もできる。結婚に興味がないのと同時に、この人に見合う男はまずいない、それが現実なのではないだろうか。
結婚はそういう意味での社会的な価値観が同じでないと、うまくいかない。日常的な価値観以上に、正義感など道徳心の量が同じでないとうまくいかないのだ。
一方で最近は、50代になるこのタイミングに、自分の年齢の半分ほどの20代男性とのワンナイトラブの経験を語ったりしている。それも彼女にとっては、大きな意味の女性差別に対する運動の一環であるとも言われる。
つまり年齢を重ねた女性が能動的に若い男性とそうした関係を結ぶことの素晴らしさと、そういう選択をする権利のようなものを主張したかったのではないだろうか。
人々の平和と平等にここまで本気で人生をかけられる女性はちょっといない。もはやこの人の類稀な美しさについて言葉を尽くすことが、何か恥ずかしくなってくるほど。
しかしオリンピックでのあのワンシーンに、こんなことを考えた。この人は自分の意見をより多くの人に聞いてもらうため、平和をより広く訴えるために、美しくあろうとしてるのではないかと。実際にこの完璧な女性が平和を訴えるから、世界の隅々までそのメッセージが届いたのは間違いないのだから。
それもひとつのルッキズムだと批判する人もいるだろう。しかし、この人は利他のためにこそ美しくある。そして結婚よりもそれが素晴らしいことだと気づいてしまった、全く稀有な人なのである。
もちろんこんな風には生きられない。どうしても自分の幸せを優先してしまうから。でも、だれかのために、社会のために。こういう人生の選択もあること、知っておくべきなのだ。とりわけ、同年代で、同じ時代を共に生きる私たちは。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- Getty Images
- WRITING :
- 齋藤薫
- EDIT :
- 三井三奈子

















