「言葉は思考の衣装である」というサミュエル・ジョンソン博士の言葉は私の永遠のモットーでもありますが、本欄読者のジェントルマン諸氏には、着こなしに注ぐ情熱と同じくらいの情熱を、思考の衣装たる言葉に注いでいただきたい。見て心を奪われ、話して魂をわしづかみにされるような、みずみずしく知的なジェントルマンがひとりでも多く増え、私たち女が生きていくうえでの張り合いとなってくださることを、願ってやみません。

さて、初回は日本人からまいりましょうか。日本を代表するジェントルマンといえば、この方、白洲次郎です。英国ケンブリッジ大学で教育を受け、イギリスのスポーツカーを乗り回し、英国製のスーツを堂々と着こなして英国紳士と生涯の友情を築いたことも、白洲次郎=ジェントルマンのイメージに寄与していると思われますが。

職業といっても、ひと言ではくくりがたい。終戦直後の日本の混乱期において、吉田茂の側近として活躍した官僚、実業家、オピニオンリーダー。「従順ならざる唯一の日本人」とか「育ちのいい野蛮人」とか「現代のラスプーチン」とか「マッカーサーを怒鳴りつけた男」とか「ミスター拒否権」とか、いやはやもう、批判なのか讃辞なのかわからない、さまざまな異名も誇っています。今なお謎の部分も多いのですが、少なくとも、戦後の日本の復興をスムーズに進めることに多大な貢献をした方であることは間違いありません。

そんな白洲次郎が残した言葉には、「地位が上がれば役得ではなく<役損>というものがあるんだよ」など、紳士の品格に必須の「ノーブレス・オブリージュ(高い身分にともなう義務)」を感じさせるものも多いのですが、私が一つ選ぶとしたら、これでしょうか。

「No Substituteをめざせ」。

代用がきかない、かけがえのない車をめざせ。英語と日本語がちゃんぽんになっているあたりがまた白洲次郎らしいのですが、2代目のトヨタ・ソアラの開発に際し、開発責任者に告げた言葉とされています。

白洲次郎自身も、ノー・サブスティテュート。代わりがいない、交替要員がいない、唯一無比の存在でした。そしてこれは奇しくも、冒頭に挙げた伝説のジェントルマンたちの共通点に加えられるべき、もうひとつの要素でもあるのです。

ついでながら、私の携帯の待ち受け画面に現れるのも、白洲次郎の言葉です。のちに妻となる正子へ、交際中に贈ったポートレートに添えたメッセージ。「You are the fountain of my inspiration and the climax of my ideals.(あなたは私のインスピレーションの泉であり、最高の理想です)」。愛するジェントルマンにはこのように思ってもらえる女でなければ、と自分を奮い立たせる松明にしています。

新潮社刊行の「白洲次郎の流儀」。ヘンリー・プールであつらえたツイードジャケット、 エルメスのアタッシュケース、ダンヒルのライター...掲載された愛用品の写真からは、 白洲次郎がいかに「本物」とともに生きてきたかが伝わってくる。
新潮社刊行の「白洲次郎の流儀」。ヘンリー・プールであつらえたツイードジャケット、 エルメスのアタッシュケース、ダンヒルのライター...掲載された愛用品の写真からは、 白洲次郎がいかに「本物」とともに生きてきたかが伝わってくる。
この記事の執筆者
日本経済新聞、読売新聞ほか多媒体で連載記事を執筆。著書『紳士の名品50』(小学館)、『ダンディズムの系譜 男が憧れた男たち』(新潮選書)ほか多数。『ロイヤルスタイル 英国王室ファッション史』(吉川弘文館)6月26日発売。
公式サイト:中野香織オフィシャルサイト
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