アリスが不思議の国で出会ったのは、にやにや笑うチェシャ猫だ。その猫はアリスの目の前で尻尾から消えていき、最後にはにやにや笑いだけが残り、そして消えていく。「にやにや笑いしない猫ならなんども見たけど」とアリスは思う、「でも、猫のないにやにや笑いなんて!」。小生が大学で映画論の講義を行うとき、毎年引き合いに出す話である。
描写できない不思議な言葉「猫のない笑い」
原文では<a grin without a cat>と表現されているこの“主(あるじ)のないにやにや笑い”は、物語の中でもトップクラスの「不思議」だ。映画や出版物の中で多くの画家やアニメーターがそれを描写しようとしたが、うっすらした口もと以上のものを描いた者はいない。当然の事ながらそれは猫のないにやにや笑いなのであって、すでに眼に見えてはいけない。消えゆく猫ではなくて、消えた猫がそこに存在しなければならないのだ。
アリスとはなんの関係もないが、その点はグッチの新作の猫=アニマリエ モチーフは、姿が確かである。「〔G-タイムレス〕オートマティック ウォッチ」は、似顔絵ではなく猫のイメージ、もっと言えば気配のようなものを、文字盤に呼び寄せたように見える。その点は、はじめて組み合わせたマザー オブ パールが大正解である。乳白色のそのバックグラウンドは、メタルの単色でデッサンされたようなキャットヘッドを、まるで宙に浮いたように見せる。媚びるように“カワイイ”わけではない。グッチの猫は、猫の形をしながら、もっと超越的な存在にも見えるのである。
「〔G-タイムレス〕オートマティック ウォッチ」ゴールドモデル
さらにツイストのかかったゴージャス感を感じるのが、18金ゴールドのモデルである。他愛のない、と思われそうなキャットヘッド モチーフは、高価なマテリアルを経て、本気のステイタスに位相変換する。ありそうで無さそうなゴージャスがありうるそのキャットヘッドは、価値判断を気持ちよく乱してくれるのである。
「〔G-タイムレス〕オートマティック ウォッチ」SSモデル
超越的なメタ猫に匹敵するのが、もう一匹の超越的スネークである。しばしばグッチのアニマリエ モチーフとして登場するこの生き物は、爬虫類としては嫌悪されることも珍しくないが、皮革やモチーフ、つまり素材やデザインとしては圧倒的に好まれる。その甘言に乗って楽園を追われたらしい我らが祖先と同様、われわれはヘビには色々と弱いのである。
半透明のダイヤルには重要な視覚的意味もあって、その後ろのムーブメントをうっすらと透かして見せている。自動巻ムーブメントを搭載し、シースルーバック仕様で防水50m。オーストリッチのストラップを採用した本格的な機械式腕時計は、38ミリという絶妙のサイズだ。それはレディスで無理なくサイズアップした直径がメンズの最新流行と重なった、黄金サイズ。今年のマストバイの資格を十分以上に備えているのである。
問い合わせ先
- TEXT :
- 並木浩一 時計ジャーナリスト